第3話 その少女、神崎海未その①ー3

 白のブラウスに黒のパンツスタイルのオフィスカジュアル、パンプス、カーディガンにトレンチコート、ビジネスバッグを喧々諤々けんけんがくがくのうちに選び、インナーや小物類を本人に選ばせる間、俺は外の空気を吸うことにした。

 連絡先を書いた名刺を渡しており、会計のために電話で呼び戻されるわけだ。

改めて思うが、この店の商品は機能性に重きを置かれているので俺の性には合っている。

 縫製はしっかりしているし、シンプルなデザインは着る人の素材を活かすものだと思う。

 本気で嫌がっていない所を見るに、なんだかんだと海未も気に入ったものだからこそ、購入に同意したのだろう。

 それにしても、女性物を選ぶのは疲れる。

 男女の差は骨と肉だけではない。

 個人レベルから社会レベルまでの価値観の違いが、男女間にはある。

 例えば、『男性的』な女性がいたとする。どの程度、どのように男性的かはそれぞれ想像する、あるいは思い当たる人物像によって異なるだろうが、男性的な『女性』であることから逃れられる人物を想定できるだろうか?

 ある個人がどれだけジェンダーのステレオタイプから外れていようと遺伝子的な性からは切り離せないことの裏に、どれだけ先入観を排しても異性の価値観に歩み寄るのは限界があるということがある。

 俺は自分の浅い見識から導き出されるこの結論が社会の理想よりはるかに低いことに恥を覚える。

 もう少し遅く生まれていたならば、と瞬きほどに思いはしたが、別の恥を背負っているだけのことだろう。



 こうして味わっていた束の間の静寂も、携帯電話のバイブレーションで街の喧騒と電話越しの楽しげな声に塗りつぶされる。

 会計を済ませて、ドラッグストアに向かう。

「機能性肌着ってすごいのね!」

「おっ分かるか!10年前にはメジャーになってたが、この数年では他のブランドでも出てきていてな!」

「ホント!?こんなに快適なものが10年も前に普及していたの!?全然知らなかった...」

「夏には涼しい肌着や消臭する肌着もあるんだぞ」

「すごい...この店に来れて良かったかもね」

「うむ、そうだろう!」

 天真爛漫という言葉が相応しい毒気の無い会話だ。

 時に大人びていて、時に年齢以下の純粋さを見せる。

 つかみどころのなさはあるが、この純粋さは彼女の性格を語るうえで外せない要素だと確信する。

 海未は善意と純真の人間だとより一層思えた。



 ドラッグストアでの化粧品選びは海未に一任した。

 服には多少の口出しをしたが、化粧の下地にも一体いくつの化粧品が必要なのかもわからないからにはこれが賢明だろう。

 携帯電話のアプリから会員証とクーポンの準備をする。

 ドラッグストアの名からはみ出して売っているのは化粧品だけではなく、保存食品、袋菓子、日配もあるので案外重宝するのだ。

 ドラッグストアは庶民の味方。

 ......化粧品については分からない。

 狭い店から先に出て待っているように言ってからいざレジの前でカゴを覗くと、会計が進むたびに冷や汗が出るくらいには、消耗品に思えない金額が積み重なっていく。

 女性性の美しさは資本主義に裏打ちされたモノなのだ......。



 店の外で海未と合流した。

 荷物は当然俺が全て持っており、身軽な海未が一層軽やかに思えた。

 俺には気付かず、どこか遠くを見ているようだった。

 一瞬迷ったが声をかける。

「さ、事務所に戻ろう」

「あ...うん」

「少し疲れたな、荷物を整理する前に何か食べようか?」

「うん、そうだね」

 心ここにあらず、か。

 海未は今朝何時から起きているのか分からないし、必要なのは睡眠かもしれない。

「まあ帰ってから決めよう。少し詰め込み過ぎたな」

 駅前でタクシーを捕まえて乗り込むと、海未は控えめに寝息を立て始めた。

 ドアに身を預けた横顔を眺めながら、ふと思う。

 寝顔は険が無く可愛いものだ......すぐに起こさなければならないことを思うと気が重い。

「すぐ着くからな」

「うーん」

 熟睡させないという手はまだ間に合うようだ。これはチャンスだ。

 運転手がいる以上は密室ではなくクライアントのプライバシーが守れないため、仕事の話はしないしそもそも出来ない。

 今すべき話は、当たり障りが無くも彼女の性格、生い立ちに関する情報を引き出す話題だ。

「今日は楽しめてるか?」

「新鮮......かなあんまり買い物したことなかったから」

「まあ買ったものが年齢不相応だったしな」

「まあそうね......こんな大人っぽいの買ってもらうことがあるなんてね......」

 お嬢様だから、決められたものを身に付けていたのだろうか。


 今回は俺が出過ぎてなければ良いが。

「佳助さん、今日はありがとう......」

「やりきった感じだな......すぐ着くし、着いたらベッドで寝ていいからな」

 これ以上の会話は俺からは無理だな。

 沈黙にタクシーの走行音と寝息のリズムが加わる。

 俺はこの手の沈黙は嫌いではない。

 自分の疲れもじわりと感じてシートに体重を預ける。

 海未は昨晩制服姿で現れた。

 先ほどの買い物程度の準備時間も取らずに俺を訪ねており、今日も早朝からかあるいは眠らずに活動しているのだ。



 考えを巡らせる間にタクシーは事務所に到着していた。

 支払いをする間にドアを開けてもらい、新鮮な空気が流れ込むや否や、海未はショッパーを抱えて飛び出していった。

 気まぐれさに猫を想わせたが、買い物帰りの子供はこんなものだろう。

 事務所には鍵をかけてあるため手早く済ませて追い付かねば。

「おじさーん!鍵開けてー!」

 外でおじさんと呼ぶんじゃあない!運転手さんの目が暖かくていたたまれない!

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