第8話 その少年、神崎空良ー1

 7年前、あの日の事件の顛末てんまつは、当事者である俺にも、被害者遺族である千里ちさとさんにも伝えられていない。

 彼女は未だに橋本姓を名乗っているのだろうか。

 墓参りにも行かない薄情者には知る由もない。

 事件に関して、親子の心中だったと病室のテレビ越しに聞いたのが唯一の情報だ。

 そして、あのショッピングセンターは程なくして解体され、現場に慰霊碑を建立建立して新たな商業施設になったという。



 「つよしさん...」

 7年前は呼んだこともなかった先輩の名を呟く。

 力と縁に恵まれた人であり、驕らない正義の人だった。

 異変に気付いておきながら何も出来なかった俺が生き残って、どうすればよかったというのですか。


 

 息を吐きながら首を左右にゆらりと振る。

 今考えることはそれじゃない。

 あの姉弟は生きていた?

 そして7年越しに俺の前に現れた?


 

 WHY、HOW、それはどうでもいい。思考を研ぎ澄ませ。

 WHEN、WHERE、それは今、あの場所で。

 WHAT、それはぶっつけ本番だ。


 

 右腕がうずく。

 千切れる寸前までぼろぼろにされた腕は、神業の再生手術と必死のリハビリで普通の人間の非利き腕くらいには動くようになっている。

 ただ、時折大量の冷たい針で刺されるような痛みだけは、治ることはなかった。

 体は叫んでいたのだ。

 忘れるなと。



 事務所の戸締りをしてショッピングモールへ向かう。

 7年間という月日は建物が入れ替わるには十分だが、町が姿を変えるには短い時間だ。

 あのショッピングモールへの道、1キロメートル先からでも見える大きな建物は見慣れないものだが、迷うことはない。

 忘れていたわけがない。しかし思い出すことのなかった記憶、その蓋が開き、俺の背を叩く。


 

 『頼んだぜ!斉藤佳助!』

 全く、既婚者の今際の際の言葉としては0点ですよ、先輩。

 でも、頼まれたんじゃあしょうがないですね。

 今は俺の方が年上ですから、任せてくださいよ。

 


 気づけば巨大な建造物の壁面は目と鼻の先だった。

 真冬の週末、その日暮れ、幸せそうな家族連れや学生たちとすれ違いながら建物に入る。

 このショッピングモールは八角形の辺にあたる部分が店舗、その内側は中庭となっている。

 そこにあるはずだ。7年前の慰霊碑が。


 中庭の中央には噴水があるようだが、冬季はイルミネーションの土台になっているようだ。

 それを眺められるレストランのテラス席は徐々に埋まり始めるといったところか。

 7年前にはなかった景色。そしてそれ以前にはあったであろう人の営みが戻っている。

 きっと、あの日を思い出してここに立っているのは俺だけだろう。

 


 そして今感じているのは怒り?誰に?

 穏やかな日常を送る一般市民に苛立っているのか、俺は。

 それはおかしい。

 もはや続けられないと思ったとはいえ、公僕としての年月を否定することはありえない。

 ならばこの感情は一体なんなのだろうか。

 そうか、俺は蓋をしたんだ。あの閃光で焦がされた記憶に蓋をして過ごしてきた。

 その焦げ付きは鮮度を保ち、7年越しに俺の前に現れた。

 未だ熾火おきびくすぶったままに。

 この怒りは、このほのおは、正しさへ向けた種火にしよう。

 海未の依頼と7年前の事件、それを照らす灯りへと。


 

 そこに神崎海未はいた。

 中庭で唯一人気のない区画、慰霊塔前のベンチに座っていた。

「来てくれたんだ......」

「当たり前だ。依頼だからな」

 悲しげに眉尻の下がった表情で、海未は頷いた。

「きっと、辛いよ。命だって危ないかも」

「構わない。7年前の続きなんだろう?」

 海未はため息を吐く。そして意を決したように立ち上がり、こちらへ向き直った。

「あのね、信じられないかもしれないけど、聞いて」

「ああ。聞こう」

「私は、」

 


 俺は海未が言いかけた言葉を聞き取ることは出来なかった。

 なぜならば、無様にも地面に這いつくばっていたからだ。

 理解できない。

 立ち上がろうとして気づいた。

 体重が5倍にでもなったかのように全身が重い。

 かろうじて右腕だけは動くようだが、立ち上がる役には立たないだろう。

 せめて、海未の無事を確かめようと寝返りの要領で向きを変える。



「そんな役立たずに何ができるの?姉さん」



 少年が立っていた。否、浮いていた。



「私をここまで連れてきてくれた!待たせてごめんね、空良!」

「待ったよ。待ちくたびれた。待ってたんだよ。準備をしてね!」



 少年の姿、声、覚えがある。7年前のあの少年そのままだ。

 その瞬間、体にかかった重圧が消えた。

 なんとか立ち上がり、よろめきながらも声を張り上げる。

「君が神崎空良くんだね!?」

「......一番遅いのはあんただ。でも、まだ間に合うよ。今から死ね」

 7年前と同じだ。閃光が来る。

 でも、今は目をそらしていないから動ける。

 海未の前に飛び出し、右手を掲げる。

 光の束が襲い来るのはそれと同時だった。


 

 何も感じない。音が無い。視界は白い。


 

 一瞬か、永遠か。過ぎてしまった時間はもはや分からない。

 ただ、俺は立っていた。右腕は無事だ。袖は灰になったようだが、肉体には損傷はない。

 自分の肉体を目で確かめる一瞬、その一拍の後に俺は息を吸うことも吐くこともできなくなった。

 全身を襲う、衝撃を伴うかのような熱さ。

 たまらず、崩れ落ちる。

 目から、鼻から、口から全身の水分が流れ出るかのように体液が流れ出る。

 痛みだ。

 とても耐えられない。

 先ほどは涼しく過ごした永遠という時間が、現在を流れるだけでこうも苦しいのか。

 うめき声、本当に自分の喉から出ているのか分からないほど獣じみた音が漏れ出る。

 痛い。

 苦しい。

 死んでしまえば楽になるのか?

 どうか......俺を......。



「しっかりして!佳助さん!」



 俺はただ倒れていた。どれくらいの時間かは分からないが、痛みも無く、倒れているだけのようだ。

「どう...なってる...?」

「詳しい説明は後!逃げよう!」

 少女の両腕で左手を引かれ、立ち上がる。

 右袖は灰になり、二度も倒れた証拠に前身は砂ぼこりに塗れている。先ほど起こったことは白昼夢はくちゅうむではないということだ。


 

「賢いね、姉さんは。でも愚かだ。ここで遊んで待ってるよ」

 少年の言葉を聞いた海未は唇をかみしめて震えている。

 だが、俺の手を引きながら、慰霊塔を背に歩んでいく。

 目が霞む。

 朦朧もうろうとした意識の中、ただ事務所へ、家へ帰ることだけが頭の中にあった。

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