第三章 トップアイドルのヒーリング
㉑ 彩子たちの進路
南田の国語の授業は、いつものようにダジャレから始まった。
「今日は慣用句の授業だ。しっかり覚えないといかんよう。」
「『地獄で?』、はい大橋、何と言う?」
「仏です。」
「ピンポーン! 地獄で仏に会ったように嬉しいというんだが、先生は腑に落ちん。なんで地獄に仏様がいるんだ? それなら『極楽で閻魔』もアリだと思わんか?」
皆、思わないという顔で聞いている。
「次は難しいぞ。相川、前に出て漢字に直してみろ。」
南田は黒板に「こうじまおおし」と書いた。
指名された生徒は、黒板に「工事間多し」と書いて席に戻った。
「どういう意味だ、相川。」
「道路工事をしている期間が長いっていうような……。」
「ブブー! 正解はこうだ。」
南田は「好事魔多し」と板書した。
「伊達、どんな意味だと思う?」
いきなり指名された彩子は考える間もなく、漢字のイメージからのひらめきを口にした。
「スケベな悪魔が多い。」
「アーハッハッハ! 最高だ!」
南田につられて生徒たちも爆笑する中で、彩子は赤面した。
「『好事魔が多い』じゃなくて『好事は魔が多い』ということだ。つまりだな、いいことには邪魔が入りやすいという意味だ。」
授業も終わりに近づいたころ、南田は12月の修学旅行に触れた。
「みんな、自主研修の希望分野は決まったか? 明日が締切だぞ。」
S高では4泊5日の東京、京都への修学旅行中、丸1日をかけて東京で自主研修を行う。
大学の学部選定の参考にするために、将来の希望職種分野ごとにグループになって、事前にアポを取った企業等を訪問するというキャリアガイダンスだ。
放課後、修と珠子が彩子の側へやってきた。
にやにやしながら、修が彩子に声をかけた。
「これからJinJinに寄って、スケベな話をしないか?」
彩子は、修のすねを蹴った。
店に着き、注文したメニューが運ばれてくると、他に客がいなかったので彩子は例の件を口に出した。
「おばさん、田端さんの畑、よかったですネ。」
「そうなのよ、そうなのよ。田端さん、すっかり元気になっちゃって。あ、ようこそ、ようこそ。」
店に入って来た客にも嬉しそうな顔を向けて、おばさんは彩子たちの席を離れた。
「実はネ……」
彩子は、緊急説明会で「喋」能力を使ったことを珠子と修に話した。
S高の土地取得が白紙撤回になったという結果だけしか知らなかった二人は驚いた。
「彩ちゃんって、やっぱりすごい!」
「それをおばさんに言えば、何かおごってくれるかもしれないな。」
「話せるわけ、ないじゃない。それより、南田先生の言った研修分野、二人とも決まった? 修は?」
「うーん、進路は理学部か医学部かで悩んでるけど、今回は医者の話を聞いてみようと思う。」
「修は頭いいもんネ。アタシは看護師。珠ちゃんは?」
「私も看護系だけど、将来はホスピスで働きたいと思ってるの。」
「へえ、特殊な分野に目をつけたね。珠ちゃんは彩っぺと違って優しいし、オーラ的にも向いてると思うよ。おっと。」
修は、彩子のむくれた顔を見て足を椅子の下に引き寄せた。
㉒ 彩子を呼ぶ声
生徒たちが待ちに待った修学旅行の日が来た。
空港までのバスの中から盛り上がってカラオケ大会になったが、彩子は気分がすぐれなかった。
順番で彩子が中森セイラの歌を歌ってマイクを後ろの席に渡すと、隣りの珠子が言った。
「彩ちゃん、元気ないね。セイラが心配なの?」
最近のテレビで、中森セイラが再入院して乳がんが見つかったというニュースが報じられていた。
「それも心配だけど、耳鳴りが気持ち悪いの。」
「体育祭の頃から言ってたね。耳の奥がキーンって鳴るって。」
「近ごろは、それが人の声みたいに聞こえるのヨ。」
飛行機が羽田に着陸すると、最初に浅草を見学し、その後、本郷の宿舎へ向かった。
バスは浅草から西向きに御徒町方向へ走り、やがて本郷3丁目の交差点を右へ曲がった。
「懐かしいなあ……。」
最前列の席に座っている担任の南田が、窓の外を見ながら呟いた。
後ろの席の男子生徒が尋ねた。
「先生、この付近に住んでたことがあるんですか?」
「ああ。学生の時にな。」
「どこの大学に通ってたんですか?」
南田は、答えるかわりに窓の外へあごをしゃくった。
バスは、東京大学の赤門前を通過するところだった。
「ええっ、先生、東大卒だったんですか!」
その声がバス中に響き、あちこちから驚きの声があがった。
修は、意識を集中して南田の後頭部に目を凝らした。
高い知性を表す青いオーラが出ているのを見て、修は納得した。
ユーモアのセンスを表す黄色いオーラは見えなかったが、それにも納得した。
「さあ、着いた。みんな、忘れ物はないか? 太ってる者は特に念入りにチェックしろ。『小太り後を濁さず』だ。」
修学旅行2日目は終日ディズニーランドで過ごし、3日目の自主研修の日がきた。
グループ毎に宿を出て、見知らぬ東京の街で公共交通機関を使って研修先へたどり着くのも学習の一環だ。
彩子と珠子を含む20人ほどの看護系グループは研修先である港区のT病院に向かった。
最寄りの地下鉄の駅から地上へ出ると、徒歩で数分の距離にT病院はあった。
