第2話 その少女、神崎海未その①ー2

「待て!」

「わ、急に何!?」

「あれ、いや......ごめん、寝ぼけていたみたいだ」

「なんか口調昨日と違わない?」

「言わぬが花という言葉を知っているか?」

「誤魔化してるってのは分かるよー?」

「今......朝5時か......まあ起きても良いかな。顔を洗ってきても良いか?」

「良いよ?まあ汚い顔ならもう見ちゃってるけどねー?」

 早朝にアラサー男の寝顔をじっと見ていたことはそれこそ言わぬが花だろうな。

 海未が何やら言っているが無視して、来客用のソファーから身を起こす。椅子としては失礼にならない程度のクオリティだが、寝具ではないので節々が凝っている。肩甲骨をぐぐっと寄せたり、逆に両腕を前に伸ばしたりして、血行を促進する。

「あ、やっぱりおじさんじゃん」

「うるさいよ」

 まだおじさん扱いには反論したいお年頃なのだ。なんとかドアを開けて洗面所にたどり着き、給湯器の電源を入れる。蛇口ハンドルを上げて湯が出るまでに洗顔料とシェーバーを棚から出し、洗顔バンドで前髪を上げる。というところで鏡に海未がひょこりと映り込む。

「見てても面白くないぞ」

「ふふっもし思ってたならキモいから」

 湯でざっくりと顔を洗い、洗顔料を泡立てて顔に塗る。そしてそのままシェーバーで髭を剃る。特に髭剃りは女子高生から見たら物珍しくはあるだろう。

「毎日剃るの大変そうー」

「ベタな反応で安心したよ。ルーティーンになってしまえばどうってことないぞ」

 泡を流して化粧水を塗る。朝食前ならここまでで良いだろう。

「さて、朝食にしよう。米とパン、どっちが良い?」

「パン!」



 キッチンは事務室の片隅にある。

 150リットル冷蔵庫、オーブンレンジの入った食器食材棚、ガスコンロは二門、調理台には昨晩使った食器と調理器具の入った水切り籠、電気ケトルが置かれている。

 電気ケトルに水を入れ、冷蔵庫から卵2個、使いかけのカットトマト、短冊状の切り落としベーコンを取り出す。

 棚から6枚切りの食パンを取り出して2枚をオーブンレンジへ。

 水切り籠から小振りのボウルを取り冷蔵庫から取り出した食材を混ぜ、コンロに置いてあった直径15cmのフライパンを強火で熱してオリーブオイルを回し入れ、ボウルの卵液を一気に注ぎ込み、箸でかき混ぜつつ半熟になるまで火を通す。

 棚から紙皿を2枚取り出してスクランブルドエッグを盛り付け、乾燥オレガノを散らす。

 沸いていた湯でカップスープをマグカップと紙コップに作り、オーブンレンジからトーストを取り出して紙皿にのせる。

 最後にジャムとマーガリンを冷蔵庫から取りだし、調理台に揃った簡単な料理をプラスチックのカトラリーの揃ったプレートにのせて応接室に運んでいった。

「思ったよりちゃんとしてるじゃん!」

「まあ腹を空かせた子供を放っておくほど胆が据わってないからな」

「出た!照れ隠し!」

「そういうの良いから冷める前に食べるぞ」

「「いただきます」!」



 朝食は意外にも静かに進んでいった。俺は珍しく騒々しい朝に疲れており、ほっと一息付きたかったのでちょうどよかったが、この少女が普段の口調に比して行儀が良いのは出自ゆえだろう。

 俺もリラックスしてのんびりとカップスープを口にしているが、トーストを食べるという庶民的動作がたおやかに見えるのには必死に驚きを隠すことになっていた。

 自然な色の小さな唇に税抜き1斤98円のプライベートブランド......焼き立てのトーストでのみ及第点となる食パンが挟まれる。

 いや、まじまじと食事の様子を観察するのは相手がこの少女でなくとも失礼だろう。

 スープを味わう振りをして目を閉じる。

「おじさん、手際も味も良くて、失礼ながら驚かされた食事でした。ごちそうさまでした」

「お粗末様でした。食後はコーヒー?紅茶?」

「紅茶をお願いします」

「砂糖とミルクは持ってくるから自分で入れてくれ」

 使い捨ての食器をプレートにのせて席を立つ。


 

