第二部 第三章 文昌千住院~二仙山紫虚観(四)

 蘇峻華と陶凱は、怪しまれぬよう会釈をして、燕青の横を通り過ぎた。ほんの数秒の邂逅であったが、涼やかな燕青の容姿に、蘇峻華の目は釘付けになった。

(なるほど、確かに「浪子いろおとこ」だわね。殺すのがもったいないぐらい)


 陶凱は陶凱で、遠く離れて走り去る燕青の後ろ姿を見ながら

(あれほど大量の薪を背負っているのに、あの軽々とした足取り…… 体格のわりに相当な剛力よな。高大尉が相撲で負けるのも無理はない)

 燕青の功夫カンフーを目の当たりにし、密かに舌を巻いていた。 




 ちょうどその頃、羅真人の部屋に、縮地法を使って龍虎山から来た使者の姿があった。正式な依頼はこれが初めてになるが、西岳の檮杌の封印が破られた情報自体は、前もってつかんでいたので、遅かれ早かれ協力の依頼が来ることは予想できていた。

 そのため、海東青のらんを使って、祝四娘らに連絡を取ったのである。


「西岳の檮杌については、我ら龍虎山の者が必ずや討伐いたします。が、その封を解いた者が誰なのか、一向につかめておりません。残る南岳、中岳、東岳の封が破られては一大事ですが、お恥ずかしいことに人手が足りません。つきましては張天師様よりお願いがありまして、二仙山の道士の方々に南岳衡山なんがくこうざんの警備にご助力頂きたいのです」

 

 同席した一清道人が質問した。

「中岳と東岳には行かなくてよろしいのかな」

古今未曾有ここんみぞうのことゆえ、中岳と東岳にも他の道観から人を出してもらうことになっております」

「ふむ、我々はとりあえず南岳に増援を出せばよい、ということですな。いかがいたしましょう真人様?」 

 

 目を瞑って黙って話を聞いてた羅真人は、一清道人の問いにやっと目を開け、

「よかろう。嘉聞かぶん(張継先の字》めも難儀なことじゃな。増援の要請確かに承ったと伝えてくだされ」

「有り難きお言葉を頂き恐縮です。さっそく戻りまして天師様にお伝えいたします」

 深々と頭を下げて退出していった。縮地法を使い龍虎山に戻るのであろう。 


「それにしても、四凶の封を解いているのは一体誰でしょうな?」

「分からぬ。だが南岳、中岳はともかく、絶対に東岳の蚩尤しゆうだけは解き放ってはならぬ。正直あやつにだけは、わしとおぬし、さらに継先めが束になっても勝てる気がせん」


「蚩尤とはそれほどのものですか」

「檮杌にしても、南岳の饕餮とうてつにしても、中岳の渾敦こんとんにしても、わしとおぬしで五雷正法を落としてやれば再封印は十分可能じゃろう。だが蚩尤はそうはいかん。最低三人、願わくは四人はおらんと」


「四人ですか?」

「わしは何度か東岳泰山に行き、その度に蚩尤を封じた『玄坑伏魔宮げんこうふくまきゅう』を訪れたのじゃが、あれほど厳重に封印されておるというのに、地面から染み出てくる瘴気だけでも身震いするほどのものじゃった。幸いなことに、蚩尤の封印は他の四岳と繋がっており、他の封印が全て解けない限り、東岳の封印を解くことは成らぬはずよ」


「なるほど、となれば南岳の警備も責任重大ですな。誰をりましょうか? 」

「さよう、男館から五名、女館からは翡円ひえんと……そうさの、だいぶしつこくねだられたことじゃし、今回は紅苑を送ろう。それと燕青どのには申し訳ないが、また御出馬願おうと思っておる。それと、小融も行かせようかの」

 

「またですか。なにか理由がおありで?」

「いや、洟垂れ小僧からの要請が南岳衡山の警備と聞いて、小融をいちど行かせておきたかったのじゃ」

「はて、南岳衡山だと何が? ……あ! そういうことですか、なるほど」

「まあどうなるかは行ってみないとわからぬが、ひょっとしたら小融の持つしょうの術力が一気に跳ね上がるかもしれぬ。」

「うまくいけば良いですな。あれ以上お転婆になられては困りますが。」


「しかし、九人ですか。もかなり二仙山こちらが手薄になりますな。」

「しばらくは金軍が攻めてくることもなかろう。それに西岳の道士たちの死に様を聞く限り、敵には相当の腕利きがいるらしく、鈍器で叩き潰されておったで、仙術だけではちと心許ないのじゃよ。かと言って燕青どのだけに行ってもらうのもおかしな話だしの」




