第7話 決意




 セティヤとネウラは避難民の一団から少し離れたところに来た。

 会話は聞こえないが、なにかあったらすぐに駆けつけられる距離だ。

 もしデマルカシオンが襲撃してきても、対処出来るように用心は怠らない。


「百億円と姫さまを嫁として連れていくですって!?」


 ネウラは驚愕の声をあげた。


「ネウラ、声が大きいですよ」

「申し訳ありません、姫さま。しかし要求が大きすぎます。よりにもよって姫さまと百億円など。それにあの男は勇者ですよね? まさか勇者が金銭を要求するなど」


 そういう反応を示すものだとセティヤは安堵した。

 空人の要求はこの世界では異様なことだ。


「私もそう思いますが、空人の言葉も一理あります。異世界人を便利に使いすぎていました。他の世界の人間だから粗雑に扱っても構わないというが、デマルカシオンを生み出した」

「それはそうですが……」

「空人が倒したケンタロウスシェイプは、子供が生まれて病院に向かっているときにこの世界に召喚されました。異世界召喚技術を作るための実験台にされたのです」


 あの言葉を聞いたとき、セティヤは自分の先祖の罪を認識した。

 家族を皆殺しにされ、国民も大勢殺された。

 デマルカシオンへの怒りと憎しみは深い。


 だが自分たちの先祖の行いがなければ、彼らは幸せに生きられたはずだ。

 

「彼の憎しみに直に触れたとき、私は思いました。私たちは許されないことをしたと」

「しかし我々が助かるためには、異世界から勇者を召喚するしか方法がありませんでした! どうしようもなかったはずです!」

「それは私たちの理屈ですよね?」


 ネウラは口ごもる。


「彼らにも人生があったのです」

「姫さまはケンタロウスシェイプの話を聞いて、衝撃を受けただけです。罪悪感を抱いて、その罪悪感を解消するためにあの勇者の言葉を叶えるべきだと思った」

「否定はしません」

「でしたら、受け入れる必要はありません! デマルカシオンを倒したら、帰還の準備が整うまで適当な理由をつけて滞在させて、送り返せばいいんです。こちらの弱みにつけ込むような態度が気に入りませんっ」


 ネウラの言葉を聞いて、この考えが悲劇を生んだのだと実感する。 

 

「ネウラ。あなたの考えは新たなデマルカシオンを生むことになります」

「しかし姫さまがこの世界からいなくなるなんて!」

「それが本音ですか?」

「――ッツ」


 ネウラは唇を咬んだ。


「空人は気づきますよ。あの方は勘が鋭い。我々が約束を反故すれば、デマルカシオンを倒したその力で私たちに襲いかかります。デマルカシオンを倒したとき、私たちが疲弊しているのは確実です。その私たちがあの方を止めることが出来ると思いますか?」

「でしたら――」


 ネウラの言いたいことはわかる。

 事が終わったら、空人を始末しろといいたいのだろう。

 空人を始末するのはベットの上で油断させれば、容易いかもしれない。


「嫌です」


 セティヤはキッパリと言った。


「はっ?」


 ネウラがキョトンとした顔をする。

 ネウラとは長い付き合いだが、こんな顔を見たのは何回目だろうか。フィウーネ王室の一員として、真面目に生きていたつもりだ。護衛として仕えてくれたネウラには苦労を掛けまいと考えていた。


 だからこれくらいの我が儘は許して欲しい。


「私は空人と一緒に行きたいのです」

「それは姫さまはあの男に惚れたと?」

「好きとまでは言いませんが、好意は抱いています。あの方は敵に対しても敬意を払っている。十字を切るやりかた、あれは冥福を祈るやり方です」

「エルデのやり方ですね。私も文献で読んだことはありますが、ゴブリンに対しても冥福を祈るなど」

「私は好きですよ。ゴブリンもまた犠牲者といえます」

「理屈で言えばそうかもしれませんが……奴らが民にすることを考えれば、種として滅ぼそうとさえ考えてしまいます」


 ネウラは怒りで拳を握る。


「私は……多くの民を助けながら避難してきました。ゴブリンに蹂躙されている女を多く助けました。道中で自ら命を絶った者も少なくはありません。姫さまはその理由をおわかりになるはずです」

「彼はこちらの世界のことを理解していません。いえ、理解していても十字を切るでしょうね」

「そんな男になぜ姫さまが!」


 ネウラが吠えた。

 彼女の怒りはわかる。


 ゴブリンに襲われたものは高確率で妊娠し、ゴブリンを産む。それはゴブリンという敵を増やすことに繋がる。自殺した女性達はそのことを理解し、これ以上敵を増やさないために、自ら命を落とす選択をした。


