十五話 市川美海 『死にたくなる屋上』
―――
……成程。
今度は、この学校の七不思議を知ろうとしているというわけだね。
他の語り手から聞いているかもしれないが、この学校にまつわる怪談は幾つも存在する。
その中で『七不思議』と呼ばれる話を抽出する事が出来るのはごく僅かな人間しかいないし、その全てを知っている者も少ない。
どの話が七不思議と呼ばれる怪談か、そうでないのかを判別出来る生徒は殆どいないらしいよ。
私も……実は、七不思議の全てを知っているわけではないんだ。
怪談好きな人間は意外と多くてね。幾つもそういった話を聞いているし、どの話が七不思議に該当するのかという話はまるで出回っていないんだ。
……疑問に思うだろう?
幾つも……それこそ数十もこの学校の怪談はあるというのに、『七不思議』というカテゴライズが存在している意味は謎のままさ。
どれが七不思議の怪談でも、別に問題はないだろう?だが、それは確かに存在している。泉水北高校の、七不思議と呼ばれる怪異が。
……キミに、その謎を是非解き明かしてほしいね。
だから、私が知っている……確実に七不思議に該当している怪談を一つ、話そう。
怪談というには少し相応しくないかもしれないな。
これは……なんというか、『現象』に近いんだ。
この泉水北高校のある場所にまつわる、現象。
特定の人間が関わる事になってしまう不可思議な現象の話さ。
……この教室の、上。
『死にたくなる屋上』の話をしよう。
―――
不気味なタイトルだろう?
だが、キミは聞いたことがあるんじゃないかな。この学校の屋上から飛び降りて自殺した生徒がいるという話を。
少なからず、学校で自殺をした生徒がいる、という話はどの地域、どの学校でも共通して噂される事だろう。
それが例え根も葉もない噂でも、真実であったとしても。
そして、その一つに飛び降り自殺という方法がある。
あまり人の死に関してとやかく言うのも良くないのだろうが……飛び降りという自殺方法について、キミはどう思うかな。
私は……なんというか、一瞬の思い切りで死に直結してしまう、恐ろしい方法だと思うんだ。
例えばよくあるカッターナイフで手首を切るという自殺方法。
あれは動脈をしっかり切らないと死に至ることは殆どないし、相当深く切り込む必要があるからそこまで傷が達する力で手首を切れる人間がいないんだ。
どうしても心理的なブレーキが働いたり、あるいはそもそも死ぬ気がない自傷行為という場合が殆どで、死ぬような激しい出血をすることはない。
首吊り自殺についても同様で、ロープを上手く張れていなかったり、躊躇って脱出したりする人間も多くて半数は未遂で終わるそうだ
それに比べて……飛び降り自殺は、その覚悟を決めてしまえば、後戻りは出来ない。
この学校の屋上の高さは知っているだろう?三階ある校舎の屋上。高さにすれば十メートル以上……頭から転落すればまず、命はない。
ほんの一瞬、飛び降り自殺をするという覚悟をしてそこからジャンプをしてしまったら、もう現世には戻れない。
空中で姿勢を変えるような術を知っているはずもなく、それを行ってしまった生徒は数秒空中で
後悔しても、もうどうする事もできない。生きたいと願っても、それは叶わない。
一度飛び降り自殺をするという決意と行動をしてしまったのなら……もう、どうする事もできないんだ。
勿論、運良く足から着地をして命は助かったり、木をクッション代わりにして軽い傷で済んだなんて例も幾つも存在するだろう。
だがそれは所詮、運によるものさ。自分の力で助かることができた、というケースは稀なんじゃないかな。
屋上から足が離れたら……もう次に見る景色は、この世界じゃないかもしれない。
そしてその覚悟は、ほんの一瞬してしまったら最後。軽い気持ちでやった、なんて言い訳は誰も聞いてはくれないだろう。
コントロールできない死が、そこに待っているんだ。
……どうだろう。
飛び降り自殺、というものについて、少し考えてくれたかな。
勿論、それに至った過程や心情というのは耐えがたいものがあるのだろう。現世に居続けられない理由も、恐らく重く深いものに違いない。
だが人間の心のブレーキというのはある程度しっかり働くもので、生きていたい、生き続けたいという気持ちを遮ってまで自殺をするというのは相当追い詰められた人間にしか出来ない事だ。
屋上から、数十メートル先の地面へ飛び降りようとするなんて……普通の人間には、まず出来ない事だ。
……だが。
この学校の屋上には、奇妙な噂が存在している。それが最初に話した『現象』……。
そう。自殺したくなるんだよ。
勿論、全ての人間がそうなるとは限らない。だが……まるで魅入られるように、そんな感情をふと抱いてしまう生徒が現れるらしいんだ。
実はね、この屋上から飛び降りて、運良く助かった生徒もいたのさ。
数年前にそんな事をした男子生徒がいたんだ。名前は知らないのだけれど、その時の体験談があまりにも奇妙で、密かに先生や生徒達の間に伝わっている話だそうだよ。
その生徒は、特にそういう事をするような理由がなかったらしいんだ。
成績は中の中、まだ進路について悩む学年でもなく、学校生活は順風満帆……。スポーツ系の部活動に取り組んでおり、先生の知る範囲ではイジメや体罰に深く関わるような事もなかったそうだよ。
その時は、この学校の屋上もまだ生徒達が自由に出入りできるような環境だったらしくてさ。
件の男子もなんとなく、そこに立ち寄っただけだそうだ。大方、早弁かなにかで休憩時間にそこに訪れただけじゃないか、という噂だよ。
その男子生徒は、階段を上って屋上へ続く扉を開けた。
鉄製のドアを開くと、そこに広がるのはどこまでも広がる青空と流れる白い雲。
校内の曇った空気から一変、爽やかな風が自分の前から背後へと吹き抜けていき、柔らかな日差しが身体を僅かに暖める春の陽気。
思わず男子生徒は深呼吸をし、胸いっぱいに新鮮な空気を取り入れた。
そして、こう思ったそうだよ。
「よし、死のう」
…………。
意味が分からないだろう?
