八話 稲葉美乃 『蟲箱』
―――
……ふふ、あたしの所に来るのは二回目ね。
少し、調べさせてもらったわ。
貴方が、怪談あつめをしている理由……。
ごめんなさいね、どうしても気になってしまって。ふふふ……。
ぼんやりだけれど、なんとなく分かった気もするし……分かっていないのかもしれない。
けれども一つ確かなことは……貴方はたくさんの怪談を集める先に、何か目的がある。そうでしょう?
……ふふ、答えなくてもいいわ。
詮索をしてごめんなさいね。
懐疑的になっているわけではないの。むしろ、その逆。貴方がしようとしている事に、興味がどんどん出てきちゃって。
だからあたしも、協力はさせてもらうわ。貴方がしようとしている事がどうなっていくのか……
さて、今日は……少し気味の悪い話でもさせてもらおうかしら。
……『蟲箱』の話について。
―――
この学校も、昔は大分荒れた生徒がいた時期があるそうよ。
あたし達の親世代だと珍しい話でもないみたいね。当時流行の……ヤンキーやら、チーマーとか言ったかしら。そういう不良集団に憧れたような髪型をして、眉毛のないような生徒。
教師、親……体制の上部に位置する大人達に反抗するのを美徳にし、社会から反抗している自分という絵面に酔いしれる……。まあ、今も昔も変わらずそういう人間はいるわよね。
大塚、という男子生徒は特に素行が悪かったそうね。
教師への暴力、校内での喫煙、飲酒、ケンカ沙汰……。何度も警察のお世話になっている、問題児中の問題児よ。
よくこういう生徒が野良猫を拾ったり道ばたで重い荷物を抱えているお婆さんを助けたりするなんてベタな話があるけれど……大塚は、そんな美談のある生徒でもないわ。
人道を外れ、己の快楽だけを追い求めてただただ本能の赴くままに行動する……言ってしまえば、動物的な人間ね。お猿さんが近いのかしら、うふふ。
そんな大塚くんは、いつもつるんでいる素行の悪い生徒二人を部下のように連れて、校内のとある部屋に忍び込んだの。
校舎二階の一番奥の部屋は知っているわよね。
あそこはかつては教室だったらしいのだけれど、それが使われなくなって倉庫として使用されているの。今も、昔もね。
倉庫……要するにそこは使わなくなった教材や資材なんかを保管しておくだけの部屋。職員室からも離れているから、先生方が使わなくなった物を押し込めておくだけの部屋という認識みたい。
普段は鍵がかかっているのだけれど、大塚くんは別室で職員会議をしている隙を見計らって職員室から鍵を盗んできたの。
「なあ大塚。こんな倉庫になんの用があるんだよ」
部下の同級生が聞くと、大塚くんは倉庫部屋の鍵を開けてにやりと笑ったわ。
「ここの教材、結構値打ちモンがあるらしいんだよ。理科室の古くなった生物模型とか、美術室で余ったイーゼルとかな。そういうのを、なんでも買い取ってくれる店を最近見つけたんだ」
「お、おい大塚、まさかお前、盗んで金に換えるつもりかよ」
「遊ぶ金くらいにはなんだろ。お前らにも奢ってやるから、運び出すの手伝えよ」
「うわー、悪い奴だねーお前も」
大塚くん率いる三人組はそう話しながら、倉庫部屋の中に入ったわ。
中は埃っぽく、カーテンが閉め切られているので昼間でも薄暗かった。
先生が入っては使わなくなった物を乱雑に置いていっているみたいで整理もあまりされていなかったけれど、三人組は金銭に換えられそうなものを物色し始めたの。
理科の生物模型、科学実験用具、美術用品、古くなった教科書やノート……。
鞄に入る程度のコンパクトな物である必要はあるけれど、それでも三人が持ってきたボストンバッグには物がどんどん詰められていったわ。
三人に罪悪感という感情はまったくなく、むしろこの使わないゴミを処分してやるんだから有り難く思え、くらいの感覚だったみたいね。
「……あ?なんだこりゃ」
あらかた、室内の物色を終えたところで大塚くんがなにかを見つけたわ。
それは……小さな、正方形の木箱だった。
手のひらに収まるくらいのその箱は桐の素材で出来た古びたもので、お札のようにその箱には紙が貼り付けてあった。
『蟲箱』という文字。
筆で書かれたその文字からしても、かなり昔のものだという推測ができたわ。
「虫が三つで……なんて読むんだよこれ。きみわりぃな」
大塚くんはそう言っていたけれど、値打ちのある物なのではという期待があったわ。
どうやらその箱は、上の部分がスライドして取れるようになっているようだった。蟲、という文字から……なにか虫の死骸でも入っていたら嫌だな、と思いながらも大塚くんは上部を横にずらしてその中身を確認しようとした。
「……!?い、た……ッ!?」
大塚くんは、驚いたわ。
