十四話 小田原紫織 『七番トイレの怪』


―――


 ……え?

 次にあつめるのは……この学校の……『七不思議』?


 ……あ……。

 あはははは。

 

 すごいね、キミ。

 この学校には確かに、七不思議は存在するよ。

 でもそれを知っているのはほんの少し、ごく僅かな人だけ……。わたしだって、その全てを知っているわけじゃないの。


 どうしてか分かる?


 知っての通り、この学校には七つじゃ収まらないくらいの怪談があるの。

 既にキミも、他の人から聞いているはずだよね。沢山の怖い話を……。

 そのどれが『七不思議』に該当するのか、正確に知っている人が少ないっていう事なんだよ。

 

 どうしてこの学校に、そんなに多くの怪談が存在するのかは分からない。

 ひょっとしたら、学校だけじゃなくてこの町になにか悪いものが存在しているのかもしれない。この学校だけじゃなくて……ね。

 

 でも、確かに怪談は多い。これは紛れもない事実だよ。

 ひょっとしてキミは、その謎を解き明かそうとしているのかな……?


 ……そろそろ、教えて欲しいけれど……。

 まあ折角だから、まずはわたしの知っている七不思議の一つを話してあげようか。


 ふふふ。

 別に、今までより特段怖い話でもないよ。

 あくまでわたしの知っているのは、この学校に『伝わっている』七不思議と呼ばれる怪談の一つって事。

 今までのお話は、わたしや……きっと他の人も、独自に調べたり聞いたりした話だと思うの。

 

 でも『七不思議』と呼ばれる怪談は違う。


 古くから、受け継がれるように存在する怪談。

 いつ、どこで、どうやってその怪談が生まれたかは分からない。

 けれども語り継がれ、まるで警告をするように存在してきたお話達。


 ……この学校。


 泉水北いずみきた高校に、ね。



 それじゃあ、話を始めようか。


 この学校に伝わる……。


 『七番トイレの怪』について。


---


 学校のトイレっていう場所には、怖い話がつきものだよね。

 キミも、小学校の頃に噂の一つや二つ、聞いたことはなかった?

 便座から手が伸びてくるとか、鏡に映る自分の背後に不気味な影があるとか……。花子さんなんて、全国どこにでもある有名な怪談だよね。


 どうしてトイレっていう場所にまつわる怪談が多いのか、わかる?

 ひょっとしたら誰かが研究して論文でも出しているのかもしれないけれど……わたしは、なんとなく分かるかなぁ。

 閉鎖された狭い空間。冷たいタイルの床に、綺麗とはいえない学校独特の古びた造り。教室や廊下の喧噪が遠くに聞こえ、まるでそこだけが異界のような静けさに包まれる場所……。

 夜の学校のトイレなんて、想像しただけでも怖いよね。


 トイレってさ、まあ要するに……個人的な空間、なわけでしょ?

 生理的な機能の場所で、絶対に誰にも立ち入られたくないスペースがあるわけで……まあ、そこは女の子の方が強いかもしれないけれど。

 つまりは、孤独な場所なの。人が大勢いる学校の中であっても、孤独でなければいけない場所……。

 当たり前の話だけど、その孤独感が恐怖をかさ増ししているんじゃないかなぁ……って、これがわたしの考え。

 一人でいなければならない、っていう心の底にある考えが、孤独な恐怖心を生み出している……。だからトイレに恐怖心を覚える人が多くて、必然的に怖い話が生み出される。

 どう?変かなぁ。


 話が少し逸れちゃったね。

 

 まあそんなわけで、考えはどうあれ、学校のトイレっていう場所は怪談が生まれやすい場所なの。それは、分かるよね。


 

 それでね……この学校にも、そんなトイレに関する有名な怖い話があって……それが七不思議の一つ。

 『七番トイレの怪』なの。


 七番トイレっていうのは、東側校舎三階のトイレの事だよ。

 なんで七番かっていうと……結構この学校で、大きな学校でしょ?生徒数も他の地域の学校よりは多い方だし、一学年でクラスが六つもあるところもあるしさ。 

 だから校舎も大きくて、トイレの数も三階だけで四つもあるんだよ。知ってた?

