第8話 顔が好みなんです
「100億円と姫さまを嫁として連れていくですって!?」
ネウラは驚愕の声をあげた。
「ネウラ、声が大きいですよ」
「申し訳ありません、姫さま。しかし要求が大きすぎます。よりにもよって姫さまと100億円など。それにあの男は勇者ですよね? まさか勇者が金銭を要求するなど」
そういう反応を示すものだとセティヤは安堵した。
空人の言葉はこの世界では異様なことだ。
「私もそう思いますが、空人さまの言葉も一理あります。異世界人を便利に使いすぎていました。他の世界の人間だから粗雑に扱っても構わないと考えた結果が、デマルカシオンを生み出した」
「それはそうですが……」
「空人さまが倒した地竜シェイプは、子供が生まれて病院に向かっているときにこの世界に召喚されたと。実験体として」
あの言葉を聞いたとき、セティヤは自分の先祖の罪を認識した。
先祖の罪のおかげで、いまの自分たちがいるのは頭では理解している。家族を皆殺しにされ、国民も大勢殺された。デマルカシオンへの怒りと憎しみがない訳ではない。
だが自分たちの先祖の行いがなければ、彼らは幸せに生きられたはずだ。
「彼の憎しみに直に触れたとき、私は思いました。私たちは許されないことをしたと」
「しかし我々が助かるためには、異世界から勇者を召喚するしか方法がありませんでした! どうしようもなかったはずです!」
「それは私たちの理屈ですよね?」
ネウラは口ごもる。
「彼らにも人生があったのです」
「姫さまは感化されすぎていると思います。王族に必要なのは大のためには小を捨てる覚悟です。犠牲になった異世界人には申し訳ありませんが、大を救うためには必要な犠牲でした」
「あなたの言うことももっともだと思いますよ、ネウラ」
「でしたら――」
ネウラの言いたいことはわかる。
事が終わったら、空人を始末しろといいたいのだろう。
空人を始末するのはベットの上で油断させれば、容易いかもしれない。
「嫌です」
セティヤはキッパリと言った。
「はっ?」
ネウラがキョトンとした顔をする。
ネウラとは長い付き合いだが、こんな顔を見たのは何回目だろうか。フィウーネ王室の一員として、真面目に生きていたつもりだ。護衛として仕えてくれたネウラには苦労を掛けまいと考えていた。
だからこれくらいの我が儘は許して欲しい。
「私は空人さまと一緒に行きたいのです」
「それは姫さまはあの男に惚れたと?」
「好きとまでは言いませんが、好意は抱いています。あの方は敵に対しても敬意を払っている。十字を切るやりかた、あれは冥福を祈るやり方です」
「エルデのやり方ですね。私も文献で読んだことはありますが、ゴブリンに対しても冥福を祈るなど」
「私は好きですよ。ゴブリンもまた犠牲者といえます」
「理屈で言えばそうかもしれませんが……奴らが民にすることを考えれば、種として滅ぼそうとさえ考えてしまいます」
ネウラは怒りで拳を握る。
「私は……多くの民を助けながら避難してきました。ゴブリンに蹂躙されている女を多く助けました。そのもの達のなかには道中で自ら命を絶った者も少なくはありません。姫さまはその理由をおわかりになるはずです」
「彼はこちらの世界のことを理解していません。いえ、理解していても十字を切るでしょうね」
「そんな男になぜ姫さまが!」
ネウラが吠えた。
彼女の怒りはわかる。
ゴブリンに襲われたものは高確率で妊娠し、ゴブリンを産む。それはゴブリンという敵を増やすことに繋がる。自殺した女性達はそのことを理解し、これ以上敵を増やさないために、自ら命を落とす選択をした。
「あの方は優しいのですよ」
「最初に200億円を要求して、100億円まけるから姫さまを求めるのは性格が悪いかと」
「逆ですよ。あの方はそういう理由を付けて、私を助けてくれたのです。私が安心してこの世界から生き延びられるようにしてくれたのです」
「生き延びるですか? それはどういう意味でしょうか」
ネウラは生真面目で頭も回る。
しかし理屈屋で、人は感情で生きるものだと理解していないところがある。
「デマルカシオンはこの侵攻がフィウーネ王室の所為だと喧伝しています」
「そんな戯れ言、民が信じるはずがありません!」
「本当にそう思いますか?」
「それは……そうかと」
ネウラは歯切れを悪くした。
「ネウラ、大人は自分の心を隠す術を持っていますが、子供は未熟ゆえに隠す術を持っていないのです」
「すべてが終われば、民もわかってくれるはずです」
「ネウラ、疑念の種はどんなに取り繕ったところで消えることはありません。戦いが終われば、責任は追及されます。デマルカシオンの高度な兵器が異世界人の知識と技術で作られたものだというのは説得力もあります」
「しかし姫さま!」
「ネウラ」
セティヤは悲しげに笑った。
「フィウーネ王国は、既に終わりなのですよ」