一行は、受け付けをすませると会議室に通された。
T病院の概要や看護師としての心構えなどの説明を受け、質疑応答に入った時に彩子は耳に異変を感じた。
「オ……」
「……テ」
近ごろ、時々聞こえてくる声だ。
その声が少し大きくなったかと思うと、はっきりした言葉として響いた。
「オネガイ」
「タスケテ」
鉛筆を持った手を机の下におろし、彩子は「重」(チョウ・かさなる)という字を宙に書いた。
そして、ラジオのつまみをひねって聞きたい局に周波数を合わせるイメージを描いた。
彩子は、心の中で呼びかけた。
「アナタハダレ? ドコニイルノ?」
「ワタシヨ。ワタシハココニイルワ。」
「ドコ?」
「ココヨ……」
㉓ 中森セイラと彩子の関係
修学旅行が終わって家に帰り着いた彩子は、夏休みに祖母に言われた言葉を思い出した。
「この先、何か困ったことや自分ではよう分からんことが出てきた時は、相談に来ればよい。」
両親に聞かれないよう、彩子は自分の部屋から電話をした。
「あ、おばあちゃん? 彩子だけど、」
彩子は、修学旅行の研修先で起こったことを話した。
「やっぱり、そうじゃったか……。」
「やっぱり?」
「わしも彩子に話さねばならんことがあるからそっちへ出て行くわい。都合はどうじゃ?」
12月中旬に2学期の期末テストがあるので、彩子は祖母にテストが終わってからがいいと伝えた。
電話を切る時に、祖母は妙なことを言った。
「夏に彩子が来た時、若い歌手の話をしとったろう。あの子は今、どうしとる?」
「中森セイラのことネ。乳がんで入院してるってテレビで言ってた。」
「どこの病院じゃ?」
「さあ、知らないけど。」
「そうか。ああ、そっちへ行くことはわしから信子に連絡する。」
アイドルなどに興味はなさそうな祖母がどうしてセイラを気にするのだろうと思いながらスマホで検索してみると、驚いたことにセイラの入院先は彩子たちの研修先のT病院だった。
「それじゃ、聞こえてきたあの声はセイラ?」
「アタシとセイラに何の関係が? セイラとおばあちゃんとは?」
彩子には、祖母に聞かねばならないことが多くあった。
数日後、彩子が学校から帰ると母親が言った。
「おばあちゃんが今月の20日過ぎにこっちへ出てくるって。それに冬休みに彩子に東京に行ってもらいたいって言ってたわよ。」
「えー、修学旅行で行ったばかりなのに?」
「ママもそう言ったんだけど、東京の知人がどうとかで、詳しいことは来てから話すって。」
2学期の期末テストが終わり、彩子の祖母がやってきた。
祖母は夕方遅くに着いたので、彩子の父親も帰宅しており、玄関に出迎えた。
「おばあちゃん、お久しぶりですね。」
「ほんにのう。それにしてもこっちは寒いなあ。信子も変わりはないか。」
「うーん、近頃ちょっと頭が重いけど元気よ。正月もこっちで過ごせば?」
「そうしたいが畑の手入れもあるし。まあ、何日か世話になる。」
祖母は、娘である彩子の母親はもちろん、彩子の父親も琉球大学生だった頃から知っているので、その日は思い出話に花が咲いた。
翌日、彩子は母親の言いつけで市内の観光名所の案内に祖母を連れ出した。
彩子は祖母に尋ねたいことがたくさんあったので、案内もそこそこに街なかの喫茶店に祖母を誘った。
「これは政夫さんも知らんことじゃから、そのつもりでな。」
話は祖母のほうから切り出した。
「信子には彩子以外にもう一人、子供がおる。もちろん政夫さんと結婚する前の話じゃが。」
「えっ、えっ?」
「信子は高校を出てすぐ那覇のレストランで住み込みで働くようになったんじゃが、客にはアメリカの兵隊さんも多かった。その一人と付き合い出して子供ができたんじゃ。その米兵は結婚するつもりだと言っておったが、結局は信子を捨ててアメリカへ帰っちまった。子供はもう堕ろすことはできん月数になっておったのにな。わしも連れ合いを亡くしたばかりで生活が苦しかったもんだから、レストランのご主人が気の毒がって、産まれた子を東京郊外の施設に世話してくれたんじゃ。出生届にはわしが『石嶺星子』と名付けて私生児として届け出た。」
「その後、ママは?」
「かわいそうに、泣いてばかりおった。だもんじゃから、わし一人で再開した食堂を手伝わせることにした。手元に置いておけば安心でもあったし。」
「それでパパと出会ったのね。」
ここで彩子は思い当たった。
「待って。ママの産んだ子はアメリカ人とのハーフで、名前が星子ってことは?」
祖母は彩子の目をまっすぐ見て答えた。
「歌手の中森セイラは、彩子の父親違いの姉じゃ。」
「中森」はセイラを引き取った中森プロダクションの社長夫妻の姓だ。
今を時めく人気歌手の中森セイラが自分の姉だと知って、彩子は息が詰まった。
「彩子が夏に沖縄に来た時、テレビに出とったあの子の話をしたろう。生まれてすぐ施設に預けられたハーフで、星子という名前じゃと。それでわしはセイラが信子の子だとピンときた。人気者の歌手になったのかと思って喜んどった。じゃがの……」
祖母の顔が曇った。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「ひと月ほど前からかのう、あの子が『助けて』と言い出したんじゃ。」
