第3話 ただ、君に生きてほしいから



「交渉ですか?」

「帰還出来るのはわかったが、手ぶらで帰るつもりはないんだ。要するに成功報酬をくれよ」

「……報酬、ですか?」


 セティヤが困惑の声をあげた。


「いままでの勇者達はよほどお人好しだったんだな。世界を救うんだぜ。成功報酬くらいはもらっても罰は当たらないだろう」

「それは――そうですが」

「今回の戦いは、あんたらの尻拭いだ。自分たちの世界を救うために、大勢を犠牲にした結果、こんな結果を招いたんだ。俺個人としても、仕事に支障が出るしな。それ相応の賠償はしても罰は当たらないと思うぜ」

「申し訳ありません」


 セティヤが頭を下げる。


「謝罪より金が欲しいんだ。元の世界にも戻りたい」

「先ほど、お話ししたとおり、元の世界に戻る方法はあります。こちらの都合で来ていただきましたし、膨大な魔力があるので準備に半年は掛かりますが可能です。しかしお金ですか……おいくらでしょうか?」

「二百億円かな」

「そっ、そんな大金はありません!」


 日本の場合は、二百億は地方都市の年間予算の十分の一程度だった気がした。払えない額とは思えないが、この世界の経済状況では厳しいのかもしれない。


 ――まあそこまで欲しいわけではないけどな。遊んで暮らすためには、十億もあれば十分だ。

 

 まず高値を吹っ掛けて、希望価格まで下げる。

 二百億と言ったのはこちらの都合を考えずに召喚した意趣返しであり、舐められないための措置だ。

 

 百九十億も値引きすれば、恩も売れる。

 

「交渉決裂だな。俺はあちら側につくことにするぜ」

「あなたはデリバリーヒーローでしょう?」

「デリバリーヒーローは有料でね」

「そんな勇者聞いたことありませんよ!」

「その態度が現状を招いたという自覚を持つんだな。異世界人だからと気軽に実験して、犠牲にしたツケが回ってきたんだ。金をもらえないんだったら、奴らに協力するぜ」

「そんな……」

「異世界にいきなり拉致されて、タダではいそうですか、なんてやれるかよっ。こちとら成果報酬で働いているフリーランスなんでさ、タダ働きをするつもりはない」


 空人は男の方に向かって、歩き出した。

 たった半年で二百億円も稼げはしない。

 ブラフであり、無償で働かせようという魂胆が気に入らないから高額を出しただけだ。

 

「世界を救うんだ、二百億円は安いと思うけどな」

「それは……」

「デマルカシオンを叩きつぶすために必要な軍事費、人的損失、経済的損失。それらを勇者ひとりを雇うことで抑えられるんだ。二百億は安いと思うが?」

「まっ、待ってください!」

「その気になったか?」


 セティヤはほんの一瞬、目を閉じた。

 そして目を開き、こう告げてくる。


「我が国は復興にお金が掛かります。軍も再建しなければいけません。そこまでの大金を出すことは出来ません! ですが百億までならば隠し財産から出せます!」

「この期に及んで半分にまけるつもりか」

「はいっ」


 セティヤは覚悟を決めた顔でいった。

 この期に及んで、そんなことをいうとは。

 それだけ国のことを考えているのだろう。

 素晴らしい、素敵だ。

 惹かれる。


 ――そろそろ、捲けてやるか。


 そう思ったときだ。


「ハハハッ、国を考えてのことですか! 美しい、じつに美しいですね! 美談です! しかし大衆はあなたを許すでしょうか?」

「どういうことだ?」

「我々が誕生したのは、フィウーネ王室の所為だと喧伝しているのですよ! 勇者召喚システムを作るために犠牲になったものたちが、この世界に牙を剝いているのだと知られています」

「そんな戯言、信じると思うのか?」

「真実なのですがねぇ。まあ全員は信じないでしょう。ただ、疑いの目は向けられます。フィウーネ王室が余計なことをしたから、自分たちは苦しんでいる。そう考えるひとたちは出てくるでしょう」

「俺は勇者召喚技術を擁護するつもりは欠片もないが、ある意味で仕方ないとも思うぜ。みんな、自分たちが優先だからな。俺も同じ立場ならば、そうしたかもしれない」


 どんなつもりで、勇者召喚技術を作ったのかはわからない。

 そこに葛藤はあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 権力者にサイコパスが多いという話も知っている。


「馬鹿どもに付き合う必要はないだろうさ」

「アハハッ、理解していませんね。こういうのが火種になるのです! 我々は倒されることも想定済みです! 残念ながら、この世界は強い! 五度も魔王軍を撃退したこの世界の人間は我々も倒される可能性は十二分にある! ですから火種を撒いているのです!」

