完全版 聖女もどきのお菓子な婚約

岩名 理子

序章 異世界転移

それは、ほのかに暗くなり始めた下校時刻のことだった。

校庭のかたわらを、栗色の髪を揺らした美少女がゆっくりと歩いていた。


「葵、今帰るところ?」

声をかけた一人の少女は、葵と呼ばれた栗色の髪の美少女の背中を後ろから軽くたたいた。

 「あ、紗良」

 思わず、葵に笑みが浮かぶ。

紗良と呼ばれた方の女の子は、吹きすさぶ風に黒い髪をなびかせた。

 爪の先までしっかり手入れをしている葵に比べてしまうと、紗良は化粧っけがなく、それは互いの髪色も相まって、二人が並んでいるとなにやら正反対に見えてしまうくらいだった。


 だが、二人はとても仲良しだった。幼稚園、小学校、中学校……。

 クラスは違っても、腐れ縁というほど仲の良さが二人の間にはあり、そこに壁はない。


「一緒に帰ろ。最近、ちょっと寒くなってきちゃったね?」

 葵の言葉に紗良は二つ返事で頷く。

 ふと吹いた風に互いに震え、上着持ってくればよかったね、などと明るく声をかけあった。


 そして、紗良は「あ!」と思い出したようにいうと、やがてカバンをさぐると、ピンク色の紙袋を取り出した。


「ふふ、今日はね……クッキーを焼いたんだ。なんとバニラエッセンスを持参したの。だってさ、料理部の部室にあるやつ……賞味期限が切れてたんだもん。香りとして大事だと思うんけど、これってだれも使わないのかなぁ?」

「私も使ったことないけど……それって、必要なものなの?」

「まあ、いらないっちゃいらないけど……私は大事だと思うかなぁ。入れないと、仕上がりの香りが違うんだよね。とはいえ、確かにたくさんは使わないかも。使いすぎると、びっくりするくらい不味くなっちゃうし」


バニラエッセンスの瓶から、風に乗った甘い香りが鼻をくすぐった。

それだけでクッキーを食べたくなるような、とても芳醇な香りに、おもわず葵の顔もほころぶ。


「ねえ、クッキー余ってる?良かったら……食べたいな。一つちょうだい」

 「もちろん!葵が欲しい、っていうならこのクッキーだって全部持っていっていいよ!」

 「もう!そんなに食べないよ。私を太らせる気?」

嬉しそうに二人が笑いあった瞬間のことだった。

 

葵の足元が青く光り輝き、見慣れぬ文字が舞いあがる。

 ――細く線のように回転し浮上すると、それは瞬く間に葵を包み込み、やがて床へと分散され広がっていく。


 「なに、これ?」

 葵は困惑していた。

 出ようと、足を動かそうとすると葵のかかとに張り付いているかのように、へばりついているかのように――足から文字は離れない。

 そして言葉を発した次の瞬間には、魔法陣は完成していた。


「「ええっ!?」」

二人が驚くのも無理はない。光った魔法陣は、

 ぶ厚いコンクリートの地面へと葵を沈ませはじめたのだ。慌てて紗良は葵を助けようと手を伸ばした。

 

「いやああああ!助けて!」

 葵は混乱し通学バッグを放り投げ、悲鳴を上げた。

 わけのわからぬ展開に、恐怖に震え膝が落ち、さらに体が沈み込んだ。

 

「葵、私に捕まって!」

 紗良は葵の手をつかんだ。えもしれぬ、「なにか」を感じる。

 それは、葵ごと引き込もうと引っ張ってきたのだ。

 

(なに、これ――)

 通信の人間ではありえないほどの力で、紗良も地面へと沈み込む。

 まるで、重力がそこだけやたらと重くなったように――。

 這い上がろうと通学バッグを置き片手をつくと、手まで漬かってしまった。

 

「だ、誰か―ーーーー!」

 運の悪いことに誰もおらず叫びは届かなかった。

 葵も紗良もなすすべなく地に這う魔法陣へと吸い込まれ続けていった。

 

そして――葵を包む光はついに紗良をも飲み込み、静かに二人は”現代”から完全に消失した。

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