「え、おばあちゃんにも?」
「あの子は生まれた時から目に光があった。それで星子と名付けたんじゃが、周りの者は混血児特有の目としか思っていなかった。しかし、わしはユタの血を引いているとすぐ分かった。星子は霊的な波長が合う者と通じ合える力を持っているようじゃ。それで、彩子やわしの耳にあの子の声が聞こえるんだろうて。」
これまで気味悪く思っていた声の正体が分かって彩子は驚きもしたが安心もした。
「WiFiと同じだネ。発信者のセイラがいるT病院だったから、アタシははっきり受信できたんだ。」
そう言いながら、沖縄にいて東京のセイラと交信できる祖母の霊能力の高さに彩子は感心した。
「ワイワイ? 何だね、それは?」
「あ、何でもない。それよりママから聞いたけど、アタシに東京に行ってほしいって?」
「星子に助けを求められても、わしにはどうすることもできん。しかし、星子の声が彩子にも聞こえたと電話で知らされて、道が開けた気がした。」
「どういうことなの?」
「超能力を身に着けたのは自分だけじゃなく、傷を治せる男の子もおると彩子が夏休みに言うたじゃろう? それを思い出してな。」
「ああ、修のことネ。それで東京へ?」
「そうじゃ。二人で力を合わせて星子を救ってやってくれんか。」
㉔ 彩子の「澄」能力
祖母と一緒に街から戻ると、彩子はすぐに修に連絡して二人の家から近いショッピングプラザ内のハンバーガー店で会うことにした。
「急用ってのは?」
彩子が祖母から聞いた話を打ち明けると、修は事の重大さにため息ともうめき声ともつかない声を漏らした。
そして何かを思いついたような顔で、珠子にラインを送った。
「珠ちゃんを呼ぶの?」
「うん。それより、セイラの乳がんをどうする? あちこち転移してるかもしれないから、全身に手を当ててヒーリングをやるくらいしか思いつかない。それじゃ俺の体がもたないし、皮膚の表面の傷と違って効果の確かめようもない。」
彩子は、店内を見回した。
客はほかにもいたが、幸い彩子たちの近くのテーブルは空席だった。
「ちょっと思いついたことがあるの。見てて。」
彩子は、「澄」(チョウ・すむ)という字を指で宙に書き、テーブルの上で左手を下にして両手を重ねた。
そして、右手を少し浮かせて、澄み切った湖のように左手が透明になるイメージを思い描いた。
すると浮かせた右手から不思議なパワーが出ているかのように、左手が徐々に透けていく。
最後は骨の部分だけを残して半透明になり、手の下のテーブルの色が透けて見えた。
店員の気配がしたので彩子が右手の指を鳴らすと、左手も元に戻った。
「ふうっ。彩っぺはいろんなことができるんだなあ。まるで人間レントゲンだ。」
「できちゃった! これ、使えるわ。セイラの患部に手をかざして今みたいにやれば癌細胞が見つかると思う。そこに修が手を当ててピンポイントでヒーリングをやればいいのヨ。」
「しかし、俺たちの超能力を見たら、セイラ親子はパニくってヒーリングどころじゃないだろう。第一、見ず知らずの俺たちに会ってくれるとも思えない。」
「うーん、そこんところはうちのおばあちゃんが何か手を考えてくれると思う。」
あれこれ話をしていると珠子がやってきた。
彩子たちを見つけると、カウンターで飲み物だけを買って彩子たちのテーブルにやってきた。
「で、いつ行く?」
「癌の進行は速いし善は急げだから、あさってはどう? 飛行機のチケットとホテルの手配はアタシのほうでする。」
椅子に座った珠子は、きょとんとした顔をしている。
「二人でどこか行くの?」
そうだったという顔で彩子は、修に話したことを順を追って伝えた。
珠子は目を丸くして聞いていたが、話が「澄」能力の段になると、カップのストローを口にくわえたまま、飲むことを忘れて聞き入った。
「私もそれ、見たかったなあ。」
超能力好きの珠子は、いかにも残念そうな声を出した。
「またいつかネ。でさ、修、なんで珠ちゃんを呼んだの? あ、珠ちゃん、邪魔だって意味じゃないからネ。」
「珠ちゃんにも一緒に行ってほしいんだ。」
「えっ、私も? 何にも役に立たないのに?」
言葉とは裏腹に、珠子は嬉しそうな表情を浮かべた。
「珠ちゃんの協力も必要なんだ。ほらっ、好事魔多しだよ。」
「好事魔多し? JinJinで珠ちゃんがアタシの疲れを取ってくれた時、修は邪気とか何とか言ってたわネ。」
「それそれ。セイラは病気で弱っているから魔が
珠子の顔が輝いた。
「うん、私、行く行く!」
㉕ 彩子たちと中森セイラの接近
修たちと別れて彩子が帰宅すると、リビングで両親と祖母が待っていた。
「彩子、さっき政夫さんと信子に話したんじゃが、わしの知り合いが東京のT病院に入院しておってな。容態が良くないそうじゃから、この手紙を持って見舞いに行ってくれんか。わしはもう東京まで行く元気はない。」
祖母が言ったことは決して嘘ではないので、うまい言い方をするものだと感心して彩子は手紙を受け取った。
「彩子、いつ行ける?」と父親が言う。
「明日が終業式だから、あさってなら。」
「じゃ、パパがネットで飛行機とホテルの予約をとる。東京は修学旅行で行ったばかりだから、一人でも大丈夫だな。」