「なにかがきっかけで、大乱が起きるといいたいのか?」

「断言します。野望を抱いたものが、フィウーネ王室を狙います。これだけの犠牲が出て、誰かが責任を取らなければいけないのですよ」


 セティヤに責任はない。先祖の罪は子孫には受け継がれない。

 だが、犯罪者の子供は虐げられる。大きな事件を起こせば、ときにはその親族にも影響が及ぶ。

 

 怒りの矛先をフィウーネ王室に向けたいものもいるだろう。

 ごく少数だとしても、一度ついた火は燃え広がるかもしれない。


「王族の使命だと覚悟を決めています」


 セティヤは力強く言った。


「ほぉ、あなたは死ぬかもしれないのに怖くないと?」

「いいえ、怖いですよ。死にたくはありません。ただ、覚悟を決めているだけです。西側諸国には民主主義国家がありますが、フィウーネ王国も民主主義国家になればいいと思っています。そのために私の命が必要ならば、差し出すつもりです」


 セティヤはキッパリと言った。


「家族は皆、私に希望を託して死んでいきました。私が命を惜しむわけにはいきません」

「そうか」


 こんな子を死なせるのは勿体ない。

 生きていて欲しい、と強く思った。

 だからこういう。


「百億にまけてもいいぜ」

「ほんとうですか? でも条件がありますよね」

「察しがよくて助かる」


 空人はひと息吸う。

 これは一世一代の大イベントだ。

 異世界で、まさかこんな状況でやることになるとは思わなかった。


 ――まったく人生はなにが起きるか、わからねえな。


「あんたが俺に付いてきてくれれば、だ」

「それはあなたの嫁になれと?」

「あんたには百億の価値があるからさ」


 セティヤは目を大きく開いた。


「あんぱん、美味かったんだろう? あれを毎日食わせてやるぜっ」

「それは――凄く魅力的な提案ですねっ」


 セティヤが心なしか前のめりになっている気がした。

 空人はヘルメットのしたでふふっ、と笑った。


 ヘルメットを被っていて良かったと心底思う。

 こんな些細な仕草で、彼女に惹かれつつある自分の顔を見られたくはない。

 

 ただし、本当に嫁にするつもりはない。

 彼女がこの世界でいずれ命を落とす危険があるとわかっていて、放っとけないだけだ。


 セティヤを自分の世界に連れていったら、自分は保護者として彼女を見守るつもりだ。

 百億もあれば、戸籍の偽造をして、セティヤひとりを養うくらいは余裕で出来るはずだ。


「あんたにはそれだけの価値がある。俺が知っているどの女優よりも綺麗だ。だから言った。それだけだ」

「はい……ありがとうございます」


 セティヤは曖昧にこたえて、次の瞬間には頬をぶわっと赤らめた。

 空人はセティヤの顔を見ないように顔を背けて、男のほうを向いた。


「というわけで、俺は世界を救うことになった。悪いな」

「馬鹿な! この世界に復讐しないのですか!」

「『無尽の戦乱』だったか。俺はそんなくだらないことに加担するつもりはない」

「あなたは騙されている! 最後は不要になって始末されます!」


 男は食い下がる。

 しつこいと思ったが、


「まあそうかもな」

「でしたら――」

「それでも帰れる可能性があるならば、そっちの方に賭けるぜ」


 脳裏に浮かぶのは家族の顔だ。

 特に可愛い甥っ子と二度と会えないと考えるだけでゾッとする。


「あなたはわかっているのですか? その願いは、我々を皆殺しにしなければ届かない。両手を血に染めて、大切なひとたちを抱きしめるのですか?」

「陳腐な台詞だが、突きつけられると考えてしまうな」


 大勢殺すことになるだろう。

 真っ当な人生を送っていたつもりだから、人なんて殺したことはない。だが、これからは殺さなければいけない。元の世界に帰るために、俺はいったい何人殺すことになる?