バネ仕掛けのびっくり箱はわかるかしら。箱を開けると、中で縮められたスプリングが解放されてピエロの人形が上に飛び出す、あれ。
あんな感じで……小さなバネだったのだけれど、箱の中のそれが勢いよく飛び出す仕掛けになっていたみたい。
しかもそれは上ではなく、横に。つまりは中身を確認しようとしてスライドさせた大塚くんの右手の甲にそれが飛び出す仕掛けになっていたの。
……なにが、って?ふふふ……。
『針』よ。
「んだよコレぇっ!?っ、ざけんじゃねぇよ!」
大塚くんの右手の甲に画鋲くらいの針が刺さり、すぐに抜かれる。
そして彼を馬鹿にするように、スプリングの反動でその針はゆらゆらと揺れていたわ。
大塚くんの右手の甲には、針で刺された傷と一筋の血。そして、痛み。
彼は馬鹿にされたと思ってすぐ近くの戸棚を蹴りつけたわ。……くすくす、開けたのは自分のせいなのにね。
ガタン!と蹴りの衝撃で大きな音がしてしまったわ。
それにさっきの大塚くんの大声で近くにいる先生に気付かれてしまったかもしれない。連れの二人はそう思ったの。
「ば……大塚、なにやってんだよ!!バレちまうぞ!!」
「あ……」
「とりあえずバッグ持って逃げるぞおい!!」
三人はとにかくその場を離れようと、物を詰めたバッグを肩に背負いその場を後にしていったわ。
大塚くんの方は……先ほど手にしていた『蟲箱』という木箱は、怒りで投げ捨てていたみたい。
後ろ目で少し床に落ちたその存在を気にしつつも……仲間と一緒に、部屋から飛び出していったわ。
幸い、彼らの行為は誰にもバレる事はなく盗品は無事に売りさばけたようよ。
寂れた骨董品屋があってね。身元確認もあやふやなままで買取をするような怪しいお店で、彼らの持って行ったものは二束三文だったけれどお金にはなったらしいわ。
「ちっ、しけてやがるなあのジジイ」
「まあいいじゃねぇか。何回かメシくらい食える金にはなったぜ」
ボストンバッグ三つ分の物品だもの。いくら買取値が安くても、学生にとってはそれなりの金額になったでしょうね。
彼らは、それなりに喜んだわ。そして飲食や嗜好品、遊びにそれを使い……まあ、三日ともたないうちに消えてしまったみたい。
でも、大塚くんは気になる事があったの。
『蟲箱』に仕掛けられていた針に刺された、右手の甲。
そこが未だに、痺れたように痛む事があったのね。
それに……なんだか、体調がおかしいのよ。
「おい大塚。なんかお前……顔のシミ、増えてねぇか」
大塚くんの顔の皮膚……あれから一週間ほどで、妙にシミが増えていたのよ。
薄紫の大きなシミが、目の下や頬、首の後ろにまで……。中には直径で十センチくらいのものもあって、なんだか病的に見えてしまうような肌になっていたわ。
「あ?そうか?それより右手の甲がなんか痺れるんだけどよ……その方が気になるんだ」
しかし、当の大塚くんはそれに気付いているのか気付いていないのか……あまり気にしていない様子だったわ。右手の痛みばかり気にしていて、肌の変化には全く……。
しかも……。そんな事が気にならないくらい……なんだか、楽しそうなのよ、大塚くん。
「なんだか気分がいいぜぇ。今すぐにでもケンカでもしてぇ気分だぁ」
「お、おい大塚……どうしたんだよ本当に……」
目は爛々と輝き、常に落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回すようになっていたわ。
瞬きをせずに見開かれた目は乾燥してか血走っていて、人間より動物のようになっていったという感じね。
「……なあ、おい……。大塚のやつ、どうしたんだよ」
「知るか……。なんか近所のヤツによると、毎晩どこかに出かけるようになったらしいぜ。気味がわりぃ」
取り巻き二人も、流石に大塚くんの奇行に恐怖を感じてきていたみたいね。
それもこれも、あの『蟲箱』という箱にあった針に刺されてからの事よ。ひょっとしてあの針に、なにか毒のようなものが仕込んであったんじゃあ……と二人は考えたわ。
でも、調べる事は出来ない。……仕方ないわよね。
鍵のかかった倉庫にあったあの箱の存在を知っている事自体がおかしいんだもの。先生に聞いてみようにも、そんな事をすればあの倉庫から物がなくなっているのがバレてしまうかもしれない。
……でも、とはいえ責任を感じる部分もあったわ。三人で行った犯罪ですものね、大塚くんがどうなってしまったのかを知りたい、という気持ちが二人にはあったの。
だから……。深夜、彼らは大塚くんの家を訪ねたわ。
家に直接訪問するのはまずいので、二人は大塚くんの家の外で待っていて、携帯電話で彼を呼び出したの。
すると、大塚くんはにこにこしながら家から出てきたわ。