ネウラも肩を落とす。
既に祖国は永久に失われていた。
「本当は復興するつもりだったんです。なにがなんでも、どんな手を使っても、祖国を復興させると。でもシェイプシフターの憎しみに直接触れて、わかったんです。私たちは許されないことをしたんだと」
セティヤは肩を抱いて、震えた。
「我が王族は許されないことをしてきた。大義を言い訳にして、大勢の異世界の人々の人生を狂わせた。その結果がこの世界の多くの民を救い、祖国を滅ぼす結果ならば受け入れようと」
「姫さま、それでもっ」
「ネウラ、終わったのですよ。フィウーネ王国は」
セティヤはネウラを抱きしめた。
「姫さま……」
「私たちに出来ることは、生き残った民達を救うことです。それは森林同盟六州に避難民を託すだけでは終わりません。デマルカシオンを倒し、新しいフィウーネに繋げなければいけません」
「新しいフィウーネですか?」
セティヤは頷く。
「フィウーネ共和国として、新しい国になります。違う名前かもしれませんね。いずれにしても、フィウーネ王国だった場所には、新しい国が出来るでしょう。肥沃な土地で、交通の要所として発達してきました」
「しかし優れた指導者がいなければ、他国に侵略を受けて滅びてしまいます。姫さまが指導者となれば、安泰です」
「無理です」
セティヤは首を振るう。
「ネウラ、西側諸国に視察にいったことを覚えていますね?」
「はい。王族を革命で廃止したとんでもない国々だと思っていましたが、思ったよりも発展していて驚きました」
「その発展は民が選んだ指導者がなしえたことです」
「フィウーネもそうなると?」
「そう期待したいですね」
セティヤは微笑んだ。
「私は新しい国に、フィウーネ王室の資産を渡してこの世界を立ち去ると決めました」
「それは姫さまがいては、フィウーネ王国を再建しようとする動きが出るからですか?」
「そうです。しかし私が新しい王となれば民は少なからず、反発するでしょう。デマルカシオンとの戦いが終わったあとに、新たな火種になります」
空人に付いていきたい理由はもうひとつある。
その理由は私的すぎて、ネウラに呆れられてしまうだろうか? そう思ったが、正直に話すことにした。
「空人さまの世界に興味があるのです」
それに、とセティヤはほんの少し頬を赤らめて、
「顔が好みなんです」
ぽつりと言った。
「ヘルメットを被り、素顔は見られませんが?」
「短時間ならば、ヘルメットを外せます。いずれ体が魔素に馴染めば、ヘルメットを被る必要はなくなります」
「そうでしたね。過去の勇者達も、魔素に体が慣れてきたという文献が残っています。我々のご先祖様ですからね。ずっとあの鎧を着けていては、子供も出来ません」
もし、空人がこちらの世界に残るという決断を決めてくれるならば。
そのほうが良いかもしれない、とセティヤは思った。
民に憎まれても、あの方がいれば守ってくれる。そんな気がする。
「私はあの方と一緒にいたいのです」
元の世界に残した人たちの元に帰りたい、そう空人が強く願っているのはわかっている。異世界召喚技術の犠牲になったものたちも、同じように考えていた――否、シェイプシフターとなったいまでも、そう思っているだろう。
地竜シェイプと接して、そう感じた。
だからせめてもの罪滅ぼしとして、空人だけは元の世界に帰さなければいけない。
「そんなことだと思いましたよ」
ネウラがふっと笑う。
「わかっていましたか」
「何年お仕えしていると思っているのです? セティヤ様……いいえ、私の可愛い妹、セティア」
ネウラはそっとセティヤの頭を撫でた。
「ネウラお姉様には叶わないですね」
「わかればよろしい」
セティヤとネウラはどちらからともなく笑いあう。
こんな風に昔のように砕けた接し方をされたのはいつぶりだろうか?
セティヤにとってネウラは護衛であり、心を許せる友であり、頼りになる姉だ。
「子供のころから、勇者達がいた元の世界。エルデに興味津々だったもんね」
「そうですね。私たちの先祖が暮らしていた世界ですからね。ひょっとしたら、帰りたいという望郷の念が私の心を動かすのかもしれません「
「私も同じかな」
「そうだと思いました」
ネウラも興味があるのはわかっていた。
だからこういう。
「ネウラ。あなたに命じます。私に付いてきなさい」
「ハッ、お供します」
ネウラは握りこぶしを胸に当て、頭を下げる。
先ほど、セティヤに注意されたばかりだが、ネウラは敬礼をした。
敢えて敬礼したのだろう、自分の決意を見せるために。
「さて、食事にしましょう。空人さまが美味しそうな料理を配っています」
「ハッ、騎士たちには交代で食事をさせるようにします」
「お願いしますね、ネウラ」
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