第10話 永久結界と影の涙

紗良は柔らかく、とても暖かな手の感触で目が覚めた。

「紗良ッ……」

 目を覚ましたのを確認すると、葵は手を握り返し、無事でよかったとつぶやくように泣き続けた。


(あれ、私……生きてる……?)

 

「あの、紗良のおかげでね、私、結界が、結界を――はることができたの」

 

葵を落ち着かせじっくり聞けば、葵は紗良を助けたくて「聖女の力に目覚めた」らしい。

 

あわせて聖女の力とやらで死ぬ間際だった紗良の傷は瞬く間に治り、こちらの世界の結界は幾重にも張り巡られたそうだ。

今までの結界より、それは遥かに強く輝き、まさに永久結界と呼べるという話だった。

今後、異世界からの召喚をする必要がなくなったと大絶賛だったらしい。

 

「うう、紗良のおかげよ、本当に良かった……!」

「あおい……」

 

自信とうれし涙に満ちた葵をみて、紗良も嬉しくなった。

 だが治った、といっていたが、まだ起き上がろうとする紗良の体は重く感じた。

 周りを見やると、そこにはエドワード王子とレオナルド王子、そして静かにシア姫までも立ち会っていた。

 こちらの様子に、全員が安堵した様子だった。

 シア姫は、ハンカチを手に涙をぬぐっていた。


「私も、葵が無事で本当によかったと思ってるし、……でも、どうして……?」

 「事情があっていわずにいたが――記述によると、賢者や聖女は大切なものの命が危ぶまれたときに、その真価を発揮するとあったからだ」

 「大切なもの?」

 「エドとも聖女は、互いに相思相愛だといっただろう?エドを早々に婚約者にしたのは……そのためでもあった」

 

 その発言に葵とエドの表情が曇る。


 「つまり聖女に結界をはってもらうため、誰かが危険な目にあわねばならなかったんだ」

 エドワード王子は葵と紗良に対し、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 「簡潔にいえば、それは結界を張るための生贄のようなものだ」

 「でも葵、僕は、君のためなら死ねたよ。何度でもね」


 即座にあっさりと言い放つエドワード王子は、実に潔い。

 

「私たち、紗良が起きるまでの間、ずっと話していたの。今回の事情が事情だけに……そんな大事なことを黙っていたのは嫌だった。けど、この人たちなりに、紗良のことを思いやってくれたこともわかったの。一緒にきた友人が死ぬのは嫌だろう、って。だから……やっぱり、婚約は継続することにしたわ」

 

「――!」

 

 「結界が最初からうまくいかなかったのは……出会ったばかりの婚約者より、付き合いの長い親友の方が大切だったからなのかもしれん。いや、聖女たるもの、むしろ、そうであるべきだったのかもしれんがな」

 

 レオナルド王子の言葉に、エドワード王子は頷き、続けざま語った。

 

 「だからこそ、”大切なものが傷つけられた時”というのは危険を意味していたんだ。僕を生贄とするか、君を生贄とするか、で城内や魔導士の連中でそれぞれ意見が割れた。だが、失敗をすれば死ぬ恐れがある――どちらかか、あるいは……どちらもか」


紗良はレオナルド王子の方を見た。

以前聞かれた、”死ぬことになっても?”という問いの真の意図はこれだったのだ。


「事情はわかりました……」

 体をさらに起こそうとしたが、まだ体力までは戻っていなかったのか、やはり重い。

 はずみで逆にベッドに倒れ込むように横になってしまった。

 

「あ、そうだよね、まだ体調は万全じゃないよね……、無理させちゃって、ごめんね。落ち着いたころにくるから」

 すると、シア姫が紗良のベッドへと近寄り、ハグをした。

 そっと静かに、他のものに聞こえぬよう耳打ちをする。

 

「あの、紗良さん。ほんのちょっとでいいから、レオ兄さまとお話してあげて。心配してたし、それにここまで運んできたのもレオ兄さまですもの」

 

なんということだろう――、さぞかし重かっただろうな、と紗良はチラリと思った。

気持ちを代弁するように、シア姫は「大丈夫、紗良さん程度の重さでは、レオナルド兄さまの訓練にならないと思うわ」と慌てて小さく耳打ちした。

 