「あの方は優しいのですよ」

「最初に二百億円を要求して、百億円に捲けるから姫さまを求めるのは性格が悪いかと」

「逆ですよ。あの方はそういう理由を付けて、私を助けてくれたのです。いいえ、私だけではありません。フィウーネ王国の民も救ってくれたのです」

「生き延びるですか? それはどういう意味でしょうか」


 ネウラは生真面目で頭も回る。

 しかし理屈屋で、人は感情で生きるものだと理解していないところがある。


「デマルカシオンはこの侵攻がフィウーネ王室の所為だと喧伝しています」

「そんな戯れ言、民が信じるはずがありません!」

「本当にそう思いますか?」

「それは……そうかと」


 ネウラは歯切れが悪くなる。


「ネウラ、大人は自分の心を隠す術を持っていますが、子供は未熟ゆえに隠す術を持っていないのです」

「すべてが終われば、民もわかってくれるはずです」

「ネウラ、疑念の種はどんなに取り繕ったところで消えることはありません。戦いが終われば、責任は追及されます。デマルカシオンの高度な兵器が異世界人の知識と技術で作られたものだというのは説得力もあります」

「しかし姫さま!」

「ネウラ」


 セティヤは悲しげに笑った。


「本当は復興するつもりだったんです。なにがなんでも、どんな手を使っても、祖国を復興させると。でもデマルカシオンの憎しみに直接触れて、わかったんです。私たちは許されないことをしたんだと」


 セティヤは肩を抱いて、震えた。


「我が王族は許されないことをしてきた。大義を言い訳にして、数多の異世界の人々の人生を狂わせた。その結果がこの世界の多くの民を救い、祖国を滅ぼす結果ならば受け入れようと」

「姫さま、それでもっ」

「ネウラ。残念ながら、私に民を導く資質はありません」


 それに、とセティヤは付け加える。


「各国からも、デマルカシオンの侵攻で受けた被害について賠償を求められるでしょう。私は上手く政治的に立ち回る自信がありません」


 情けないが、一番上の兄のようなカリスマ性はない。

 王になるための教育も受けてはいない。

 

「姫さま。城下町で町娘に扮して、週に三日働いていたことを気にされているのでしたらそれは勘違いです。王は姫さまの護衛をつけていました。私も隊長として、管轄していました」

「知っていましたよ。客のなかに騎士が混ざっていたのは雰囲気でわかりました」

「王は姫さまに庶民の生活を知って欲しかったのです。他の国で王妃として、立派に役目を果たして欲しかったからです」

「国王は若いころに、別の国で身分を隠して船大工として働いていたと聞きました。気質なのでしょうね」


 兄や姉も同じようなことをしていたと聞く。

 本人は隠しているつもりなのに、周りにはバレバレだったとみんなが語っていた。


「お兄様達と違い、私は王になる教育は受けて育たなかった。私に国王や兄様達の代わりが務まるとは思えません」


 父や兄ならば、責任を追及してくる各国をのらりくらりとかわすくらいの芸当は出来そうだ。逆に国の復興に必要な費用を各国から分捕ってくるくらいことはするだろう。


「デマルカシオンの侵攻で受けた被害は、我々の責任ではありません。勇者を召喚しなければ、最初の魔王軍の侵攻のときに世界は滅んでいました」

「それが政治というものですよ。復興には多額のお金が掛かります。フィウーネ王室の権威を煙たく思うものたちもいるのは知っています」

「南のマンライン帝国ですか」


 ティアーズ大陸の南部一帯を治める大帝国がマンライン帝国だ。

 獣人中心の国家で、東部諸国や西部諸国の植民地になっていた過去がある。

 いまは独立を果たしたが、植民地だった時代の怨みはいまだ消えていない。


「王の弟であり、宰相も務めていた我が父が生きていれば——状況は変わっていたかもしれませんね」

「ネウラのお父様にはお世話になりました。亡くなるのをこの目で見なければ、希望は持てたのですが」


 混乱する王都でネウラの父は巨大な斧で首を撥ねられた。

 思い出すだけで吐き気がする。

 多分、あれはシェイプシフターだろう。


「もし姫さまがいなければ、フィウーネ王国は消える。フィウーネ王国が消えれば、責任は誰も取る必要がないというわけですか」

「私がこの世界にいれば、フィウーネ王国は存続します。しかし私が勇者の報酬として、この世界から消えればフィウーネ王国は完全になくなります。世界を救った勇者の望みを、各国が邪魔することも出来ません」


 勇者はこの世界を何度も救った。

 それ故に勇者の望みは、各国の王でも断ることは簡単に出来ない。

 勇者を何度も元の世界に帰したのも、戦後に邪魔になったからだ。


「あの男はそこまで考えて?」

「自分のいた世界と異なる世界です。そこまではっきりとわかったとは思えません。ただ、勘のいい方です。なんとなくわかったのかもしれませんね」

 

 ケンタロウスシェイプの言葉がきっかけだと思うが、伏せておく。


「フィウーネ王国は、既に終わりなのですよ」


 ネウラは肩を落とす。

 部下の前では決してしないことをするのは、親しい間柄だからだ。


「ネウラ、終わったのですよ。フィウーネ王国は」


 既に祖国は永久に失われていた。

 自分に言い聞かせるように言って、悲しくなった。

 父や兄が生きていれば、存続出来ただろう。

 だが、国を継げるものたちはいなくなった。


 王国は王族がいなければ終わりだ。

 それも相応しい国を治めるのに相応しい王がいなければ、国は滅びる。


 セティヤはネウラを抱きしめた。

 

「姫さま……」

「私は新しいフィウーネに繋げなげたいと思っています」

「新しいフィウーネですか?」


 セティヤは頷く。


「フィウーネは肥沃な土地で、交通の要所として発達してきました。この戦いが終われば、人々は豊かに暮らせますよ」

「しかし政治体制はどうするのですか?」

「西部諸国の民主主義は知っていますね? 民が指導者を選ぶ新しいシステムです。あれを導入しようかと思います」

「姫さまは西部諸国の支援を取り付けるつもりですか」

「西部諸国は民主主義を広めたいですからね。手厚い支援を受けるつもりです」

「しかし王政を維持したい東部諸国からの反発が予想されますね」


 三代目勇者が西部諸国に広めた民主主義は、王政を維持したい側にとっては厄介極まりなかった。


 三代目勇者のとき、魔王軍の侵攻で被害が大きかったのは西部諸国だった。

 優秀な人材の多くが戦乱で失われ、西部諸国は疲弊していた。

 そんな状態で血を流す革命が起き、西部諸国は大混乱を招いた。

 先導したのが召喚された勇者というのが事態を面倒にした。

 最終的に三代目勇者を元の世界に戻すことで革命は西部諸国で終息したが、東部諸国を中心に民主主義への懸念は強い。


「森林同盟六州にも援助を頼みたいと思います。あの国は民主主義が広まったとしても、なんの問題もないですから」

「エルフの考えは我々とは違いますからね。尤も我々にもエルフの血は流れていますが」


 ネウラは苦笑する。

 フィウーネ王室にはエルフの血も取り入れていた。

 エルフ特有の長寿は発揮されていないが、フィウーネ王族の整った容姿はエルフの血が成せるとも言われている。


「ネウラ。あなたに伝えたいことがあります」


 セティヤはほんの少し躊躇った。

 私的すぎて、ネウラに呆れられてしまうだろうか?

 そう思ったが、正直に話すことにした。


「空人の世界に興味があるのです」


 それに、とセティヤはほんの少し頬を赤らめて、


「私はあの方と一緒にいたいのです」


 こんな気持ちになったのははじめてだ。

 これは恋なのだろうか? 自分でもよくわからない。

 一時の気の迷いなのかもしれない。

 吊り橋効果というものかもしれない。


 ただ、空人と一緒にいたい。

 どこまでもあのひとと一緒についていきたい。

 ここではない、別の世界を見てみたい。


「そんなことだと思いましたよ」


 ネウラがふっと笑う。


「わかっていましたか」

「何年お仕えしていると思っているのです? 姫さま……いいえ、私の可愛い妹、セティア」


 ネウラはそっとセティヤの頭を撫でた。

 懐かしい記憶が蘇る。


 いまから十二年前、セティヤは木登りをしていた。

 城で一番大きい木に登っていた。

 専属のメイド達の静止を聞かず、グイグイとてっぺんを目指していた。

 そうして踏み外して落ちた。

 頭から落ちて、死を覚悟した。

 父に連れられて城に来ていたネウラが、受け止めてくれなければ死んでいただろう。


 そのとき、ネウラにこう言われた。「危ないから、気をつけないと駄目だよ。お姉ちゃんがいないところで、のぼったらいけないからね」と。


 それ以来、ネウラはいつも付き添ってくれていた。

 兄弟姉妹のなかでもお転婆だった自分を心配して、ネウラを付き添わせるようにしたとは、のちに父から聞かされた。


「ネウラお姉様には叶わないですね」

「わかればよろしい」


 セティヤとネウラはどちらからともなく笑いあう。

 こんな風に昔のように砕けた接し方をされたのはいつぶりだろうか?

 セティヤにとってネウラは護衛であり、心を許せる友であり、頼りになる姉だ。


「子供のころから、勇者達がいた元の世界。エルデに興味津々だったもんね」

「そうですね。私たちの先祖が暮らしていた世界ですからね。ひょっとしたら、帰りたいという望郷の念が私の心を動かすのかもしれません」

「私も同じかな」

「そうだと思いました」


 ネウラも興味があるのはわかっていた。

 だからこういう。


「ネウラ。あなたに命じます。私に付いてきなさい」

「ハッ、お供します」


 ネウラは握りこぶしを胸に当て、頭を下げる。

 先ほど、セティヤに注意されたばかりだが、ネウラは敬礼をした。

 敢えて敬礼したのだろう、自分の決意を見せるために。


「ネウラ。護衛の騎士たちは食事がまだでしょう?」

「ハッ、騎士たちには交代で食事をさせるようにします」

「お願いしますね、ネウラ」

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