第11話 恋する乙女

 十一月一九日。


 疑わしきは──。


「仕方ない、まひる先輩には死んでもらうか」


 涼は、自室のベッドで呼吸をするのと同じように、“殺人を犯す”という明確な決意をした。

 すでに調べは付いてる。この触手に残る、魔法少女の残香ざんこうとも言えるようなモノが、カッターを刺したのは“遠野まひる”だと言っていた。

 そして彼女は、まだ確信を持ってはいないが、自分と日向の関係性に対して疑いの目を向けている事も分かっていた。

 

「本当に、この触手はスゲェや……」


 涼は恍惚こうこつとした表情で、自分の背中から蜘蛛の足のように生える触手にそう語りかける。

 触手は主の手に反応して動き、頭を擦り付けて甘える子猫のように涼にくっつく。

 この触手が、いつから自分に生えたかとか、どうして自分に生えたか、もうそんなのはどうでも良かった。

 ごく最近この力に目覚め、この力をコントロール出来る。

 たった一回しかない出会いでも存分に思い知らされ、それからは無様に怯えるしかなかったあちら側の力を、今では自分が使役する事が出来る。


「……ふふっ」


 自分は、触手に操られるだけの肉人形にはなっていない。

 なんでも言うことを聞いてくれる最愛の女。

 なんでも出来そうな活力がみなぎる異形の触手。


「今のこの完成されてる状況を、部外者に壊されたくないんですよね」


 涼はわざとらしく横へ振り向き、ベッドの上で縛られ怯える女にそう語りかけた。

 女の目は涼に対して、決して視線を逸らさずにただ真っ直ぐに見つめている。


 ◆


 十一月二十日。


 近喰こんじき真夜まよという女がいる。

 艶のある黒髪と、端正な顔立ち、所作一つ一つのきめ細やかな美しさは、中学三年生にして完成された大人の女性の美しさに匹敵していた。


「ねぇ宇島さん。同じクラスの近喰さん、知ってるよね?」


 授業が終わり、暦とミカの間にクラスメイトの三人で下校中に暦へクラスメイトが話題を振る。


「……………………」


「えぇもちろん知ってるけど、彼女がどうしたの?」


 ミカは深く関わろうとせず沈黙を貫く。一方で話題を振られた暦は、近喰という女生徒の話題に興味を持ち始める。


「なんかさ、最近様子が変だと思わない?」


「その“変”って言うのが、一体どう変なのかを教えてほしいんだけど」


「えぇっとね、何というか、恋する乙女って感じ」


「……そう。別に不思議じゃないと思うんだけど」


「いやいや待ってってば。確かに近喰さんに素敵な恋人がいても全然不思議じゃない。でもやっぱしそこんとこ気になるじゃん、どうしてもさ?」


「まさか、もう特定したとか?」


「まぁね。一週間も行動を尾行もとい調査した結果、近喰さんが気になってる恋のお相手は二年生のサッカー部キャプテン、遠野朝陽くんでした‼︎」


「遠野……?」


「あれ、宇島さん知らない?」


「ごめん、初耳かも……」


「まぁとにかく、二年の遠野朝陽くんの事をフェンス越しに見つめる近喰さんの姿を目撃する事が出来たんだよ。これはもうほぼ確実に片思い状態だと思う‼︎」


「あんまり他人の恋をマジマジと見ない」


「そこは流石に弁えるって。けど近喰さん、ちょっと心配だなぁーって」


「……彼女、何か悪い噂でもあったっけ?」


「いや、そういう意味で言ったんじゃなくて。片思い相手の遠野朝陽くんなんだけど、彼にはもう恋人がいるかもしれないんだよ」


「それで?」


「もしそれを近喰さんが知らずに片思いしてるんだとしたら、それをキッカケに嫉妬しないかなって」


「もしそうなったら、夜ドラ的展開が現実になっちゃうと?」


「うん。コレはドラマばっかり観てるウチの偏見かもしんないけどさ、近喰さんみたいな完璧に近い人って、プライドとか結構高いじゃん。そのせいで遠野朝陽くんとくっついてる女の子に危害を加えたりしないかなぁって」