 それで……オープンキャンパスとか、学校紹介の場面で、迷わないように校舎の地図っていうのがあるんだ。結構古いものだけど未だに使っているもので……ほら、これ。

 手描きで、少し文体とか絵が古めかしい感じでしょ?あはは、なんだかお母さんが描いた地図、って感じ。


 それで、目印としてそれぞれのトイレに番号が振ってあるのよ。

 ほら、教室とかは何年何組とか名称があるし、図書館とか職員室は一つしかないでしょ?でもトイレには、それぞれに名称なんてついてないからさ。

 だからこの地図では、それぞれのトイレに番号がついているの。目印のためにね。


 一階東側が一番トイレで……二階のここは、五番トイレ。

 そして三階の一番東側……端っこにある男子・女子用のトイレの事を『七番トイレ』っていうんだ。


 キミの想像している通り、ここのトイレには……とある噂があるんだ。

 いつからある怪談なのかは分からないけれど、今でもその噂を知っている先生や生徒はいるの。わたしを含めて。

 泉水北学校の七不思議として、ね。



 昔……とある男の先生が、深夜の学校の見回りをしていたんだってさ。

 テストシーズンで採点に追われていたらしくて、その日は日付を跨ぐくらいまで学校に居残っていたらしいんだ。大変だよね、先生っていうのも。

 それで、最後に学校から出る先生って、校内の鍵閉めの点検なんかも軽くして帰らないといけないんだってさ。まあ、広い学校で全部を見回って窓なんかを確認するのは相当時間がかかるからさ、あくまで軽い点検程度だったらしいけれどね。

 その先生っていうのは体育の先生。まあ、結構強気というか乱暴な先生だったらしくて……。昔の話だから、っていうのもあるんだろうけど、生徒に体罰なんかも日常茶飯事な人だったみたい。

 それで、以前学校を見回っていた時に隠れて学校に居残っていた生徒を見つけた事もあったみたいで、見回りではそういう事も確認していたんだってさ。

 なんで生徒が隠れていたか?……さあ、肝試しとか、なにか忘れ物をしたとか……もしくはなにか、恋愛絡みとかかなぁ。

 

 まあとにかく、その先生は見回りの時はそういう人の気配なんかも気にしているタイプだったのよ。見つけたらこっぴどく叱って、ひっぱたいてやるくらいの精神でね。

 とはいえ、そうそう深夜の学校に自分以外の人間がいる事なんてないから、そこまでピリピリしていたわけじゃないんだろうけれど……。


 職員室は一階。

 先生は懐中電灯を持って一階や二階を軽く点検しながら歩いていたわ。

 

 真っ暗な校舎……。非常灯の緑の灯りだけが光る廊下の先は暗闇で見えず、まるで無限に向こうまで続いているようだった。

 物音は、自分の足音だけ。外を吹く風の音も聞こえない、静かな夜……。窓の外に広がるのは、黒一色の暗闇。月明かりも届かない、不気味な夜……。


 想像するだけでもゾッとしちゃうけど、そこは度胸のある体育教師らしく特に気にせず歩いていたらしいの。幽霊やらオカルトの類いも、あんまり信じていなかったみたいでね。

 懐中電灯の僅かな灯りを頼りに、廊下や教室の中を適当に照らしながら点検を進めていったわ。

 一階も、二階も異常なし。特に問題なく点検を進めて、先生は三階へ上っていった。


 西側から、東側へ三階を歩いていく。

 東端まで着いたらそこから階段を降りて一階へ行き、職員室へ戻って今日の仕事は終わり。

 先生は長かった一日を思い返しため息をつきながら、やっと帰れると安堵して三階の廊下を歩いていった。


 そして、三階を点検し終わった先生はそこにある階段を懐中電灯で照らし足を階段にかけようとした……その時。


「くすくす。くすくす」


 誰かの笑い声が、聞こえたような気がしたの。

 空耳かと思って先生は足を止め、耳に神経を集中させたわ。……するとね。


「くすくす。くすくす」


 ……聞き間違いじゃない。

 微かだけれど、どこかから誰かの静かに笑う声が聞こえてくるの。

 男か女か、それすら分からない声。静寂の中に溶け込むような掠れた笑い声を聞いて、先生は暗闇のあちこちに懐中電灯を向けたわ。


「……誰だッ!出てこい!」


 先生の叫び声に反応したのか、声は途切れてまた痛いほどの静けさが校舎内を支配した。

 