「運んでいただき、ありがとうございます。レオナルド王子」

 

異性と二人きりという状況で、紗良は少しだけ緊張したが、気持ちを振るうように切り出した。


 「礼は不要だ。少し、いいか?お前の怪我の具合を確認しようかと思ってな」


 その表情がとても昏い。


「しばらく誰もこの部屋に入れるな」

 そうレオナルド王子は、そばにいた医師に声をかけ、手をはらう。

 促されるように、医療術者は一礼をして静かに退室をした。

 やがてベッドの縁に腰かけ、紗良の顔を覗き込んだ。

 

 「いわれてみれば、そうですね。でも、なんだか傷は全部消えてそうです。あの時、一番痛かった腕だってこの通り――」

 

 袖を大きく腕まくりをして、傷のなさを紗良は確認した。

 嘘のように、ガラスの破片や石で砕かれた、あの跡は消えていた。鈍く響いていた痛みもない。

 絶賛されるほど聖女・葵の力はかくも素晴らしいものだったのだ、と実感した。

 

 やがて、レオナルド王子はじっと腕を見つめていたかと思うと、紗良の腕を優しく取った。

 思わず伝う体温に、なぜと紗良の脈拍が上がる。

 

 「……本当にか?念のため、見るぞ。何があったら、責任を取るといったからな」

 「え、と。でも、このとおり……なんともないので、責任とやらは不要では?」

 

腕に触れた武骨な指の感触が伝い、やたらと顔を火照らせる。

滑らせる指がさらに胸をくすぐらせた。レオナルド王子の思惑は紗良には図りかねる。

思わず、顔を逸らしてしまった。

 

「どうした?本当にケガをしていないか、確認してるだけだが?」


表情がとてもたのしそうに見える。

 ――からかわれている、のだろうか。


 とはいえ葵の聖女の能力で傷は完治したということだが、自分では腕などの目に見えるところしかわからない。

 

一番ひどかったのは覆いかぶさった時にガラスが刺さった背中であろうが、それを見せるのは断固として拒否した。

 相手がいかに自分に興味なかろうが、それを見てどう思おうが――それは紗良自身の気持ちの問題だ。

 

 「まあ、いいだろう。確かにこれなら大丈夫そうだな」


すでに医療従事者が診ているだろうし、そもそもそれを聞いているならば丹念にみなくてもいいのではないだろうか。

紗良は恥ずかしさ、かつ恨みつらみもこもった視線を向けた。

 

 「じゃあ、お互いに、よかったですね?」


紗良は息をつき、座っていたベッドの端へ端へと離れるように静かに下がっていった。

 

 「……ああ、そうだな」

 

 レオナルド王子の表情は曇った。

 

「皆、聖女の力と永久結界に目を奪われているが――その真の功績は影に潜められていると、俺は思う」


なんともいえない沈痛な面持ちに、紗良は首を傾げた。

 

「紗良、お前だ。本当にありがとう」

 

 その言葉が心に響くように、胸が熱くなる。

 

「でも、私はただ、葵を助けたいと思ってかばっただけで……」

「それで、十分だ。俺としては――命をかけて助けるその行動そのものが、聖女の功績に値するものだ」


 胸が、ずしん、とまた重くなった。

 

「……あの時、怖かっただろう」


 いわれ紗良の目から涙が溢れ出した。

 

 ――そう、怖かった。

 とても痛く、冷たく、息苦しかった。

 無我夢中だったが、痛みが永遠に感じられるほど、長く思えて……それも怖かった。

 

 「……はい……」


 肩が震える。

 

 レオナルド王子は、そのまま黙りこみ沙良を引き寄せ、優しく抱きしめた。

 その体温に、またあの時の恐怖が、痛みが蘇る。


 祈るように――すがりつくように、しがみつくように紗良も背中に手を回した。

 嗚咽をこらえ、服を掴む。

 

 ああ、自分が考えていたより、無理をしていたのかもしれない。


 ――でも、私は、私なりに、役に立てただろうか。

 

 そして、ただ一人、自分の苦しみと思いを受け止めてくれるものの腕の中で、紗良は静かに声を殺しながら泣き続けた。

 

 

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