08 拙いんじゃ、ないの

「俺を魔術野郎に売りやがったな。おかげでこちとら、逃げ隠れる日々よ。とんでもねえ女だ。涼しい顔して魔術師なんぞに媚びやがった。それとも、あれか。てめえ、魔女だったのか」

『逆恨みというのは』

『怖いですよ』

 冷静な少年の言葉が脳裏に蘇った。

「何、言い出す」

 頬を押さえながら、トイは呟くように言った。

「追われるような後ろ暗いことしてたのは、あんた自身」

「うるせえ!」

 ぐいと胸ぐらが掴まれ、彼女は引っ張り上げられた。

「ぶち殺してやる。そんな澄ました顔してられねえように、ああ、まずはヤッてやろうかあ!?」

 犯される。それから、殺される。怒りに燃えた男に何を諭しても無駄。トイは必死で、サリウェの腕を引きはがそうと試みた。だが、怒りに燃えた男の腕力に、女の腕で敵うはずもない。

 再び引き寄せられたかと思うと、そのまま突き飛ばされた。バランスを保とうと懸命になったが、何か訓練を積んでいる訳でもない女のこと。そのまま自室の床に頭を打ちつけ、肩から背中を擦らせた。

「こんなこと、してる暇があったら」

 何を言っても無駄だ。理性は判っているのに、感情が言葉を走らせた。

「こそこそ逃げ隠れることを続けたらどうだい! 考えなしの馬鹿だから、私はあんたを好かなかったんだよ。あんたはきっと、金で買った女にだって暴力的なん」

「黙れえっ!」

 ぎらり、とサリウェの右手に何かが光った。刃物。トイの舌は凍った。

 はっきりと恐怖の表情を浮かべてしまったのが、悔しい。男は歪んだ満足を下卑た笑いで表現した。

「へ、へ。そうやって最初からおとなしくすりゃあいいんだ。そうやって寝てりゃ、盆持ってるより色っぽいぜ」

 男は空いた手で扉を閉めると、刃物をちらつかせながら彼女の上に覆い被さった。身がすくむ。汗の臭いがする。気持ちが、悪い。

 右の乳房が痛いほどに掴まれた。男の息が荒くなる。乱暴に、上衣が切り裂かれた。ちりっとした痛みが走ってトイはびくりと身を震わせた。刃の先が当たったのだ、と思うと同時に、サリウェがそれに気づけば――喜んで、彼女に傷を負わせながら苦しませるだろう、と思った。

 最悪の、死に方だ。

 こんなふうに殺されるために、生きてきたのか。

 ぎゅっとトイは目を閉じた。歪んだ男の歪んだ喜びを目にしながら死ぬなど、ご免だと思った。

 ふっと息が詰まる。感じた重さに、サリウェが体重を預けてきたのだと判ったが――その手の動きがとまったようで、思わずトイは目を開けた。

 サリウェはもう息を弾ませてはおらず、彼女の上で白目を剥いていた。その向こうで、代わりに息を弾ませているのは、細身の、黒ローブ姿。

「トイ!」

 黒猫は俊敏な動きで、この細い身体のどこにそんな力があるのかとトイに思わせながら、払うように簡単にサリウェの身体をどけた。

「済みません! 僕が……いなかったばかりに」

 トイは無言で、身を起こした。まだ、舌が凍っている。

「今日はたくさん仕事を命じられて……おかしいとは思ったんですが、まさか導師が、あなたを囮に使うなんて」

「……おとり」

「済みません! 僕が、もっと早く気づいていれば」

 いつも冷静な少年はずいぶんと取り乱しているようだった。取り乱すならば自分だろうに、と思うと――トイはやっぱり、おかしくなった。

「拙いんじゃ、ないの」

「な、何がですか」

「だって」

 トイはむせた。慌てたように少年は彼女の肩に触れ、切り裂かれた服の合間から見える乳房に気づいたか、慌てたように目を逸らした。

「だって、そうだろう。導師は、私が殺されれば、町憲兵隊でサリウェを裁けると考えたんだろう。あんたは、きちゃならなかった。それとも、くるのならばもう少しあとで」

「そんなこと、知るもんですか」

 少年はするりと黒ローブを脱ぐと、トイに羽織らせた。またも、彼女は笑いが浮かぶ。

「あのね、黒すけ。ここは私の家なんだよ。着るものなら、ある」

「そ、そうですけど、でも」

「若い子なら、見たいだろうに。あんたやっぱり、神官みたいだね」

 そう言うと黒猫は困ったような顔をした。それはいままで彼女が見たなかで、いちばん可愛く見えた。

「神官なら」

 少年は困った顔のままで言った。

「おかしなことを考えず、その傷の手当てができるんですが」

「ああ、これ」

 トイはわずかに赤く走った線に触れた。

「こんなの、傷のうちに入らないよ。割った皿を拾って指に怪我でもする方が、重傷さ」

 別に強がりではなかった。サリウェが意図したのは服を切ることであって彼女を切ることではなかったから、刃はわずかにかすっただけだ。血が流れるほどでもないし、数日もすれば消えてなくなってしまうだろう。

「本当に?」

「じっくり見るかい?」

 冗談めかして言うと、少年はまたも慌てて首を振った。

「信じます。それじゃあ、何か着てください。僕はこれを」

 と、少年は床に転がっている男を指した。

「片づけてきます」

「町憲兵隊を呼ぶ?」

「一般的には、そうですよね。でも、僕は協会の規範で動くので、まずは協会です」

「協会の規範を破ったんじゃないの」

「命令違反に罰則がある訳じゃないですから。第一、あなたを助けるなと命令された訳じゃない」

「されていたら?」

「破りました」

 躊躇なく、若い黒猫はそう言った。

「この男を協会に連れていきます。そのあとで」

 ちらりと少年は女を見た。

「――またきても、いいですか」

「洗濯物を干しておくよ」

 それからお茶だね、とトイは笑ってそう言った。

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