「……有り得なくは、ないけど」


「でも、もし近喰さんから相談を頼まれたら、宇島さん相談に乗っちゃうかもでしょ?」


「それは、否定できない……」


 ほんの少し歩いたところで、グラウンド前に差し掛かる。暦達が話の流れでサッカー部員のいる方向に目を向けると、噂相手である真夜が立っていた。


「……………………」


 三人揃って、静かに後ろを通り過ぎる。途中で真夜から何か言われないかと心配したのだが、どうやらそれはただの杞憂きゆうだったようだ。


「……ほら、そこのベンチで座っている子。あの子が遠野朝陽くん」


 暦からは相手の顔がハッキリ見えないが、すぐ近くに車椅子があるのと、彼の隣に立つ小柄な少女らしき姿が見える。おそらく彼女が遠野朝陽とやらの恋人だと認識する。


「……とにかく、部外者のワタシ達は頭の片隅に入れておく程度にしておくべきだよ。これ以上の詮索は余計だからさ」


「うぅ、気になるけどそうする……」


 真っ直ぐ朝陽を見つめる真夜を横目に、暦達はそのまま帰路につく。彼女が恋をしている事を頭に入れ、もし相談を持ち掛けられた時にすぐ対応出来るようにする為にも。



 真夜は、遠野朝陽に恋をしている。


(好き。大好きなのです──)


 一目惚れだった。

 いつものように一人で下校していたら、ふとグラウンドでサッカーをする朝陽の姿が目に入ったのがキッカケだった。

 それから何度か見かけるたびに話す機会があったが、いざ話しかけようとすると、どうも恥ずかしさのあまり挨拶すらもままならなくなる。


(自分から言うのは、恥ずかしい。でも、好き。ずっと見てる。この気持ちは、誰にも負けない──)


 その時から彼女の初恋が始まり、そして日を重ねるほどに朝陽を見かける度に目で追うようになっていく。そんな日々を送っていたある日のこと、彼女は朝陽の隣に立つ小柄な少女を目にする。


「ねぇ朝陽くん、今夜一緒に宿題したいけどいいかな?」


「うん、いいよ」


「やったぁ‼︎ じゃあ今夜まひると勉強会、約束だよっ‼︎」


 遠野まひる。朝陽の隣にいつもいる女。その光景を見てから、真夜は彼女のことを“子供っぽい”と見ていた。


(でも、朝陽さんの隣にいるということは…… とても親密な関係なんですよね……)


 その日は何事もなく家に帰り、一人で宿題を軽く解いた真夜だったが、のちに自分とまひるとの圧倒的な差を思い知る出来事に遭遇する。


「朝陽先輩っ、脚のほう大丈夫ですか⁉︎」


「先輩、早く良くなってくださいね……‼︎」


 朝陽が座る車椅子を押すまひるに群がる、朝陽目当ての女子達の群れが真夜の目に飛び込む。

 その女子達は決してまひるに敵意を向かず、むしろ朝陽のサポートを歓迎していたのだ。


「もーう、気持ちは嬉しいけど教室に行かせてよぉ」


「あっ、ごめんなさい…… まひる先輩」


「さっ、行こっか朝陽くん」


 そして真夜は思い知った。

 朝陽が怪我をして車椅子生活を送るようになって以降、二人との間に一切の隙間がない事に。


(わたくしだって、朝陽さんのパートナーに──)


 いつか、彼女を出し抜いて自分が朝陽君の隣に立てるかもしれない。

 そしたらいつか、朝陽君が彼女ではなくこっちを見てくれるかもしれない。


(今は、貴方はわたくしを見てくれないけど──)


 秘めた恋心はいつしかゆがみ、よりいびつに、彼女に希望と絶望をもたらした。


(どうかその瞳で、わたくしを見つめてください。わたくしの事を考えて……)


 そんな"いつか"は、二度と来ないのだと諦めていた。

 朝陽の誕生日の前日、境入涼によって触手を身体中に埋め込まれるまでは。


 ◆


 十一月二十一日。


 その瞬間は、下校直前の頃だった。

 人口数万人程度の街の中心地点、一番大きな駅のある方角から、爆発に近い大きな音が鳴った。その音は日向、暦、まひるの三人だけでなく、全生徒がその音を聞いた。

 それが“合図”だった。

 