 下山した蘇峻華と陶凱は黄崖関村に戻った。

さほど大きくない村ではあるが、二仙山の拝観者向けの旅人宿が数軒ある。その中の一軒の、二階の一室の窓に目印の手拭いが干してあるのを陶凱が見つけ、その部屋に登っていった。


「どうやらそれらしい男を見ましたぜお頭。ですがやはり山全体に探知用の結界やら鳴子なるこやらが仕掛けられてましたな」

「ふむ、忍び込むことは可能であろうか」

「本来夜陰に紛れて忍び込みたいところですが、かえって発見されやすいかと存じます」


「ではどうする? 」

「はい、日中参拝者と一緒に紛れ込んで、道観の内部に潜み、寝静まったところを見計らって襲撃するのがよいかと」

「なるほど。ならば明日、馬征ばせいに入り込んでもらい、その燕青の部屋を特定してもらおうか。実際の襲撃は明後日とする」

「御意」


 次の日、馬征は午前中参拝者が増えてきた時間を見計らって出発した。笠をかぶり口元を布で覆い、斜めがけに袋を背負っていた。中には二日間森に潜む分の食料と水、すっぽりと体を覆う大きさの、緑や茶色で不規則に塗られた布が入っている。


 馬征は夜目も遠目も効くし、偵察となると三日四日樹木のように岩のように微動だにせず眠りもせず、標的を見張ることができる。張り込みの名手なのである。


 日中、人目につかぬよう森の中に入り込み、三清殿、男館、女館、宿坊、食堂じきどうなど主な建物がすべて見える場所に腰を下ろし、すっぽりと布を被れば、彼の姿は全くわからなくなってしまった。


 午前中から次の朝まで燕青と思しき男の偵察を続けた。昼食と夕食は食堂でとり、日中は薪拾いや薪割り、畑仕事を手伝い、夕食後は三清殿の裏手の露天風呂に行き、男館で過ごす。朝は夜明け後間もなく起き、男館の裏手で道士の少年と共に、何やら妙な姿勢を一刻ほど続ける、というところまで見届け、昼過ぎに他の三人と合流し、情報を交換して明晩決行することに決まり、馬征はもう一晩偵察に残ることになった。


 ところが、他の三人が宿に戻ってから二刻ほど。拝観者の姿がほとんど見えなくなったころに動きが慌ただしくなった。男館と女館からそれぞれ数名ずつ、大きめの荷物を背負って出てきたのである。ほとんどの者が道服を着ているが、中に話に出てきた小柄で色白の若い男の姿が見えた。また女館から出てきた道士の中にも、明らかに背の小さな少女がいた。


 息を詰めて見ていると、総勢十名ほどの道士たちは敷地内の隅の地面に、大きめの八卦陣を描き始めた。そして書き終わると全員が中央の陰陽図の部分に、男女で分かれて立った。中年の男の道士が袖を揃えて咒文を唱え出すと、八卦陣が光り始めてややしばし。一瞬まばゆく輝いた思うと、道士たちの姿と、小柄な男の姿が消えていたのだ。


 一部始終を見つめていた馬征は慌てた。だが下手に動いて発見されるわけにはいかない。そのまま動かずに夜を明かし、人出が増えてきたころにこっそり森から出、宿に戻って見たままを報告した。



「ううむ、縮地法を使いよったか」

 話を聞いた陶凱はうなった。曹琢率いるこの四人は、何度も陶凱の縮地法の恩恵に預かっているので、その権能は周知のことである。だがどこへ転移したのかは術者でなければ分からない。せっかくここまで追ってきたが、また振り出しに戻ってしまったのだ。


「ふむ、それほどの大人数で移動したとなると、何やら大事おおごとなのであろう。となると、今日明日戻ってくるとも思えぬ。長期戦を覚悟せねばなるまい」

「とはいえ、いつまでもこの宿に泊まっているわけにもいきますまい。いかがなさいますお頭?」 

「そうよな。この村の役所を待機場所としよう」


「しかし奴らがいつ戻ってくるかわかりませんぞ」

「馬征には済まぬが、週に一、二度偵察に言ってもらいたい」

「御意」


「とりあえず明日、俺が午後から参拝し、そのまま潜んでおいて夜忍び込んで情報を集めてこよう」

「お頭だけにそんなことをさせては。我々も」

「陶凱によれば油断ならぬ相手だという。人数が多い方が発見されやすい。まぁ俺の軽功けいこうを信じろ」


 曹琢はがっしりした体格だが俊敏で身軽。武術を使い白打くみうちこんかい(トンファー)の使い手である。元々潜入はお手のもので、一団を率いているだけあって、誰もが一目おく強者つわものだ。

「わかりました。よろしくお願いしますお頭」

 残りの三人が揃って頭を下げた。



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