 厳しい体育教師だったから、恐怖心より怒りが勝ったのかな。

 普通の人なら怖くて逃げ出しちゃうかもしれないけれど、その先生は声の主を探し出してやろうと躍起になったわ。


「どこだッ、出てこい!今なら勘弁してやるぞ!」


 ……そんな事を言いながらね。実際は見つけたのが生徒だったら、どうしてやろうか……なんて考えていたのかも。


 声は、そう遠くからは聞こえなかった。そう大きな笑い声ではないのに自分に聞こえたという事はどこか近くの部屋なのだろうと思って、先生は階段から離れて辺りを調べ始めたの。

 教室は、あっという間に確認できた。そう隠れるところも多くないし、引き戸も開いていたしね。そしてその他に近くにあった部屋といえば……。


 そう。七番トイレ。


 先生はドアを開けて男子トイレの中を懐中電灯で照らしたわ。

 個室は二つしかなくてドアは開いていたし、用具入れのドアも開いていたからそこに誰もいない事はすぐに分かった。


 だとすると……。


 女子トイレ。

 普段ならそんなところは点検しないけれど、もし不審者が潜んでいたとしたら大変。先生はそこを確認する事にしたわ。まあ日付が変わるくらいの時間だし、見回りっていう仕事なんだから問題はないよね。


「……ん?」


 トイレのドアを開けて、先生は目を見張ったわ。


 四つある女子トイレの個室のドアが、全て閉まっていたの。

 普段は自然に開いてしまうような古い木製のドアなのに、何故かその時は全て個室の中が見えないようにぴったりと個室のドアは閉じていたの。


(これは……誰かがいるのか?)


 その時先生は初めて恐怖を感じたわ。

 四つあるドアが全て閉まっているなんて普通はあり得ないし、その中に誰かがいる可能性が大きくなってしまった。

 とはいえ……そこは教師としての責任感が勝ってしまったのか、先生は女子トイレの中に足を踏み入れて、個室の壁を懐中電灯で照らし始めたの。


「誰かいるのかッ!いるのなら出てきなさい!」


 そう叫びながら……先生は一番入り口に近い、右端のドアを押し開いたわ。


 中には……誰も、いなかった。

 鍵はかかっておらず、閉じた便座がぽつんとあるだけの無機質な白い陶器の便器が存在するだけ。

 