「どうして……」


 日向は、突然の事過ぎて何も整理がつかなかった。

 最初の爆発から僅か数分後、三人が通う学校のあらゆる方角から悲鳴が上がる。

 逃げようとした生徒の首が跳ね飛ぶ。

 混乱する教師の胸が貫かれる。

 それは魔法少女にとっては、ある意味見慣れている存在──怪物によるものだった。 

 怪物が、何体も、何体も、何体も、学校中に出現した。

 悲鳴、叫喚、絶叫。

 どれもこれもその直後に、“人が死んだ”事を確定させる音になる。


「なんでこんなに⁉」


 怪物の侵攻を避けつつ、日向は暦のもとへ急ぐ。

 三年生の教室が見えてきたところで、怪物をドアごと吹き飛ばす暦の姿が目に入る。


「日向ッ‼︎」


「暦さんっ‼︎」


「ミカ、行くよッ‼︎」


「えぇ」


 分かっていることが一つあった。

 不特定多数の生徒が、爆発的に突如として怪物になってしまったこと。

 平和だった学校は、瞬く間に未曾有のパニックに陥った。

そして日向、暦の二人は、言葉を交わさずとも窓から見えた光景で理解した。街中の至る所で、黒い煙と火災が起こり始めている。

 それはつまりこの学校と、全く同じことが起こっているんだと暦は直感した。

 

 ◆


 その日は、残暑の最後の悪足掻わるあがきのような、重く暗い雨が降っていた。何でよりにもよってこんな災厄が起こるのが、朝陽の誕生日である今日だったのかと、まひるは強い焦りと虚しさを胸にし俯いたまま歩く。

 結局、涼の監視のような視線を感じ続けた結果、日向に声をかけることは難しかった。

 しかし、証拠は少ないがその何かを隠すかのような警戒心と態度が何よりも雄弁に語っていた。

 だからまひるは先に控えてる朝陽の誕生日会が終わったら、“涼から何かを受けている日向”を先輩として必ず守る事と“あの触手についても調べる”と心に決めていた。


「……………………」


 人が死んでる。

 建物が燃えて、壊れる音がする。怪物になり、もう二度と人間に戻れなくなった存在達が暴れまわる気配がする。

 昨日まで平凡と言われていた街が、今はもう地獄のよう。


「……遠野まひるさん、ですね」


 ふと自分の名前を呼ぶ声に目を向ける。そこには自分と同じ制服を着た、大和撫子の言葉が似合いそうな見た目に触手が無理矢理生えたような外見の少女が立つ。


「わたくし、近喰真夜と申します」


「……何の用かな?」


「私的な用です。はっきり言ってしまえば、私怨とも言います。遠野朝陽さんのことをご存知ですよね?」


 まひるは、黙って真夜を見つめる。


「わたくしも、彼の事が好きなんです。それはもう彼の隣に立っていたい程に。ですがアナタが隣にいる限り、わたくしは彼の隣に立つ事はおろか話しかける事も出来ない……」


 真夜の強い感情に共鳴してなのか、触手がドクドクと脈を打ち始める。


「そこでわたくし、閃きました。アナタに直接対決を挑みます。彼と一緒になりたい者同士、命を賭けて生きるんです」


 まひるは、朝陽の事を頭に浮かべる。

 朝陽が座る車椅子を、自分が押す姿を思い浮かべる。

 

「……私さ、まだこんな所で、死にたくないんだ」


 暗い雨は、降り続けている。

 魔法少女まひるは目の前に立つ、左腕が植物の花のように発達し、背中から二本の醜い触手を生やした乙女の紅い右目を見てキッパリと言い放つ。


「あらそう。では、わたくしを殺してください」

 

 異形の乙女──人間を辞めた近喰真夜は、真紅に発光する右目だけは閉じず丁寧にお辞儀しながらそう応えた。 

 二人の少女が灰色の雨の下、静かに立ち尽くす。

 地獄の中心で、乙女の形を成した光と闇が、ただ真っ直ぐに激突した。

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