 仕切りの反対側で紙コップを新たに2つ出し、海未の分にティーバッグの紅茶を、自分にペーパードリップのコーヒーを淹れる。



 ちゃんとしている。

 この少女の印象を新たにしているが、この両面性はどちらも彼女の一面であり一方で意図的なものがあるに違いない。

 言うまでもなくこちらを茶化す言動の方が計画的なものだろう。

 俺の素性程度はこの事務所のサイトでざっくりと分かるだろうが、俺が強く出ない性格であることを知っての言葉選びだろう。

 年上の成人男性に対して会話の主導権を握ろうとする意図、それが彼女の言動から断言できることだ。

 それを踏まえて推測できることは、彼女は自身の目的を隠しているということだろう。

 それを勇敢と言うか狡猾と呼ぶかは人それぞれだ。

 紅茶とコーヒー、後者の香りが勝る湯気を顔に浴びながら考えを整理する。

 彼女の言葉は事実であるが真実ではなく、彼女の持つ情報は俺自身についても含んでいる可能性が高い。

 フレッシュを1つ自分のコーヒーに入れ、スティックシュガーを2個ずつプレートにのせて飲み物を運ぶ。


 

「どうぞ、熱いぞ」

「ありがとう」

 海未はその場にあるフレッシュとシュガーを全て自分のカップに入れる。

 あるだけ入れて満足するタイプなら2個持ってきたのはこちらの在庫という視点でも悪くない選択だった。

「飲みながらで良いから依頼について話そう。今日はメール対応しかしないから、内容によっては今日から調査に入れるぞ」

「単刀直入に言います。弟を探して欲しいの」

 字面ではまともな依頼だ。

「これまでの経緯を教えてもらえるかな」

「弟とは7年前から別居...かな、うん、別々に過ごしてる...。

 私と弟は双子で、今の見た目はどうなってるか分からない。

 でも、今は居ないとしても手がかりはこの町にあると思うの。

 弟を引き取った父さんが住んでいたから。

 家の事情で、会うことは出来ないけれど無事なのは把握されてるから無理をすれば会えると思ってここに来ました」

 7年前、か。苦い気持ちを表情に出さないよう奥歯を噛み締める。

「7年前当時の弟さんの風貌を教えてくれる?」

「写真は無いけれど、顔は私と瓜二つだったから7年前の私を想像してもらえたら。

 髪は短かった。

 服装......神崎女学園初等部の男子制服の他にはポロシャツをよく着ていたかな」

 制服の方は神崎家を離れると同時に着なくなっただろう。普段着についても同様だ。

「眼鏡は掛けていた?」

「掛けてなかった」

 10歳当時のモンタージュはこれで描けるだろう。現在の彼についてはこの町で探しても見つかる可能性は低いため、これでも十分な情報だ。

「特に心当たりのある場所は?」

「父さんの家...のあった場所、行くのを楽しみにしていた駅前の商店街とショッピングモールに..」

「分かった。調査の方針を立てたから話すぞ」

「ん、うん」

「10年前の弟さんのモンタージュを作って今挙げてもらった場所周辺で聞き込みをする。

 7年以上前のことを確かに覚えているような人は簡単に絞れるだろう。どうせ君もついてくるのだろう?」

「もちろん!」

「......それじゃあまずは服を買いに行こう。警察の厄介にはなりたくないからな」

「おじさん犯罪的な見た目とまではいかないよ?」

「制服姿の少女を連れ歩くのは十分犯罪的だという自覚はある」

「なるほどね、変装して捜査活動というわけですか」

「君は背が高いから遠目には誤魔化せるだろう。

 化粧はナチュラルメイク...若いから、目元だけこなれた感じにできればそれらしいんじゃないか?」

「おじさん、簡単に言ってくれるねー」

「一緒にしたら怒られるとは思うけれど、君が俺の髭剃りを物珍しく見ていたのと同じくらい俺と化粧には縁がないんだ」

「一緒にしないでよねー。

 まあおじさんには難しい話なのは見てれば分かるし、頑張って話してくれてありがとね」

 このガキ、言いおるわ。

「品物を選ぶのは任せるが、買い物には同行させてもらう。

 財布を預けるほど弱みを握られてはいないつもりだ」

「もとからそのつもりだよ?

 おじさんがここで立てる予算で買いそろえるのは至難の業だと思うから」

「じゃあ決まりだな。それと、外では佳助さんと呼ぶように」

「え?どうして?」

「叔父ほど年が離れてないのにおじさん呼びは犯罪的だから勘弁してくれ」

「分かったよ、佳助おじさん!」



 まあ大丈夫だろう...そうあって欲しい。

 この調査、依頼人を制服姿から脱却させるのが最初にして最大の壁だ。

依頼人は目的地でもあるショッピングモール内のブランド直営店を所望したが、当然却下した。

 非合理だなんだとのたまっているが、女学生にブランド品を買い与える既製品オフィカジに身を包んだ男の姿はとても惨めなものだ。

 いや、あらぬ疑いをかけられるという本来避けるはずだった状況に自ら飛び込んでいくことになるからである。

 決して他意はない。

 このように、仕事人として譲れぬものがあると熱弁したところ引き下がってもらえた。



「まあおじさんより良い服着てたら可哀そうだもんね」

 俺は何も可哀そうではないが!?......とにかく、まずはシンプルさが売りの衣料品チェーン店に向かうこととなったのであった。

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