「なんだお前ら、どうしたんだよこんな夜中に。まあ丁度いいや、俺今から出かけるところだから、一緒に来いよ」
「で、出かけるって……大塚、お前こんな夜中にどこ行くんだよ」
「あ?……なんだっていいだろ。行くぞ」
そう言って大塚くんはスタスタと歩いていったわ。
二人はそんな彼の様子を不気味に思いながらも……なんだか気になって、彼についていったの。
普段ならば
大塚くんはどんどん、人気のない方向へと進んでいくの。
今よりこの町はもっと栄えていない時代だったから……町の外れには、雑木林のような場所が存在していたの。木が
民家も存在せず、舗装された道すらない危ない場所よ。そんな場所に深夜、大塚くんは足を運んでいたの。
流石にこの時は二人組も気が動転し、大塚くんに声をかけたの。
「お、大塚……お前こんなところに、何の用事だよ」
「……あ?……さあ、しらねぇけど」
「知らない、って……。お前がここに来たんだろ?どうしちまったんだよ、本当に……」
「しらねぇけど、ここに来なくちゃいけなかったんだよ。お前らも一緒に来い」
目を限界まで見開いて、口元だけ歪んだような笑みを浮かべる大塚くんに、二人は首を横に振ることしかできなかったわ。
その時……二人は、見たの。
大塚くんの顔の皮膚に、アザのような染みが出来ていたと言っていたわよね。
蛍光塗料、って分かるかしら。
あんな感じに……大塚くんのそのアザが、光っていたの。
それは、黄色ではない。暗闇で薄明るく……ぼんやりと、赤く光る大塚くんのアザ。彼はその事にちっとも気付いていないみたいだったけれど、身体中にあるアザが光っていた。
「んだよ、こねぇのかよ。まあいいや、俺はいくぜ。じゃあな」
「お、大塚……!」
そう言うと大塚くんは、二人に背を向けて見向きもしないで林の中に入っていったわ。
赤い光が、徐々に林の暗闇の中に溶けていく。ぼんやりとした光が僅かに見えて……かなり彼が、林の奥深くまで入っていったのは分かったわ。
けれども、二人はその中に入ることはしなかったわ。いくらなんでも、彼の行動は怪しすぎる……。二人はただただ、彼方にある後ろ姿を見届けることしか、できなかったの。
「……え?」
その時、彼らは見たわ。
大塚くんのうすぼんやりと発光しているアザが、一瞬でかき消えたのを。
まるでそれは……誰かが、大塚くんの身体に、覆い被さったかのようだった。
彼の後ろ姿は一瞬にして林の中に消えて、ただの暗闇へと変貌したわ。
……なにかが、大塚くんに襲いかかった。だから彼は、一瞬にして消えた。
それを理解した瞬間、二人組は大急ぎでその場から逃げ出したの。
―――
翌日……大塚くんの家族が、学校や警察に姿をくらませた息子の事を相談した。
捜査が始まり、大塚くんの取り巻き二人も勿論事情聴取を受けたわ。
隠し通せるものでもなく、彼の姿が雑木林の方で消えたことはすぐに周知された。
……だけど、大塚くんの姿は、今現在も発見されていないわ。
樹海でもあるまいし、林といってもそこまで大きなものでもなかったそうよ。
でも、彼は発見されなかった。
警察犬も導入され、何百人も捜査員が派遣されたそうだけれど……彼は、見つからなかったのよ。
ただ、噂によるとね……。
彼の姿や身体は発見されなかったそうだけれど……彼の身につけていた衣服や靴だけは、見つかったらしいの。
でも、肝心の肉体が見つからない。
まるで、そのまま彼の身体だけがその場から消え去ったかのように……。
『蟲箱』。
その箱に書かれていた文字には、そう書いてあったそうよ。
この怪談に、虫は登場してこない。ただその箱には針が仕込んであり、それに刺された大塚くんは様子がおかしくなり、深夜の林の中へ消えていった……。
これは、憶測なのだけれど。
その箱を興味本位で開けた人間を……なにかの『餌』にする。そんな、罠だったんじゃないかしら。
針に刺された人間にはまるで目印のように奇妙なアザができ、誘われるようにその林の中に入り……そのなにかの餌に、自らなっていってしまう。
……そして、その『なにか』。
それこそが……『蟲』というもので、だからこそあの箱は『蟲箱』と書かれていた。
餌となった彼を捕食する、虫の集合体……『蟲』のための、箱とね。
あくまでこれは、あたしの憶測。
真相は闇の中で、解決される兆しはない……。
ふふふ、でも恐怖は、闇に包まれているからこそ、奥深くなっていくものだとあたしは思っているわ。
これで話はおしまい。
……また、聞きに来てちょうだいね。
いつでも、待っているわ……貴方の事を。
うふふふふ。
―――
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