第1章 聖女認定

どのくらいの時間が経過したのだろう。


静かに耳元に届く複数の足声で、紗良はその目を開いた。

葵がしゃがみ込んでいて、横たわる紗良の横で心配そうに様子を見つめていた。


「あ……葵……?」

 ぼんやりとした頭と瞳で、紗良は葵を見返した。

「紗良!良かった、起きてくれて」


紗良の無事を確認し、葵は涙ぐむように、ほっと息をついた。

葵は不安をかき消すように、紗良の手をしっかりと握る。あたたかな葵の手は、束の間の安心をもらたした。


(――ここはどこだろう)


 紗良は葵に体を寄り添うようにしてゆっくりと上体を起こし、周りを見渡した。

大聖堂のような――色彩豊かなステンドグラスが輝く天窓。その上部より降り注ぐ太陽光。


指先に触れるように、紗良の通学バッグも落ちていた。

通学バッグの周りには、まだ不思議な光る文字があったが、それも見ているうちに、やがて消えていった。

 ふと手元によせようとすると、直後に慌ただしく豪勢な扉が開いた。


瞬く間に白いローブの老人たちが大聖堂内になだれ込んできたのだ。

 いや、よく見ればローブ以外の人間も、それも若い者が何人かいるようだ。


「間違いありません、やっとです」

「念願の聖女様がいらしたのです」

「百年ぶりでしたが、伝承は間違いではありませんな。これでやっと、やっとこの世界が――」


老人のしわがれた声が大きく大聖堂に響き渡る。

 その大きな流れの中央には他とは妙に雰囲気が違う、貴族にもとれる洋装に身をまとった二人がいる。

 年齢は紗良や葵と同じくらいだろうか――その男性とも男の子ともいえる二人が、近づいてきた。


「ようこそ、聖女さま」


金色の丁寧な刺繍がある白い服の男の子が一人、葵をみるなり歩み寄る。

美男子、という言葉がぴったりの整った顔立ちに、輝く黄金の髪と真紅の瞳。

爽やかな笑顔を浮かべひざまくと、座っていた葵の手を取り、手の甲に口づけを落とした。


「きゃあっ」


反射的に手を引き、頬を赤く染めるその姿はとても可愛らしく――まるで映画のワンシーンのようだ。


「おい、エド。おどろいてるだろ」


そう声をあげたのはもう一人の男の子だ、こちらは黒い服に身を包んだ男の子。

だがその顔を紗良が見た瞬間、思わず息をのんだ。

雰囲気は違うものの、こちらも整った顔立ち、同じくルビーのような透き通った赤い瞳だったが――冷たい視線を感じる。

そして――固い表情を浮かべて、こちらを少しだけ警戒している、といった雰囲気であった。

それは柔らかな表情を浮かべている男の子に比べ、妙に対照的といえた。


双子、というよりは一つか二つ年が離れていそうだ。

雰囲気からすると白服が兄で黒服が弟といったところだろうか。


葵は二人を見比べ、おずおずと遠慮がちに尋ねた。


「あの、ここはどこでしょう?」


白服の男の子はそれに対し、うやうやしくお辞儀をした。


「これは失礼しました、聖女様。ここはイリア城です。そして私はこの国の第一王子エドワード、この黒い隊服を着ているのは第二王子のレオナルドです」

「あ、名前、ですか……。えっと私は野村葵といいます。よろしければ、葵と呼んでください。こちらは私の親友の神崎紗良です」


双方名乗ったことでエドワード王子は、より爽やかにほほ笑んだ。


「では葵さま。せっかくですので、私から簡単にご説明いたします。この国では百年ごとの結界をはる作業をする際、他の世界より結界をはれる方を召喚することになっています。これまで老若男女問わず召喚され、男性なら賢者様、女性なら聖女様とお呼びしております。――今回は葵さま、は女性でしたので……つまりは聖女様と呼ばせていただいたという訳です」

 

「せいじょ……?結界をはる……?」

 

 葵は泣きたいような、すがるような瞳で、紗良の方を向いた。

 だが、紗良にとっても、その言われている意味がわからず、ただただ首を振るしかできない。

 

「私は力なんてありませんが」

 

葵が申し訳なさそうにそう語ると、ローブの老人が割り込んできてゆっくりとかぶりを振った。


「なにぶん、前回は百年ほど前につき、この説明は文献をもとに語らせていただいております。魔力をもとに対象者を探すため、呼ばれた者が結界の力がない――というのはあり得ません。そうでなければ、召喚そのものが発動しない。わたくし共はあなたが、どのような生活をされていたかは存じません。しかし、この世界では人によりその容量こそ違いますが”魔力”が存在しております。ゆえに――」


老人が軽く杖を振り、葵の周りに文字が浮かび上がった。

この世界に呼び出された、あの青く光る文字。

その文字は葵に触れ、より輝きをました。


「ともあれ、文献によると、召喚された方は以前の世界がどうであれ魔法が使えるようになるようですな。それも、この世界の者より遥かに強力な……神聖なる魔法力を。その光に導かれたあなた様はたがいなく、まごうことなき聖女様でございます」


老人の皺が深くなり、目元にはわずかに涙が浮かび上がった。そして、葵へとひざまいた。

 他のものも続々と、それに続き、葵に向かって跪く。

 葵は「やめてください、どうか、皆さん顔をあげてください」というものの、誰も聞く耳もたずだった。


「ところでもう一人いるけど、コイツは?」


黒い洋装のレオナルド王子は唯一立ったままで、”聖女葵”に構わず、横にいた紗良のことをずっとみていた。

いや、この場合は観察していたという方が正しいのかもしれない。


「それは聖女様ではありません」


――コイツ、といい、それ扱いといい、どういうことだろうか。

紗良は少しひっかかったが、今この場で聞きたいことはそのことではなかった。


「あの、私たち……元の世界に帰れるんですか?」


紗良は意を決し、レオナルド王子たちの視線を振り切るように老人へ声をかけた。


「なんと、帰ると?当然、無理に決まっておろう。召喚の儀式そのものは条件がそれえばできるが、その後が問題でな。現れたものをこの世界に引き込むだけで城にためた何十年分かの魔力が消費されたのだ。よしんば帰すことができたとして……数十年後と考えるのが妥当なところだろう」


その返答に二人は言葉を失った。

 

 「うそ、でしょう?」

 「嘘ではございません。我らは引き込む方法はわかれど、戻す方法など知りませぬ」

 そう老人は神妙な表情で答えた。

 

紗良と葵は、「戻せない」という、その言葉がじわりと頭に入ってくるのを拒否するように首を振った。

 

「帰れ……ない?嫌よ……なんで……?」

「そんな、葵……」


ただ孤独をわけあえる親友がここに居たことが幸いで、お互いに抱きしめあって泣き崩れるしかなかった。


――起きれば終わる夢であることを信じて。

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