「それでネ、さっき修と珠ちゃんと会って3人で行こうって話してたの。」
「彩子に付きあわせるのは気の毒じゃないか?」
「いいの。修学旅行ではスカイツリーなんかにも行ってないし、二人とも乗り気なの。」
遅い夕食の後、風呂に入って2階の部屋に上がると祖母がついてきた。
「さっき渡した手紙はな、星子の今の親あてのものじゃ。」
「分かった。でも、いきなり行ってアタシたちに会ってくれるかしら。」
「わしが前もって星子あてに念を送っておくから大丈夫じゃろう。彩子たちの特別な力についても驚かんように手紙の中に書いておいた。」
彩子は祖母を頼もしく思いながらも、テレパシーのことを「念」と言うところが祖母らしくておかしかった。
祖母が部屋を出ると、彩子はパジャマを脱いで上半身、裸になった。
右手を左胸の上にかざして、修にやってみせた「澄」能力を試してみた。
すると、乳房が次第に透けてきて、血管や乳腺が見え始め、これならいけそうだと自信が持てた。
パジャマを着てベッドに横になると、どっと疲れが出てすぐに眠りに落ちた。
冬休みの初日、彩子たち3人は昼前に東京に着いた。
彩子の父は、T病院に歩いて行ける距離のビジネスホテルを取ってくれていた。
チェックインは午後2時からなのでフロントに荷物を預かってもらい、近くの店で昼食をすませてT病院に向かった。
「何か、すごく緊張するネ。」
彩子の言葉どおり、3人は戦場へ赴く兵士のように顔がこわばっている。
その頃、T病院でも、中森夫妻が緊張した面持ちで彩子を待っていた。
夫妻はセイラが入院してからは、プロダクションの業務は部下に任せてなるべくセイラに付き添うように努めていた。
するとセイラは、もうすぐ誰々が来ると言って見舞客の来訪を口にした。
それがことごとく当たるので、最初は驚いていた夫妻も今ではセイラに特別な能力が備わっていることを信じて疑わなかった。
そのセイラが、昨日、引き締まった顔で告げた。
「パパ、ママ、明日はとっても大事な人が訪ねて来るわ。一緒に会ってね。」
㉖ 彩子たちと中森セイラの対面
彩子たちがT病院に着いて入り口の自動ドアが開くと、彩子の耳にセイラの声が聞こえた。
「マッテイタワ」
部外秘であるはずのセイラの病室を受付で尋ねると、話が通じているらしくすぐに受付嬢が彩子たちをエレベーターまで案内してくれた。
「最上階の特別個室Aでお待ちでございます。」
彩子たちは、エレベーターを降りるとコートを脱いでドアをノックした。
どうぞ、との声で中へ入ると、ソファーから中森夫妻が立ち上がった。
ソファーの向こうのベッドで、セイラも上半身を起こした。
ニット帽を被っているのは、抗がん剤等が髪の毛に影響を及ぼしているのだろう。
「初めまして。伊達彩子といいます。」
続いて、修と珠子もそれぞれ名乗った。
「さあさあ、こちらに来て座ってちょうだい。」
中森夫人は、彩子たちをソファーに招いた。
ソファーに座る前に、彩子たちはベッドの側へ行ってセイラにも挨拶をした。
「セイラさん、こんにちは。」
ずっと憧れていたスターであるが、父親違いの姉でもあると思うと彩子は複雑な気持ちだった。
「よく来てくれたわね。ありがとう。」
修と珠子は、挨拶がわりに頭を下げた。
「あら、あなた、美人ね。」
セイラは珠子を見てそう声をかけた。
珠子は顔を赤らめたが、彩子はちょっと不満だった。
珠子は身長こそ170センチ近くあるがやせぎすで、黒縁メガネをかけて髪は三つ編みにしている。
彩子はそんな珠子よりも自分のほうが可愛いいと自負しているのだ。
ソファーに3人並んで座ると、彩子はコートのポケットに入れておいた手紙を取り出した。
「これは私のおばあ……、祖母からの手紙です。読んでください。」
テーブルを挟んで彩子たちの前に座っている中森氏が受取って封を切り、便せんを広げて読み始めた。
夫人も横から顔を近づけて一緒に見ている。
彩子は、手紙の内容をあらかじめ祖母から聞かされていた。
次のようなことが書かれているはずである。
・自分(祖母)の娘(彩子の母の信子)が沖縄でセイラを産み、セイラが東京郊外の施設に預けられるまでのいきさつ。
・自分と孫(彩子)は特殊な能力を持っており、セイラとはテレパシーによって通じ合えること。
・娘夫婦(信子と政夫)には、セイラが信子の産んだ子であるということは知らせていないこと。
・孫(彩子)と一緒に訪問する子も特殊な能力を持っており、セイラの病状の改善に力を発揮するであろうこと。
夫妻ともに真剣な顔つきで読み終えると、夫人が手紙をベッドのセイラに持っていった。
中森氏が彩子を見て言った。
「君が石嶺彩子ちゃんか。」
「伊達彩子です。石嶺は母の旧姓です。」
「ああ、そうか、そうだったな。ところで手紙に書いてあったことは、こちらの二人は?」
中森氏は、修と珠子を気にしていた。
「私が話しました。二人とも知っています。」
「それなら、何も秘密にする必要はないな。」
夫人がいとおしそうに彩子を見つめた。
「あなたがセイラの妹なのね。」
「ええ、そうなるみたいです。」
人気スターのセイラにとって自分の存在はマイナスかもしれないと思って、彩子はあいまいな返事をした。