 

 正直な気持ちを吐露する。

 殺したくはない。


 空人はセティヤの顔を見た。

 不安を押し隠している彼女が無惨に殺される光景を思い浮かべる。

 それは凄く嫌だった。


「悪いな。俺はセティヤの顔が曇るのが嫌らしい」

「そんな理由で――」

「命を賭けて戦う理由なんて、金と未来の妻の笑顔を守るためで十分さ!」

 

 空人は自身に言い聞かせるように叫んだ。


「ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない! ゆるさなぃ! 私は全てを失ったのに、貴様らがしあわせになるなんてゆるせるかぁ!」


 男の肉体が発光し、姿が変わる。

 空人はとっさに腕で光りを遮りながら、上目遣いで見た。

 男の身体が異形のものに変化するのを。


 半人半馬のモンスター、ケンタロウスだったか。

 右手には槍を持ち、ゆっくりとこちらに向けてくる。


「ケンタロウスシェイプ、といいます。シェイプシフターは便利ですね。DNAを一度取り込めば、そのモンスターの姿にいつでもなれますからね!」


 

 ケンタロウスシェイプが大地を蹴った。

 四本の馬の脚から放たれる強烈な脚力は瞬く間に距離を潰し、ケンタロウスシェイプの右手に握られた槍の切っ先が空人に迫る。


 空人はとっさに刀を逆手に抜いて、槍の切っ先を逸らした。

 たったの一撃だ。

 それだけで十分だった。


「決まったと思ったのですけどね。さすがはこの世界を救うための勇者。一筋縄ではいきませんか」

「元の世界では槍術でも習っていたのか?」

「宝蔵院流の免許皆伝の腕前ですよ、これでも」

「初手から厳しすぎだぜ」


 空人はセティヤを抱きかかえながら、後ろに大きく跳んだ。

 剣士にとって、槍使いは天敵だ。

 得物の長さの違いは、戦いの優勢を左右する。

 そして空人は元の世界で実戦を経験したことはない。

 普通の日本人が実戦を経験するなど、ありえるはずがなかった。


 空人はヘルメットのしたで一筋の汗を流した。

 汗はヘルメットの内側に敷き詰められた生地で瞬時に乾く。

 至れり尽くせりのスーツに感心しながら、自分の得物を確認する。


 翡翠色の刀身は見たことがない美しさだった。

 長さは三尺、つまり九十センチはあるだろう長刀だ。

 反りがなく、峰厚く、幅が広い。


「胴太貫みたいだな」


 子連れ狼が使ったことで知られる、剛刀だ。


「冥府魔道を生きるつもりはないんだが、あんたらを相手にするんだから十二分に冥府魔道か」


 空人はヘルメットのしたで笑う。

 

「なにをブツブツと!」


 ケンタロウスシェイプの槍の穂先が迫る。


『クレセントムーンです』

 

 機械的な音声が流れた。

 自分が抜いた日本刀の名前らしい。

 空人はクレセントムーンでケンタロウスシェイプの槍の穂先を弾く。


 返す刀でケンタロウスシェイプの右手首を切り落とした。

 空人は左手で右肩に手を伸ばす。

 右肩の真ん中が浮き上がり、ナイフの柄が出てくる。

 同じ機構は左肩にもあった。

 

 ぱっと見て、ナイフが隠されているとはわからないようにデザインされている。

 敵の意表を突くにはいいだろう。


「気のせいか、奴の右手が戻っていないか?」

「急所を狙わなければ何度でも再生しますよ!」


 ケンタロウスシェイプが左手で空間から黒い箱を取り出し、投げた。

 地面から複数のゴブリンが現れた。

 さっき目にしたAKを持つゴブリン達だ。

 空人は地面を蹴る。

 土埃が舞い上がり、ゴブリン達に肉迫する。

 空人はクレセントムーンを一振り――両断されたゴブリン達の胴が宙に舞う。


 ――正直、あまり気分の良いものではないな。


 生き物を殺す感覚。

 次第に慣れていくのだろうか?

 慣れたくはないな、という理性が働き、一瞬動きがにぶる。


 ゴブリンの放ったライフル弾が空人に命中。

 パワードスーツには傷ひとつつかない。

 ありがたい防御力だ。


 ――さて、どう戦うか。


 空人はゴブリン達を観察する。

 ゴブリン達は五人ひと組で行動している。

 動きながら射撃をしていることと、AK47の射撃精度から命中率は高くない。

 

 空人はゴブリンにナイフを投げた。

 喉にナイフを投げつけられたゴブリンが血を吐きながら倒れ込む。

 空人は倒れたゴブリンに向かった。

 すぐそばには四体のゴブリンがいる。

 ナイフを拾いながら、右手のゴブリンの頭上にクレセントムーンを振り下ろす。

 血飛沫に沈むゴブリンを尻目に、左手のゴブリンの喉にナイフを突き刺す。

 距離を取ろうと逃げる二体のゴブリンに迫り、クレセントムーンを振るった。


 二体のゴブリンの胴が宙に舞う。


 数の差はあれど、これならば戦える。

 

 ――やれる!


 空人は勝利を確信した。

  

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