第10話 その探偵、斉藤佳助ー1

 そこは、地獄だった。

 光で出来た半径20メートルの半球は、一切の生命を逃さぬ牢獄だ。

 人々が逃げようと内壁面に触れたそばから、血肉は生きたまま炭化していく。

 球面の境界で、恋人が無機物へと姿を変える過程を見せつけられた女がいる。 

 後を追おうと外壁に身を投げると、球体は女を受け入れる。

 愛する人の唐突な最期を見せつけられて、いっそ一思いにと思った女は、恋人と同じ苦しみを味わうこととなる。

 そう、味わっている。

 そこには2つの黒い塊が、寄り添うように転がっていた。

 恐怖、痛み、絶望、それらから逃れるための狂気、怨嗟。

 叫び声を上げられるものは幸運である。未だ人間の機能を保っているのだから。

 あるいは、不運であるかもしれない。

 生身の人間ではとても耐えられない。それこそが地獄なのだ。

 高らかな哄笑こうしょうが響く。それはこの地獄の主、神崎空良のものだった。



 時刻は22時、消防車が取り囲む商業施設にたどり着いた。

 家族や友人を中に取り残された人だろうか、光の球体の前で泣き崩れる姿が照らされ、壁面に踊る。

「海未、見ないほうが良い」

 負の感情は伝染し、体にブレーキをかける。

 屈強な兵士も、頑強な医師も、感情に支配されてしまえば生物の本能には逆らえない。

 海未は俺の考えを理解してか、目蓋を固く閉じて頷く。

 目尻に光が反射して煌めく。

 この子は強い。

 もう惨劇を感じ取ったうえで自分の感情を制御しようとしているのだ。

「規制線は張られていないから近づけそうだ。作戦通りにやろう」

 本来消防士ファイアーファイターが戦う相手は炎で、この瞬間に商業施設の一角を覆うのは光だ。

 歴戦の隊員たちも手をこまねいている。

 危ないから離れて、と叫ぶ逞しい声を無視して、俺は光のドームへと飛び込む。



「なんだよ、死んどけよ。おっさん」

 苛立つ声。それはこの空間でただ2人直立を保つ人型、その一つが発した声だ。

「やってみろ。7年前の続きなんだろう?」

 答える声は当然俺だ。対話での解決は不可能だろう。だが、手段としては使える。

「調子に乗るな!死に損ない!」

 空良が掲げた左手の掌からソフトボール大の光球が砲弾のように放たれる。

 その熱量は小さな太陽と呼んでも差し支えないだろう。

 太陽との違いは、その殺意だ。

 まっすぐに俺の胸へと飛んでくる。猶予は2秒ほどだろう。

 俺は叫ぶ。

 自らの思考を、恐怖を塗りつぶすほどの絶叫。

 ダウンコートから右袖を脱ぎ、むき出しの右腕で光球を受け止める。

 なお叫ぶ。


 

 そして、握り潰した。



「なっ…」

 絶句。当然、その声を漏らしたのは空良である。

 これこそが勝機だ。

 畳み掛けるのは今しかない。

「お前は俺を殺せない!さっきも、今も!」

「そんなはずがあるか!たくさん死んでるだろ!そこらじゅうで!」

「それがどうした?俺とは関係ないだろ、クソガキ」

 心を殺して吐き捨てる。

 俺の言葉は全てハッタリで、空良は簡単に俺を殺せる。

 俺のせいで人が大勢死んだ。

 汗が額を流れる。

 気付かれてなるものか。

 


 1歩、距離を詰める。

 空良はびくりと半歩下がる。

 


 2歩、3歩と歩む。4歩目は足早に。5歩目は跳ねるように。



「来るな!来るなァーッ!」

 光の刃が飛ぶが、狙いが甘い。

 6歩目には全速力で駈けていた。

「なんなんだよ!お前じゃないだろ!お前だけは違うだろ!」

 そうだ。7年前は俺ではなかったんだ。

 7歩目、半球の中心点に、慰霊碑に立つ空良に向かって飛びかかる。

 


 地獄の主は、その玉座からいとも簡単に引きずり降ろされる。

 そこにいたのは、怯えた一人の少年でしかなかった。

「俺じゃないなら、誰なんだ?」

 胸ぐらを掴んで問う。......沈黙。

「あのとき君たちを助けようとしたガッシリしたおじさんだろう?」

「でも、僕も姉さんも、父さんも助からなかった。無駄だったんだよ!」

「そう思っていることが証拠だ。

 助けて欲しくて、助けようとした人が居た。

 それはずっと覚えていたんだろう?この7年間、ずっと」

「でも、死んだ!無意味に死んだ!死んだら何も残らない!」

「君は、怒っている。

 君自身ではなく、あの人が助からなかったことに」

 空良は目を見開く。

 このまま揺さぶって、慰霊碑から引き剥がすことも出来るかもしれない。

「それは、俺も同じだ。

 考えるのが辛いから、逃げたんだ」

 でも、それも終わりだ。そう言おうとした。

 


 瞬間、閃光が頬を掠める。血が滴る。

「お前なんかを逃がすために死んだんだな、あの人は」

 冷めた声。拙い。

「お前はここで死ぬ。

 それでやっとあの人の死は無意味になる」

 散弾のように幾条もの光が放たれる。

 咄嗟に右腕を盾にしたが、庇いきれず吹き飛ばされる。

「右手には効かない。

 殺すつもりで一点集中したら防がれる。

 なら、バラ撒いて当てる」

 この少年は賢い。

 ネタが見抜かれた。もはや打てる手は逃げの一手しかない。

 


 先程とは逆だ。

 少年は真っ直ぐに歩む。

 俺は放たれる光を右手で防ぎながら、無様に転げ回るしかない。

 攻防が、否、一方的な狩りが7度。

 俺は光の壁まで少年に追い詰められていた。

 息を吐く。

 俺の役割は終わった。


 

「死ね」



 防げば衝撃で背にした壁に打ち付けられる。

 防がねば語るまでもない。

 確実な死。

 詰みだ。

 


 光は、放たれなかった。



 困惑する空良。

 光のドームも幻であったかのように消え去り、夜闇に消防隊員のヘッドライトが瞬いている。

 響く轟音。

 空良は振り返る。慰霊碑が崩れ、人影が見える。



 腰まで伸びた黒髪、白いパイロットスーツのような服から、いくつものカテーテルが伸びている。



 その少女は、神崎海未だ。



「待たせてごめんね、空良」

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