彩子はセイラ本人の表情を見たかったが、振り向くことは遠慮した。
「あなたのお母様もおばあ様もご苦労なすったのね。セイラを手放すのはさぞかしお辛かったでしょう。」
しんみりした雰囲気を変えるように、中森氏が話題を転じた。
「手紙によると、君たちは特殊な能力を持っているということだが。」
ここで修が初めて口を開いた。
「その証明というわけではありませんが、超能力を持つ者の特徴として目が光るということがあるんです。恐らくセイラさんも。カーテンを閉めて部屋を暗くしてもらえませんか。」
セイラは手紙を読んでもそれほど驚かず、自分の妹にあたる彩子を親しげなまなざしで見ていたのだが、修の言葉を聞くと不思議そうな表情を浮かべた。
中森氏はカーテンを閉め切り、照明のスイッチを全てOFFにした。
暗くなった室内に、六つの目がかすかな光を放っている。
一言も発しない静寂が、夫妻やセイラの受けた衝撃を物語っていた。
修が立ち上がって電気をつけ、カーテンを開けた。
「君たちには驚かされるなあ……。」
中森氏に続いてセイラが言った。
「ママ、私は?」
「あなたも同じよ。どうして今まで気づかなかったのかしら。」
「珠子ちゃんと言ったかな。君は光っていなかったみたいだが?」
中森氏にそう言われて申し訳なさそうに肩をすくめた珠子に代わって彩子が言った。
「でも、珠ちゃんもアタシたちと同じくらいに特殊なパワーを持っているんです。」
「それは頼もしい。目が光ろうが光るまいが、私たちはもう
中森氏はソファーに座ったまま、両ひざに手をついて頭を下げた。
㉗ 中森セイラへのヒーリング
ヒーリングを依頼する中森氏に彩子が尋ねた。
「セイラさんの病状はどうなのですか?」
「セイラは乳腺の密度が高いらしく、9月の人間ドッグの時のマンモグラフィ検査では発見できなかった。かえすがえすも悔やまれる。先月末に入院した時には右胸だけでなく、腋のリンパ節にも転移していた。放射線治療や抗がん剤で進行をくいとめている状態だ。」
「分かりました。右胸と腋ですネ。修、珠ちゃん、始めるヨ。」
修がカーテンを閉め、壁に立てかけてあったパイプ椅子を3脚、ベッドの脇に運んだ。
セイラから見て左側に珠子用として1脚、残りの2脚は右側に置き、修と彩子が座った。
「じゃセイラさん、パジャマを脱いでください。右側だけでいいんですけど。」
彩子はそう言ったが、セイラのパジャマはTシャツタイプだったので右側だけというわけにはいかなかった。
「お願いするわ。」
セイラは、ためらうことなくパジャマを脱いだ。
病気のせいで痩せてはいるが、きれいな形の乳房が二つ盛りあがっている。
修は顔がほてったが、頭を小さく二、三度横に振ると、凛として引き締まった顔つきになった。
「珠ちゃんからお願い。」
うなずいた珠子は、セイラに呼びかけた。
「セイラさん、左手を出してください。」
差し出されたセイラの手を珠子は握手するように左手で握って右手も添えたので、両手で包み込むような形になった。
珠子は、目を閉じてありったけの想いをこめてセイラの平癒を心の内で祈った。
修は、珠子とセイラのオーラを見ていた。
セイラのオーラは案の定、黒いオーラで覆われていたが、基本的には情熱的な赤で、彩子と同じだ。
この色は、念力が強いという特徴もあり、その点でも二人はやはり姉妹なのだなと修は思った。
珠子を見ると、癒しの色であるピンクのオーラの上部に高い精神性を示す金色のオーラが重なった。
金色のオーラは次第に大きくなり、仏像の光背のような形で珠子の頭上を覆うと、反対にセイラを覆っていた黒いオーラのベールが薄れていった。
珠子には、握った手を通してセイラの苦しみや悲しみが自分に流れ込んできて、そしてそれらの情念が浄化されていくのが感じられた。
セイラは穏やかな表情のまま眠りに入っていった。
「ああ、いい気持ち。とってもいい気持ち……」
「珠ちゃんのお蔭でもう邪魔は入らないわ。次は私たちの番ヨ、修。」
彩子は、指で宙に「澄」(チョウ・すむ)と書き、右手をセイラの右胸の上にかざした。
すると、自分の胸で実験したとおりにセイラの乳房が透け出した。
絡み合った網の目のような乳腺の内側に、レントゲンの画像のようにがん細胞のしこりが白く濃く見えた。
「修、これヨ。」
うなずいた修は、手のひらをセイラの乳房の横に当てて目をつぶり、意識を集中して心の中で「ヒーリング!」と唱え続けた。
すると、少しずつしこりの白さが薄くなっていく。
それに比例して、セイラの顔色に健康的な赤みがさしてきた。
珠子は、彩子の「澄」能力を見るのは初めてなので、セイラの手を握ったまま、中森夫妻と同じように大きく目を見開いて見ている。
中森夫妻は目の前で繰り広げられる出来事に最初は驚愕したが、今は、彩子たちの後ろに立って祈るような目で娘の病巣が消えていくのを見守っていた。
「胸はもういいみたい。次は腋のリンパ腺ネ。」
彩子と修が手をのけて彩子が指を鳴らすと、透けていた乳房は元に戻った。
二人は、額ににじんだ汗を袖でぬぐった。
「もうひと頑張りだわ。あの、ちょっとお手伝い願えませんか?」
彩子は、振り向いて中森夫人を見た。
「ええ。何をすればいいの?」