あまりにも脈絡のない、唐突なその考えが……まるで自分の頭から自然に発生したように浮かんだらしいんだ。
男子生徒のその考えは、なんというか……あまりにも気軽な感覚だったそうだよ。
まるで「少しだけやってみよう」とでもいうような、些細なチャレンジ精神。「ちょっとやってみようかな」というような気まぐれな冒険心。
そんな感覚で…… 「死んでみようかな」と思ってしまったらしいんだ。
そして彼は階段からつかつかと歩いていき、当時はまだ余裕で乗り越えられる高さだった鉄柵を乗り越えて……。
躊躇することなく、アスファルトの地面からなにも存在しない空へと身体を前に出してしまったんだ。
「え……?」
その時初めて、彼は我に返った。
自分は何をしているんだ。
そんな楽観的な、意味の分からないチャレンジ精神で飛び降り自殺なんて、どうかしているだろ。そう自分の心に自問した。
だがそう思った時には、自分の身体は既に宙に浮いていたんだよ。
「うわあああああッ……!!」
重力が次第に彼の身体を、数メートル先の地面まで連れて行く。
制御できない加速が男子生徒をそこまで連れて行き……その先に存在するであろう、死という未来を彼の脳裏に予見させた。
何故。
どうして。
あんな考えを行動に起こしてしまったんだ。
その疑問と後悔が頭に上っていく前に、男子生徒の身体は硬い地面に……。
……。
というところで、彼の身体は運良く助かったんだ。
彼が身を投げた先に、偶然にも高い木があったらしくてね。
春だったから葉が生い茂っていたらしく、彼の身体を抱き留めるように枝葉が受け止めていってくれたそうだ。
バサバサと葉を散らしながら彼の身体は減速していき……どすん、と地面に辿り着いた。
幸い……彼の身体は、軽い打撲と擦り傷だけで済んだそうだ。まさに奇跡……というべきだね。
慌てて駆け寄ってきた教師陣達に、彼は自分の今の状況をどう説明しようか、困り果てたそうだよ。
―――
…………。
言いたい事はなんとなく分かるよ。
何故、どうしてそんな事件になってしまったのかが気になるというところだろう?
今キミにした男子生徒の話は、彼の体験談が伝えられ、噂になったものだ。
九死に一生を得た……そんな奇跡的な体験の話でもあるが、焦点は「どうして自殺をする理由もない彼が屋上から飛び降りたか」だ。
先ほども触れたように、彼はそんな事をする気は毛頭無かったわけだし、死にたいなど今まで考えた事もなかった。
だが彼は、飛び降りてしまったんだ。
そしてこれが、学校の七不思議となっている。
「あの屋上に行くと、ふと飛び降りたくなる衝動にかられる時がある」……とね。
「死にたくなる屋上」……。屋上が、この学校の怪談スポットなんだよ。
……少し、この話に関する「説」のようなものがある。彼が飛び降りた理由についてだ。
それは……「誘われたから」。
この学校に巣くうなにか。あるいは、この地域……この世界に蔓延る、なにか得体の知れないもの。
普段は目立って人に対して危害は加えないが、ふと一人の人間を見つけると、自分達のいる闇の世界へ人間を誘い込むのさ。
人の心に入り込み、あたかもそれが自分自身の考えであるかのように植え付ける。そしてその対象を、死へ導く……。
何故そんな事をするのか?さあ、それは分からない。
けれど……一人が寂しくて仲間が欲しい時は、誰だってあるだろう?ふふふ。
それがなにかは分からない。けれど、死へと誘う邪悪なものの存在は古今東西、様々な世界で語られてきているだろう。
事故、事件……未解決な部分が多ければ多いほど、目には見えない邪悪なものが人を死へ誘っているという「説」は色濃くなっていく。
……誰かから聞いているかな?
この学校は、そんな風に誘われて死を選んでしまった人間がかなり多いらしいからね。
……忠告しておこう。
「怪談あつめ」という行為をしているキミにだ。
キミのしている行為は、その目には見えない邪悪なものの世界に近づこうとする行為だ。
幽霊や、物の怪……怪異という存在は、それを語れば語るほど存在が実体化していき、そしてそれを語る人間の元へと近づいてくる。
それでもキミは「怪談あつめ」を止めるつもりはないのかい?
……そうか、それなら、止めはしまい。
私も、興味がないわけではないからね。けれど……もし私は、自分が危ないと感じたら手を引かせてもらうよ。
私はまだ、死を選ぶつもりはないからね。あくまで私は……生の上に立っていたい。
これは、確固たる私の意志だ。
……キミも、気をつけて。
―――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます