第6話 ネウラ・デューサ

「さて、あんたも食べろよ」


 空人はセティヤにラザニアを手渡した。


「ありがとうございます」


 セティヤは微笑み、ラザニアを受け取る。


「俺も食べるかね」


 ケンタロウスシェイプを倒し、次はバイクでアパッチの撃墜だ。

 連戦は疲れる。

 疲労の回復には温かい食事が一番だ。


 ヘルメットを外す。

 ラザニアが入った容器の蓋を取り、香ばしい匂いを嗅ぐ。

 魔素の関係で悠長に食べていられないから、大急ぎでスプーンで食べられるサイズに切り、口に運んだ。


「やはりラザニアは最高だぜ」


 空人は満面の笑みを浮かべた。

 ミートソースと平打ちのパスタは、絶妙なハーモニーを醸し出す。

 疲れた体に温かい食事はほんとうに効く。

 じっくりと堪能したいが、既に肌がピリピリと痛くなってきたので大急ぎで頬張る。

 口の中が火傷しそうになり、息を吐いて熱を逃がしながら、ヘルメットを被った。


「ふふっ、空人さま。リスみたいですね」

 

 セティヤが微笑む。

 容器のラザニアは空になっていた。

 いつの間に食べたのだろうか?


「こっちの世界にもリスがいるんだな」

「空人さまの世界にもリスがいるんですね」

「もちろんいるというか、リスがいない世界というのが想像出来ないな。終末の世界とか、コロニーに住んでいるとか。そういう感じか」

「よくわかりませんが、お話の世界ではリスがいないこともあるんですね」

「そうだな」

 

 あまり深く考えてはいなかったが、創作の世界ではおかしくはないか。


 空人は笑いながら肩をすくめる。意識して考えたことはなかったが、セティヤとの会話が妙に和やかで楽しかった。


「もしデマルカシオンの『無尽の戦乱』が起きれば、リスがいなくなるのでしょうか」

「その可能性は否定出来ないな」

「では、絶対に止めないといけませんね」

「リスがいない世界にしないためか」

「おかしいですか?」


 セティヤは小首を傾げて、真剣な瞳で見つめてくる。

 その仕草があまりにも可愛らしく、まるで本当にリスみたいだと空人は思った。


「いや、それも大事だ。リスがいない世界なんて、つまらない。またひとつ、戦う理由が出来たってわけだ」

「頑張りましょう、空人さま」

「ああ」


 空人は頷いた。


「ところでさ、セティヤ」

「なんでしょうか? 改まって」

「その、様付けをやめてくれないか? 俺は様付けされるような人間ではないんだ」

「そうでしょうか? あなたは二度も救ってくれました。いいえ、これで三度目ですね。私の命を二度。そして大切な民を救ってくれた。それだけで私の英雄です」

「そいつは嬉しいが、契約を果たしているだけだしな。破格の報酬をもらうから、これくらいのことはするさ」


 目の前で死にそうなひとがいれば、助けるのは当たり前だ。

 感謝されるほどのことではない。


「あなたは様をつけるに相応しい方だと思います」

「そう言ってもらえると嬉しいんだが――まあ、なんというか。とにかく、様付けは辞めてくれ」

「では、空人殿?」

「空人でいいさ」

「空人、ですか……」


 セティヤは少し思案し、


「いいですね」


 あっさりと頷いた。


「では、空人。これからもよろしくお願いします」


 セティヤはとびきりの笑顔になる。

 




  


 避難民の男がやってきた。

 初老で着の身着のままで飛びだしてきたという感じだ。


「あの、まさかと思いますが。セティヤ姫さまでしょうか?」

「はい。私はフィウーネ王家のセティヤ・フェッテです」

「まさか、こんなところでお会い出来るとは」


 初老の男はその場で跪き、頭を垂れた。


「疑ってしまい、申し訳ありません。私たちに食事を手渡されたあなた様を見て、まさかとは思ったのです。しかし私たちのような下賎の者に、まさか直接手渡されるなどあり得ないと思ってしまいました」

「顔を上げてください。私はあなたを下賎の者とは思いません。よく生きていてくれたと、感謝の言葉を伝えなければいけないくらいです」

「なんともったいない」

「こちらこそ、あなたにそんなことをいわれると困ってしまいますよ」


 セティヤは微笑んだ。

 

「その民に分け隔てなく接するお姿は、まさしくセティヤ姫! みんな、セティヤ姫がいらっしゃるぞ!」


 セティヤと初老の男の様子を見ていた避難民のひとりが、大声をあげた。


「セティヤさま。ご無事でしたか」

「ああっ、姫さまが生きていた! やったぁ!」

「姫さまがご無事でなによりです。ありがたや、ありがたや」


 避難民のなかには涙を流す者もいる。

 セティヤは人々に慕われているようだ。

 避難民達はセティヤに押し寄せる。


 その様子を護衛の騎士たちは見守っていた。

 人々が危害を加えないことをわかっているのだろう。


「姫さま。あたいのことがわかるかい?」

「あなたはアータル叔母さん?」

「そうさ。王都が襲われたとき、上手く逃げられたんだよ。あんただけでも生きていてよかったよぉ」


 アータルと呼ばれたふくよかな中年の女性は、セティヤの手を握って安堵の笑みを浮かべた。

 セティヤと親しげな感じで、それなりに身分の高いのかもしれない。


「街のみんなはどうしました?」


 アータルは首を振るう。


「そんな……」


 セティヤは悲しそうな顔になった。


「あたいの家族は離ればなれになったからわからない。アルフレッド、マリステル、エマリ、キリル……あの世に旅だったのを見たよ。他のみんなはわからないね。ばらばらに逃げたから、無事だといいけど。あたいの家族と一緒に、森林同盟六州で出会うのを祈っているよ」

「そうですか……」


 セティヤの様子から、親しい間柄のひとたちが大勢いなくなったか行方がわからないみたいだ。


 避難民の集団は他にもいるらしいので、ひとりでも多くのひとが生きていることを祈るばかりだ。 


「あんたが落ち込むんじゃないよ。王族だろう!」


 アータルはセティヤの背中を気合いを入れるように、バシッと叩いた。


「逃げることしか出来ない私たちに、王様はこう仰っていたんだよ。民が残れば、国は滅びない。民こそが国なのだと。未来を担う子供達がいれば、この国は滅びることはないとね」

「お父様がそんな言葉を……」


 セティヤが悲しそうに呟き、ほんのひとしずくの涙を流す。

 すぐその涙を拭い、セティヤは力強く避難民ひとりひとりを見回す。


「皆さんが生きていてほんとうによかった。あなたたちがいれば、フィウーネ王国はまた立ち上がることが出来ます。森林同盟六州は手厚い保護を約束してくれています。大変だと思いますが、頑張って生きてください」


 避難民達は一斉に頷く。

 その言葉に違和感を覚えている者もいそうだが、敢えて無視したように思う。


「姫さま。デマルカシオンがこの攻撃は、姫さまのご先祖さまが原因だって言っていたよ。ほんとう?」


 幼い子供が声をあげた。

 母親が子供の頭を抑えて「姫さま、ご無礼をお許しください! キツくいっておきますので」と注意する。


 セティヤは苦笑した。


 避難民達も口にはしないが、一抹の不信感を抱いているのだろう。

 本当のことなのだから、否定しても嘘になる。

 この場は適当に流すのが正解かもしれない。


「空人。この者達を森林同盟六州に無事に送り届けたいと思います。よろしいでしょうか?」

「もちろんさ」


 ざっと見渡した限り、避難民と護衛の騎士を合わせて五百人ほど。

 セティヤにとっては大事な民だ。

 しかも自分の父親が命を賭けて守ったとなれば、是が非でも送り届けたいだろう。


「アータル叔母さんは城下町で暮らしている庶民です。私はよく城を抜け出していて、城下町のひとたちと親しいんです。王族として許されないのはわかっているのですが、アータル叔母さんだけでも、無事に避難させたいんです」


 セティヤは申し訳なさそうに言った。


「良いと思うぜ」

「空人さまっ」

「様は禁止だ」

「そうでした」


 セティヤははにかんだ。


 王族が自国民を贔屓するのは良いことではないだろう。

 だが、彼女はデマルカシオンの侵攻で家族を失っている。

 これ以上親しいひとを失いたくないという気持ちを抱くのは、人間として正しい。





「姫さま、ご無事なようで。安心しました」


 女騎士が現れた。

 握りこぶしを胸に当て、頭を下げる。


「ネウラ、顔を上げてください。戦場で敬礼は危険だからやめるようにと習っているはずです」

「はっ、失礼しました」


 戦場での敬礼は隠れているスナイパーに、指揮官だと判断させてしまうから禁止だと映画で見たことがある。


 この世界にもスナイパーがいるのだろう。

 しかしスナイパーがいたとしても、意識しているということは、セティヤは平和ボケはしていない。戦闘力は高いし、平和ボケしていないとなれば、頼りになると改めて思った。


 空人はネウラを改めてみた。


 セティヤにも劣らない美しい女性だった。

 全身を純白の鎧で包まれているが、モデルのような肢体なのは鎧を着けてもわかる。

 

 鎧はあちこちに傷や汚れが目立ち、激戦をくぐり抜けてきたのだろう。他の騎士たちはネイビーの鎧を着ていることから、特別な地位にいるのは間違いない。


 整った顔立ちに強い意志を感じさせる左目。

 右目は眼帯で覆われているのが印象深い。

 

 肩に揃えた銀色の髪はセティヤと同じだ。

 凛とした雰囲気を漂わせた魅力的な大人の女性といった感じで、セティヤが成長したら彼女のような感じになるのだろう。


「ネウラ、無事なようでホッとしました」

「召喚の儀式は成功したようですね。ただ、その勇者さましかいないということは、護衛の者は……」

「残念ですが、儀式が成功したときに襲撃を受けて全滅しました」

「そうですか」


 ネウラと呼ばれた女騎士は唇を咬んだ。


「王都を脱出できたのは、どれだけいますか?」

「数万人が脱出したはずですが、追撃が激しく、どれだけ生き残っているかはわかりません。通信魔法を使うとデマルカシオンに探知されて攻撃を受けます。状況は不明です」

「そうですか。状況は厳しいですね」


 セティヤの顔が曇る。

 

「無事に森林同盟六州にたどり着けるといいのですが」

「森林同盟六州に援軍を要請しています。手練れの彼らが援軍としてきてくれれば、多くの民は助かるはずです」


 ネウラはセティヤを元気づけるようにいった。


「それに姫さまは儀式を完了されたではありませんか。先ほどの戦いを見て、我らは希望を与えられました! あの力があれば、デマルカシオンを倒せると!」


 ネウラはやや興奮気味にいう。

 そこまで期待されると嬉しい反面、プレッシャーだ。

 デマルカシオンの物量は相当なようだからだ。

 アパッチや戦車が相手でもある程度は戦えるだろう。

 だが、圧倒的な物量を前にどれだけ戦えるかは疑問が浮かぶ。


「予断は許しませんけどね」


 セティヤは深く息を吐いた。

 それから空人のほうを向く。


「彼女はネウラ・デューサ。私の専属護衛を務めている騎士たちのまとめ役です」


 セティヤが簡単に紹介してくれた。

 

「ネウラには脱出した民の護衛を命じました。彼女は最初抵抗しましたが、納得してくれました」

「部下達が立派に仕事を果たしたことは誇らしく思います。ただ、私もついていけば犠牲は減らせたかもしれないと思うとやりきれないですね」


 ネウラは苦悶の表情を浮かべる。


「なにが最善だったか、わかるのはいつも時間が経ってからです。あなたが民を守ったことでデマルカシオンを倒すきっかけになるかもしれませんよ」

「ハッ、了解しました」


 ネウラが背筋を正す。

 なんとなく堅物という印象を抱いていたが、間違ってはいなかったようだ。


「召喚された勇者様、ご挨拶が遅れたことをお詫びします。わたくしはネウラ・デューサ。デューサ公爵家に連なるものです」


 ネウラは恭しく頭を下げてくる。


「仙石空人だ。誤解があるといけないから先に言っておくけど、俺の国では苗字の次に名前をいう。それと勇者というが、報酬をもらう約束をしているからな」

「報酬ですか?」


 ネウラが眉をひそめる。

 セティヤが「こちらで話しましょう」と、ネウラを少し離れたところに連れていく。



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