「セイラさんの右手をこんなふうに上に引っ張っていてもらえませんか。」
そう言って彩子は、授業中に挙手をする時のようなポーズで、右手をまっすぐ上に挙げた。
彩子は、セイラの右肩の少し下に手をかざして、再び「澄」能力を発揮した。
昨日、自宅のパソコンでがんの画像を見て予習してはいたが、リンパへの転移を見つけるのは難しかった。
それでも腋から鎖骨にかけて5ミリ以上の大きさに腫れたリンパ節がいくつか見えた。
修がその部分の皮膚に手を当ててヒーリングを施すと、リンパ節の腫れが引いていく。
約10分後、彩子は指を鳴らして中森夫人に言った。
「もう結構です、奥様。」
彩子と修はふうっと大きく息を吐いた。
そして、二人とも椅子に座ったままベッドに両手を突き、土下座するように顔をベッドにうずめて動かなかった。
中森氏が慌てた。
「君たち、どうした!」
セイラの手を放し、パジャマを裸のセイラにかけて掛け布団を引き上げながら、珠子が言った。
「彩ちゃんと修くんは超能力を使うと、とても体力を消耗するんです。」
それを聞くと、中森氏はベッドに突っ伏した二人に向かって合掌した。
夫人も両手で顔を覆ってすすり泣きながら、何度も二人の後ろ姿に頭を下げた。
㉘ 中森夫妻の回想
ヒーリングを終えた直後は疲労のために動けなかった彩子と修だが、暫くすると椅子から立ち上がった。
「セイラさんはもう大丈夫です。アタシたち、帰ります。」
中森氏が慌ててドアの前に立ちはだかった。
「待ってくれ、そうはいかない。今日はここに泊まって行ってくれ。セイラも目が覚めたらお礼を言いたいだろうし。」
「アタシたち、この近くのビジネスホテルを予約して荷物も預かってもらってるんです。」
中森氏は、彩子たちを押しとどめるかのように前に付き出していた両手をおろした。
「それは残念だな。それじゃ、今日のところはせめて食事だけでも。直子、
時計を見ると午後の5時半を回っていた。
「直子」というのが夫人の名前らしく、控室に入っていった夫人が携帯で話しているのがドア越しに聞こえた。
T病院の地下には高級飲食店が並んでいる一角があり、彩子たちは中森夫妻に連れられて中華料理店に入った。
「さあ、遠慮なく召し上がって。」
夫人は予約の電話で料理も注文していたらしく、次々とご馳走が運ばれてきた。
金箔を散らしたフカヒレの姿煮だけでも、彩子はお腹いっぱいになりそうだった。
「さきほどの手紙でそちらの事情を初めて知ったが、私たちも話しておこう。」
食後のコーヒーを一口すすると、中森氏が話し始めた。
「芸能プロダクションのほうは順調にいっていたんだが、私たち夫婦は40歳を過ぎても子供ができなかった。ある時、妻とドライブに出かけると、奥多摩湖付近の道路沿いに児童養護施設があった。するとその施設の門から2、3歳の女の子が道路に飛び出してきたんだ。」
彩子たちは、ウーロン茶を飲みながら話を聞いていた。
「あぶない!と妻が叫んだので私は急ブレーキを踏んだ。本当に危ないところだった。」
その瞬間を思い出したのか、夫人は眉間にしわを寄せた。
「車を降りると施設の職員が走り出て来て女の子を抱え上げ、ひた謝りに謝った。」
彩子が口をはさんだ。
「その子がセイラさんだったんですか?」
「そうなの。」
夫人が中森氏の話を引き取った。
「奥多摩湖でゆっくりしてから東京へ戻る途中、用事があってその日は青梅市のホテルに泊まったんだけど、私たち、昼間見た女の子がどうにも気になってしかたがなかったの。」
「運命だったんだろうな。」
中森氏が遠くを見るような目線で言った。
夫人もうなずいて話を続けた。
「それで主人と話し合って、翌日、施設に引き返して園長さんに養子縁組を申し入れたのよ。引き受けてくださったけど、関係がこじれるケースもあるというので、実の親に私たちのことは知らせないことにして、私たちもあの子の素性は沖縄で生まれた混血児だということ以外は知らされなかったの。」
「そうだったんですか。」
彩子の脳裏に祖母の顔が浮かんだ。
「それにしても君たちはセイラの命の恩人だ。2、3日はゆっくりしていけるんだろう?」
中森氏は何らかの形でお礼をすることを考えているようだったが、彩子たちは明日の飛行機のチケットを予約していることもあり、「セイラさんにもよろしく。」と伝言して、名残惜しそうな夫妻を振り切るようにしてホテルへ向かった。
㉙ セイラへの再ヒーリング
予約していたホテルに午後8時近くにチェックインすると、珠子はともかく、彩子と修は昼間の疲れが押し寄せて、シャワーを浴びると翌朝まで泥のように眠った。
翌朝はホテル内のレストランで朝食を済ませ、10時前にチェックアウトしてホテルを出た。
東京見物もできるようにとの配慮で、彩子の父親は帰りの飛行機の予約を遅い便にしてくれていた。
「空港に行くまでの時間、どうする?」と彩子が言うと、珠子がスマホで近隣の地図を見た。
「ここからなら、東京タワーと六本木ヒルズが近いわ。」
東京タワーまでは1キロちょっとの距離なので、彩子たちは歩き出した。
その頃、T病院では騒ぎが持ち上がっていた。
朝からの診察で撮ったセイラのMRIの画像を見て、主治医が驚きの声を上げた。