「おい!隠れていないで出てこい!」


 そう言いながら先生は乱暴にドアを閉め、右から二番目のトイレへと歩んでいったわ。

 これも、鍵はかかっていなかった。

 軽く押す程度で、ギイイという嫌な木材の軋む音を立てて個室のドアは開いていった。


 このトイレにも、誰も居ない。

 便座の蓋は閉まっていて、誰かがいた気配すら残っていなかった。


 ……けれどね。


「くすくす。くすくす」


 ……七番トイレの何処かから、また小さな笑い声が聞こえてきたの。

 何処かから、という言い方は少し妙かもね。小さな声だったけれど、何処からその声がしているのかは明白だもの。


 ……ドアを開けていない、左端と左から二番目のトイレ。

 そこに、この声の主はいるはずなのだから。


 その時、初めて先生にも恐怖という感情が生まれたわ。


 イタズラにしてはあまりにも……奇妙すぎるから。


 自分がいくら叫んでトイレのドアを乱暴に開けようが、その声の主は初めと同じような笑い声を立てているだけ。

 一向に姿を現す気配もなく、ただただ小さく笑い……まるでそれは、こちらの様子を観察しているかのように先生は感じたの。


「い……いい加減にしろッ!貴様、どうなっても構わんのかッ!」


 恐怖を掻き消すように、先生は無理矢理怒りの感情を作り出して……右から三つ目のドアを開き懐中電灯の光を個室の中に当てた。


 ……やっぱりね、同じだったの。誰も、そこにはいなかった。


「くすくす。くすくす」


 そして笑い声がどこからしているのか……その場所が、判明したの。

 もうこの女子トイレに隠れる場所なんて他に存在しないわ。唯一残ったのは……左端の個室だけ。


「そ……そこにいるのかッ!出てきなさい、早くッ!」


 三つ目のトイレのドアの前から、先生は動けなかった。そこにいるものが……ひょっとしたら、人間ではないのではないか。それがなんとなく理解できてきたから。


 ……けれど。


「くすくす。くすくす」


 声は変わらず小さく笑っていた。

 けれど……それが、左端のトイレからしているものだという確信を持ってしまうと、急に恐ろしくなってしまう。


「で、出てこいッ!貴様、覚悟は出来ているだろうなッ!」


「くすくす、くすくすくす」


「ふざけるのも大概にしろッ!怪我じゃ済まないぞ!」


「くすくす……く……くくく……」


「な……き、貴様……ッ!?」


「くくく……く……ひひひ……ひひひひひひひひひひひ!!ひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!!!」


 まるで先生の恐怖心を読んだかのように、その声は奇妙な笑い声を大きくしていったの。

 おかしくて、おかしくてたまらない。嬉しくて、嬉しくて堪えきれない。

 そんな風に、甲高い笑い声はまるで轟くように七番トイレ中に響き渡ったの。


「う……うわああああああッ!!」


 先生は恐怖に耐えられなくなり、ヤケクソで左端のトイレのドアを押し開けたわ。


 バタン!!と大きな音を立てて個室の中の景色が先生の視界に映り込んだ。


 ……そこにはね。



「……え……?」


 誰も、いなかったの。


 他のトイレと同じように、便座があり、トイレットペーパーがあり……それだけ。


 あれだけ大きく響いていた不気味な笑い声もピタッ、と止まって、再び七番トイレに……校舎内に、静けさが戻ったようだったわ。


「な……なんだったんだ……?」


 額にも手にもびっしょりと汗をかいた先生は、その場を見回しながら冷や汗を拭いたわ。

 自分の聞き間違いだった……そんな風に、自分を納得させていたわ。


 とにかく、誰もいないと分かればここに長居する必要もない。

 さっさと職員室に戻って荷物をまとめて、校舎から出たかったでしょうね。先生は踵を返して、七番トイレから出て行こうとしたの。



 ……その時ね。



「あはは……あは……」

「くく……ひひひひ……!」

「けけけけ……け……」

「ふふ……うふふふふふ……!!」



「「「「 あーーーーっはっはっはっはぁーーーーッ!!! 」」」」



 誰も居ないはずの、四つのトイレから……その四つの笑い声は、聞こえてきたの。


 存在するはずのない、姿の見えない笑い声が……明らかに、先生に向けて、ね。




---



 ……え?

 その先生はその後どうなったか、って?


 あはは、確かに気になるよね。

 噂じゃ必死にその場から逃げて、校舎から飛び出して帰っていったらしいよ。

 うん、命に別状なし。その後も先生として在籍していたって話。


 ……まあその後、一年ももたずに退職したらしいんだけどね。乱暴な態度も嫌味な性格もすっかり萎んで……常になにかに怯えるように視線を彷徨わせていたって。

 いい気味だ、なんて喜ぶ生徒もいたらしいけれどね……あははは。


 

 これが泉水北高校、七不思議の一つ……『七番トイレの怪』の噂だよ。

 知っている人は知っている噂で、今でも三階東の七番トイレは絶対に使わない、っていう生徒はいるみたい。


 わたしは……。


 怖いから使わないようにしているよ。

 怖い話は好きだけれど……好き好んで怪異に触れるような事は、したくないし。



 七番トイレにどうしてそんな噂があるのかは分からないんだ。

 霊を呼びやすい場所にあるとか、あそこで自殺した生徒がいるとか……噂はあるみたいだけれどね。


 ただあそこさ、入るとなんていうか……ひんやりした空気を感じるんだ。

 校舎から切り離された異空間って感じで……まるで、この世界じゃないみたいな、そんな気配をさ。



 ……気になるなら、深夜に学校に忍び込んで、調べてみれば?


 あははは。もし怪異に遭遇したら……わたしに教えてね。



 それじゃ、またね。


 七不思議あつめ……頑張ってね。



―――

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