第6話 私がヒーロー
佐伯ミカは、初めて宇島暦に出会った日のことを鮮明に覚えている。
「ワタシは宇島暦です‼︎」
イジメられていた自分に手を伸ばしてくれた少女。ミカはその手に縋るように救われたのだった。
「もう大丈夫。ワタシに助けを呼べばすぐ行くから」
「……うん」
佐伯ミカにとって、“強者に立ち向かう強い暦”という存在が好きである。
「ワタシもあの人みたいに、強くなって弱い人を助ける。誰かの命を救える存在になりたい」
強くて弱者を守るヒーローを目指す、“強い暦”という存在をミカはこよなく愛していた。それと同時にミカはいつしか、暦の持つ理念の致命的な“矛盾”を本人よりも真っ先に理解した。
とうとう“ソレ”に、本人が最後まで自発的に気が付く事は無かったが──。
だからこそ佐伯ミカは、初めて宇島暦が魔法少女という存在になった日の事を鮮明に覚えている。
◆
「強い者の力は、か弱い者を助ける為にあるんです‼︎」
工場の屋根の上。
虐められていた男子生徒が今は人外の化け物となり、自分を虐めていた者達への復讐を果たそうとしている。
「しゃぁっ、うらぁ‼︎」
そんなことをもうさせない為に魔法少女に変身した暦の拳は、もう何度目か分からない程に敵の顔面へクリーンヒットし続ける。
「ア、アア‼︎ ジャマダァ‼︎」
殴られている方も魔法少女ではない、ましてや戦いとは一切無縁な、ただの一般人では到底避けられないであろう速度の牙、鉤爪、尻尾で暦を斬り裂こうとラッシュを仕掛ける。
「これ以上、無闇な殺人は許せません‼︎」
あまりにも差がありすぎると、ミカは思った。
息も絶え絶えな化け物のそれらの攻撃を、呼吸の乱れていない魔法少女は全て捌き切ると、そのまま化け物の身体を掴んで屋根に空いていた穴から真下の倉庫へと叩き落とした。
「とぉりゃああああっ‼︎」
「グワアアアアアアッ⁉︎」
魔法少女の肉体で繰り出される拳とコンクリートの床に挟まれ、化け物は断末魔のような悲鳴を上げ続けた果てに──沈黙した。
(これが、魔法少女の暦……)
ミカの目には、魔法少女の暦を前に化け物は到底敵わないだろうと確信した。
「ハァ、ハァ……」
ダメージが蓄積されている化け物が、まるで先程までの恐ろしい印象と違い、ミカには“弱い者”に見えた。
「……暦」
「分かってる。ワタシも、殺したいわけじゃあないよ。でも、だったらどうやって止めれば……」
暦とミカが、何とか化け物から人間に戻す方法は無いのかと取り敢えず一息付こうとした時だった。
「クソがああああ‼︎ ただの陰キャ野郎がァ‼︎ 何してくれてんだあああああ‼︎」
その場に、第二の化け物が飛来した。
◆
数分前。
気絶から目覚めた男子生徒は、状況を整理した。
屋上にいる。
友達はみんな謎の化け物に殺されて、そして自分も殺されかけていたハズなのに、今はこうして生きている。
化け物の正体は、いつも弄ってやっていたクラスの陰キャ野郎だった。
「……は?」
男子生徒の中に、ふと“怒り”の感情が湧き上がる。なんで自分達がこんな目に合わないといけないのかという理不尽を味わったのが、彼の内にある何かのリミッターを外した。
それは、闇が生んだもう一つの闇。
青年は身体の中に何かが注がれるような感覚を味わった。自分の肉はそれを享受し、骨はそれを髄まで浸透させ、血管はそれを余す事なく吸収した。
「ごあっ‼︎ ごぅうっ、がぁああ‼︎」
肉体がゴリゴリと音を立てて変形した。
その日、二体目の異形の化け物が産まれた。
「ぶっ、ぶっ殺す……」
一言目。身体に力が
「アイツを、ぶっ殺す‼︎」
二言目。身体は形を醜く変えた。
男子生徒の右半身はかろうじて人間の姿を保っているのだが、左半身はまるで悪魔のように禍々しくて奇形なモノへと変化した。
「ウ"オ"オ"オ"オ"オオオオッ‼︎」
自らの肉体から産まれた悪魔は、黒い雄叫びを上げる。重い身体を引きずるように動かして、工場の中で眠る憎き化け物を見下ろす。
そして、友人達の仇を討つ為に化け物に飛びかかったのだった。
◆
化け物と悪魔が戦っている。
それを眺めながら佐伯ミカは、ソレらが宇島暦の正義感を尊くモノだと思っていた。“強者は弱者を救うべき”という彼女の掲げる美しい理想は、まさに自分が愛してやまない、完成された理想の彼女像へとキレイに繋がっているからだ。
しかしその真っ直ぐな正義感は、ある決定的な矛盾を
だからこそミカは、この場所この状況を大いに借りて目の前で繰り広げられる、異形の怪物同士の殺し合いを呆然と眺めるだけの暦に問いを投げつけた。
「強い人が弱い人を虐げるんじゃなくて、弱いもの同士が戦っていたら、その負の連鎖を止めないと誰かが傷付くとしたら、じゃあ止められる強い人はどうすれば良いのかな?」