「信じられません、右胸と右腋のリンパの癌細胞が消えています! 長年医者をやっていますが、こんなことは初めてです。どうしたんでしょう。」
セイラは、あえて驚いた演技をした後で言った。
「仲のいいお友達がお見舞いに来てくれたので、それがよかったのかもしれません。」
主治医は、それを聞いても首をひねった。
「『病は気から』と言いますが、とてもそんなことで治るレベルではないんですがね。」
本当のことを言うわけにはいかないので主治医には心苦しいが、中森夫妻もセイラも自然に顔がほころんでしまう。
しかし、主治医の次の一言が、3人の笑顔を凍りつかせた。
「この分なら、胸骨の治療にも希望が持てるかもしれませんね。」
中森氏は主治医に詰め寄った。
「先生、今何と? ほかにも転移があるんですか?」
「ええ、進行性の乳がんでステージ3に入りかかっていたので、胸骨にも一部、転移しています。」
主治医が病室を出ると、中森夫妻はすぐにソファーで額を突きあわせた。
「直子、すぐに彩子ちゃんに連絡してくれ!」
「えっ? 彩子ちゃんの連絡先は、私が昨日夕食の予約をしてた時にあなたが聞いたとばかり思っていたわ。」
パニックに陥った夫妻を、セイラはにこにこして見ていた。
「パパ、ママ、私に任せて。」
「ワタ…」
セイラの呼びかける声が、彩子に届いた。
彩子は指で「重」(チョウ・かさなる)と書いて、テレパシーの念波を同調させた。
「ワタシヨ。スグニキテ。」
彩子は指を鳴らしてテレパシーを止め、修と珠子を見た。
「セイラさんが来てくれって言ってる。」
修と珠子はもうテレパシーくらいでは驚かない。
「T病院に電話してみたら?」
彩子はスマホで検索して、T病院の代表番号に電話した。
「失礼ですが、どちら様でしょうか。」
昨日、彩子たちをエレベーターまで案内してくれた受付嬢の声だった。
「昨日、中森セイラさんを訪ねた者ですが。」
「あ、はい、伺っております。内線でおつなぎします。」
電話にはセイラでなく、中森氏が出た。
「君たち、今、どこにいる!」
詰問しているかのように切迫した声だった。
「東京タワーの展望台ですけど。」
「ああ、よかった……。大至急こっちに来てくれないか。詳しいことは会って話すから、頼む!」
中森氏は、彩子の返事も聞かずに電話を切った。
病室に入ると、セイラがベッドを降りて駆け寄り、彩子を抱きしめた。
「昨日はありがとう、彩子ちゃん! パパったら、あなたたちの連絡先も聞いてなかったんだって? あきれたわ。」
「忘れないうちに今、電話番号を交換しましょう。」
中森夫人の呼びかけで3人を代表して彩子が中森夫妻とセイラの電話番号を登録したが、スマホを紛失して他人に見られる場合のことも考慮してセイラの登録名は「石嶺星子」とした。
「私たちに何か急なご用ですか?」
「そうなんだ。今朝主治医の診察があったんだが、癌が消えていたので非常に驚いておった。」
医者の常識では起こりえないことが起こったのだから無理もない。
彩子たちには主治医の驚きが目に見えるようだった。
「そこまではよかったのだが、主治医の言うことには、胸骨にも転移しているというのだ。」
中森氏は話しながら手のひらで自分の胸を上から下へなでおろすようなしぐさをした。
胸骨は、左右の肋骨をつなぎとめている骨、分かりやすく言えば、胸の中央を縦に走っている骨だ。
中森氏の用件を察して修が言った。
「分かりました。昨日の続きをやればいいんですね。」
「君たち、今日帰るということだったが、帰りの飛行機は?」
「羽田発の15時の便です。」と彩子が答えた。
「それなら間に合いそうだな。よろしく頼む。」
彩子たち3人は、昨日と同じようにセイラのベッドの脇に左右に分かれて座った。
カーテンを閉めて薄暗くなった部屋で、セイラはパジャマに手をかけ、昨日と違って少し恥ずかしそうに上半身、裸になった。
ヒーリングで健康を取り戻した分、羞恥心がよみがえったのだろう。
珠子がセイラの左手を握った。
「いい気持ち。何とも言えないくらい楽な気分になるわ。」
修が見ると、セイラを覆っていた黒いオーラはほとんど消えていた。
そのためもあってか、セイラは昨日と違って眠気を感じなかった。
彩子がセイラの胸の上に手をかざすと「澄」能力で胸が透け始めた。
まあっ! 首をもたげてその様子を見ていたセイラは驚きの声を発した。
「セイラ、治療の邪魔だからおとなしく寝てなさい。」
夫人にたしなめられて、セイラは首を枕に戻した。
彩子が透過のレベルを昨日以上に進めていくと、脂肪や筋肉が全て透けて、レントゲン写真のように胸骨が見えだした。
「修、ほらっ!」
胸骨の上部に明らかな異変が見つかった。
修は、セイラの胸の谷間に手を置いた。
途中で二度、手をのけて経過を確かめ、次に手をのけた時には病変はきれいに解消されていた。
彩子が指を鳴らすと、透けていた胸部が元に戻った。
ヒーリングは成功したのに、ふうっと息を吐いて彩子と修はうなだれた。
疲れた二人と対照的なのがセイラだった。
「パパ、ママ、私、身も心も、すっかり元気よ! 魔法みたい。」
「疲れたでしょう。お茶を入れるわ。こちらへいらっしゃい。」
