第8章 聖女と結界

自室に戻り、蒼くところどころがひび割れたステンドグラスの空を思い出し、紗良は震えた。

 部屋の扉を閉めようとするレオナルド王子の腕を、紗良はつかんだ。

 

「あの、それで、庭園がめちゃくちゃになったのは……」

 

 この世界で何が起こっているのかを知りたい。そもそも、連れてこられたことや状況、結界がなにか、なにがどういうことなのだろうか――いろいろと分からないことだらけだ、と紗良は思った。

 「……入っても構わないか?」

 

 一声かけられ、紗良は頷いた。

 やがて、レオナルド王子は紗良の部屋に入り、紗良は近くの簡易な椅子へと案内した。

レオナルド王子がそこへ腰かけたのを確認し、紗良はベッドに腰かけた。

 

「さっきは説明をせず、危険な目にあわせてしまって、悪かった。……要するに、この世界の結界が消えそうだ、ということだ」

「それは、どういうことでしょう?そもそも結界、ってなんですか」


レオナルド王子は、頷くと静かに語った。


「伝承によるとこの世界は平たく、空に浮いているそうだ。『天動説』という。まあそのあたりの詳細は長くなるから割愛かつあいするが、空から岩が降ってくるのはこの世界を護るものは結界だけなんだ」


レオナルド王子は、紗良の視線を受け止めるように続いて話した。


「賢者や聖女は、あの空から無数に降り注ぐ岩や石を防ぐ結界をはれる唯一の存在だ。結界が切れる前に、何度か召喚を試したがうまくいかなかった。召喚の儀式は簡単でな。その後、選定と引き込みに対し大量の魔力と魔術が必要となる。数年の間、聖女も賢者も現れず、進捗が進まない状況で……やっと現れたのが、今回のお前らというわけだ」


 「聖女が葵で、結界を……」

 紗良は乾いた唇を震わせた。無性に涙が込み上げてくる。

 つまり、あのステンドグラスのようにみえた空は、前回の結界かなにか、なのだろうか。

 

 「前回は賢者だった。が――あれから百年以上も経過してるからか、結界は相当弱まってる。その弱い部分から石が時折、石や岩のようなものが振ってくるということでな。それで、怪我人が絶えない。それに、今でこそひび割れた箇所がまだ大きくないことから死者が運よくでていないが……結界はもはやいつ壊れてもおかしくない。そうなると考えるだけでも恐ろしい」


「つまり、葵が新たなその結界をはる、という役目だということ……?」


「ああ、だから今、まさにそれを担になってもらってる。それも、早急にだ。だから、結界ができなければ……この国は、いや、正確には……この世界すべてかもしれないが――ただ滅ぶだけだ」

「でも、それならなぜ」

「この国だけなのか?他国はなにもしていないのか?といいたげだな」

 紗良は頷いた。情報がなく、この国やこの世界の規模を知らない。ゆえに、他国や他に賢者や聖女はいないのか疑問だった。


「他国では召喚の成功例がない。先ほどもいったが、魔術の技量と魔力をためこむことが難しいんだ。隣国で試しているところもあるがな……」


「そんな、でも、葵じゃなきゃダメなんですか?」

「そもそも十分な魔力の量や能力がない。お前は、今すぐに魔法で宙に浮けといわれたら、できるのか?」

「……それは、できないですが……」


「難航している、ということは、結界を張るのは、難しいんですか」

「方法は……あまりよくわかっていないんだ。なにせ前は100年前だ。記述も”賢者や聖女ならできる”というような、曖昧な感じでな」

 「そんな大事なことが、どうして、わからないんですか?伝承として、きちんと都度、記録しておけば――」

 「それをどう発動するかは、説明しようがない、と書いてある。お前は息の仕方や歩き方、声の出し方……当たり前のようにごく自然にできてしまうことを、どう伝える?」

 

 返され紗良は言葉に詰まった。

 息を、吸って吐く。このやり方を、伝えろといわれても――。思わず、かぶりを振った。

 

 「――つまり、それと似たようなことだということだ」

 

(そんな!?もしかして、葵……困ってたりするんじゃ……)

 葵のことを考え、紗良の胸が心配で詰まる。


「あの私に、何かできることは――」

「では何ができる?お前に.。しかも、魔力はないんだろう?」

「それはわかりません、ただ」


 どうしたものか、頭の整理ができぬままレオナルド王子を見上げた。

 

 「私は、葵の友達です。ずっと、長く過ごしてきた親友です。だから、もし彼女がとても苦しんでいるなら、一緒に苦しみをわけあったり……一緒に考えたり、できるんじゃないでしょうか」

 

 紗良はきっぱりと答えた。

 そこに微塵も迷うことはなく、レオナルド王子をしっかりと見据える。

 

 「――先ほどの質問へと戻るが」

 いうとレオナルド王子は考えるように視線を伏せ、腕を組んだ。


「死ぬことになっても、か?」

「死ぬかどうかで問われると、まだ実感は湧きませんが……」


 目を伏せ、言葉をつむぐ。

 

 「それに、このままだと全員が死ぬのでしょう?それなら」


 決意するように、手のひらをギュッと、自分の膝の上で握る。


 「それなら最期に、友達に、会いたいじゃないですか」

 レオナルド王子はいわれ何かに気づいたように、顔を上げた。紗良の顔をじっと見つめ、考えているようだった。

 

(いまは、葵の、辛さを少しでもわけあえたら……相談に乗れたら……)

 

 そんな大変なことになっているとは知らなかった。

 あれでは、庭園で侍女たちに絡まれるのも納得だ。

 

 知らなかったとはいえ、これから世界が滅びそうだというときに、呑気に部屋に閉じこもっていたり、お菓子を作っていたりしては。

 例え自分のせいでなくとも……八つ当たりだとわかっていても、それどころでない人たちは、責めたくなるのかも、しれない。

 私が知らないことに、腹を立ててたのかもしれない。

 

 「……俺たちはお前の、お前たちの気持ちを、考えていなかったな」

そう返され、レオナルド王子は椅子から立ち上がり近寄る。

 長い指で紗良の頬についた涙をぬぐい、もう片方の手で頭を撫でた。

 

(あ、わたし……泣いてたんだ……)

 

 「悪かった。考えを改めよう。……これから何があっても、俺が責任を取る。では、すぐに聖女に会いに行くぞ」

 「あり……がとう……ございます!」

 肩に手を置かれ、紗良は涙をぬぐい頷き、葵に会えることが嬉しく満面の笑顔になった。

 

 「……ああ」

紗良が顔をあげると、レオナルド王子の顔がほんのりと赤くなった気がした。

涙が落ち着いたころ、葵が主に要る場所へと共に向かうことにした。

 

(でも、って……?)

 レオナルド王子の不穏な一言に、心がざわついていた。

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