「えっ……?」
ミカは本能で理解していた。
自分と暦は、今は主従関係のような特別な関係性で、自分が
従者がピンチの時は、主が解決してあげなきゃという想いだった。
「わ、分からない…… でも、後から来た方はイジメの主犯格だろうし……」
「だったらさ、イジメは非常に悪いことだからって事で主犯格は他者から殺されても良いの? これ以上、あのイジめられっ子君に殺人の罪を被せるの?」
「……それは違うよ」
暦は首を横に振る。
「あ、待って。でもやっぱり主犯格側は、今は友達の仇を取ろうと必死になってるんだよね。それなら主犯格は殺さなきゃダメだよ」
「それも違う‼︎ 殺されなきゃいけないなんて、絶対におかしい‼︎ ねぇどうしたのミカ⁉︎ なんで急にそんな事言うの⁉︎ なんか今のミカ、どこか変だよ‼︎」
暦がミカの腕を掴んで叫ぶ。しかし暦もそこまで言われてミカの発言に秘めた真意をようやく理解する事で、頭から血の気が引いた。
「……うん、そうだよ」
ミカは暦の顔をそっと手にとる。
「もしもだよ、暦。もし暦がどっちかの味方になったとしたら“止められる”んだよ」
“その言葉”が一体、何を意味しているのか。暦はもう既に分かっている。
自分より弱い二人の争い。もちろん二人を止めないといけない。もしどちらかの味方に自分が付いたら、二人がかりなら、どちらかを止められる。
もしくは、殺してしまえる。
「うわあぁぁぁ⁉︎」
魔法少女は膝を折り、頭を抱えた。
自分以外、誰も出来ない。誰も代わってはくれない。時間は一秒たりとも待ってはくれない。
「命の…… 選択……ッ‼︎」
その使命感が、一気にプレッシャーとなって押し潰されそうになった。
これがヒーロー、なんだと。
これが正義の味方、なんだと。
「大丈夫だよ暦、落ち着いて。暦は強いからきっと決められるよ」
ミカは、小さくうずくまる暦を優しく抱きしめる。
そうすると暦の中にある巨大な不安が、一気に自分の方へと流れ込んでくるのを感じる。
「ミカ……」
かすかに自分を求める、少女のかすれた声がした。
「大丈夫、大丈夫。暦がいつどこかで何かを間違えたとしても、私がずっと側で同じ間違いを背負うから」
その言葉で、魔法少女は目の前に光を見出す。
「二人を止めた後は…… 後で考える‼︎」
◆
……それは、一瞬の出来事。
化け物をたった一回の打撃で行動停止させ、悪魔をたった一回の
「すご……」
その手際の良い完封ぶりは、もはやミカですら言葉を失ってしまう程に鮮やかだった。
魔法少女宇島暦は、これで“強者側”の存在になった。だからこそ本当に迷いの無くなった暦は、もっともっと強くなれる。
(この力があれば、完成された絶対正義の暦が、きっと見れるはず……)
ミカは、そう思わずにはいられなかった。
「よ、よし。まずは二人をあまり人目に付かない所へと移動させて……」
暦はこの場においてまだ“どちらかの味方”ではなく、“双方の味方”になろうとした。
だが警戒を解いたその一瞬の隙を当然、悪魔は決して見逃さなかった。
「死ねやぁッ‼︎」
悪魔は最期の力を振り絞り、化け物に飛びかかった。
「オマエガ死ネエエエエ‼︎」
化け物も最期の力を使い、悪魔を迎撃した。
「あ、相討ち……」
「そんな……」
化け物も悪魔も、お互いに捨て身の攻撃で弱点を貫き即死する。その瞬間を零距離で見届けていた暦に、深い後悔と自責の念が押し寄せる。
「イヤァ、イヤァァァァ‼︎」
暦の絶叫が、冷たい工場内に響き渡る。
二つの遺体が綺麗に重なっている。悪魔の腕は化け物の心臓を貫き、化け物の尾は悪魔の頭骸骨をいともたやすく粉砕し脳味噌ごと吹き飛ばす。
「……………………」
そんな両者の返り血が、暦の責任感に泥を塗った。
◆
野次馬や警察が現場へ駆け込んでくる前に、暦とミカは工場を後にした。
すぐ近くの工場が見える丘の上で眺めていると、駆けつける救急車やどこかのテレビ局の車がひっきり無しにやって来ている。
「はぁ……」
工場は燃えていた。
化け物と悪魔の戦いを無かったことにするかのように燃えるのを瞼に焼き付けながら、暦は後悔の念でいっぱいのまま吐き捨てるように言った。
「あの二人を救えなかった……」
「少し判断が遅かったのかも。でも、その力があれば、もっと判断が早くなれば、これからは救える人の方が多くなる」
ミカは落ち込む暦に寄り添う。
「これからも暦のそばに居させて」
「……こちらこそ」
ミカの気持ちを受け取り、そのおかげか少しだけ暦の心の荷が軽くなる。
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