夫人は3人をソファーに招いた。
お茶を飲んでいると、ドアをノックする音が聞こえたので夫人が立っていった。
「奥様、お持ちいたしました。」
プロダクションの社員と思われる女性が3人、それぞれ縦長の紙バッグを提げている。
「ご苦労様。こちらに持ってきて。」
女子社員たちは彩子たちの側に紙バッグを置くと、中森夫妻に頭を下げて病室を出て行った。
「私たちのせいでお土産を買う時間もなかったでしょう。これを持って帰ってちょうだいね。」
バッグを上から覗くと、ゴディバのチョコレートの箱が見え、ほかも高価そうなものばかりが入っていそうに思われた。
彩子は、おずおずと夫人に尋ねた。
「あのう、お土産代はおいくら立て替えていただいたんですか?」
それを聞いた夫人は、目を見張り、次に両手を口に当てて、隣の中森氏に涙声で言った。
「あなた、何て子たちなんでしょう……。」
二度、三度うなずいた中森氏も涙声だった。
「馬鹿なことを言うもんじゃない。君たちはセイラの命の恩人じゃないか。お土産どころか、何億円あげても……」
最後は声が震えて言葉にならなかった。
そろそろ空港へ向かわねばならない時間になった。
自分たちにできることは何でもするから必要な時は連絡をくれるようにと、中森夫妻とセイラに何度も言われて彩子たちは病室を出た。
空港での昼食代にと、中森氏は1万円札を強引に彩子の手に握らせた。
㉚ 祖母の死とセイラの記者会見
12月26日の夜に彩子が東京から帰り着くのと入れ替わるように祖母は沖縄に帰っていた。
「ママ、具合はどう? 頭が重いとか言ってたけど。」
「彩子がいない間に治ったわ。」
「ひどい。それじゃ、アタシが疫病神みたいじゃない。」
口ではそう言ったものの、母親とセイラの体調がリンクしていたことに気づいた。
母親に超能力はなくても、親子としてセイラと深いところでつながっているのだと思うと彩子は胸が熱くなった。
夕食をすませて彩子は自分の部屋から電話をした。
「おばあちゃん? アタシ。」
「おお、彩子か。星子を治してくれてありがとうの。」
「分かるの?」
「ああ。昨日から星子の元気な念が伝わってきとる。友だちの子にもお礼を言っておいておくれ。」
それならヒーリングの経過の報告は必要ないと思い、彩子は中森夫妻の話をした。
中森夫妻がセイラを引き取ったいきさつを聞きながら、祖母は弱々しく「うん、うん」とうなずいた。
「いろいろと世話になったのう。信子と政夫さんにもお礼を言っておいてくれ。彩子も元気でな。」
最後にそう言って、祖母は電話を切った。
その祖母は、年が明けた新年早々の1月4日に亡くなった。
家の裏手の畑で倒れているのを隣家の人に発見され、警察によると急性心不全ということだった。
彩子たち親子3人は、急きょ沖縄へ飛んだ。
祖母を
沖縄から戻ると3学期は既に始まっており、担任の南田をはじめクラスメートが彩子に慰めの言葉をかけてくれた。
放課後、修と珠子は彩子を「バーガー浦川」に誘った。
「彩ちゃんのおばあさん、セイラさんの快復を見届けて安心して逝ったんじゃないかしら。」
「うん。おばあさんにとっては孫なんだから、セイラさんが元気になって思い残すことはなかったと思うよ。」
「おばあちゃんは予知能力があったから自分の死を悟ってたと思う。アタシが最後に電話した時に『彩子も元気でな』って言ったのが、今思えば別れの言葉だったんだわ。」
修と珠子もしんみりと視線を落とした。
「バーガー浦川」はS高に近いので、JinJinよりもS高生の客が多い。
この日も10名ほどのS高生で賑わっていたが、急に話し声が途絶えた。
皆、店の奥に据え付けてあるテレビの画面に注目している。
中森セイラの復帰記者会見が始まっている。
セイラは年末にT病院を退院し「中森セイラ、奇跡の快復」などと騒がれた。
退院後は自宅療養しながらボイストレーニングに励んでいたということだった。
画面のセイラの横には、父親でありプロダクションの社長でもある中森氏がいる。
会場となっているホテルの華やかなライトに照らされ、机上に置かれた何本ものマイクを前にして座っている二人を見ると、彩子には自分の手の届かない世界の人たちに見えた。
芸能リポーターの質問を受けて、セイラが「奇跡の快復」について話し始めた。
「入院中、はるばる九州から3人の高校生たちがお見舞いに来てくれました。これまで会ったことのないような、天使みたいに素晴らしい子たちでした。その3人に私は大きな力をもらって元気になり、今ここにいます。この場を借りて改めてお礼を言いたいと思います。」
セイラと中森氏が壇上で頭を下げた時、彩子も思わず頭を下げそうになった。
記者会見の中継が終わると、店内は再び話し声で満ちた。
「九州のファンって、どこの高校だろう?」
「俺たちが行っても会ってくれたのかな?」
S高生たちのそんな会話を聞いて、彩子たちは面映ゆいような、誇らしいような気持ちになった。
「あれからまだ一か月も経ってないのよね。」
珠子の言葉が、彩子と修の気持ちも代弁していた。
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