第二部 第三章 文昌千住院~二仙山紫虚観(二)

「しかし、なぜまたわざわざ老いぼれの馬を?」

「ああ、乗ってったのは10歳くらいの小さなお嬢ちゃんでな。年寄り馬のほうが暴れたりせんからいいじゃろうと思ってな」


「そのお嬢ちゃんも道士ですかな。そんな小さいのにひとりで旅しているんで?」

「そんなことがあるわきゃなかろう。どえらい色男の若者が護衛をしていたぞい」


「へぇ、あたしも修行の旅をしてるんですがね、もし会ったらお近づきになりたいものです。なんて方ですか?」

「人の名前は聞かなかったけんども、馬は白兎はくとっちゅうやつだで」


「どこへ向かわれたんですかね」

「ああ、わしにはわかんねぇけんども、院主いんずさまなら知ってるんでねぇべか」


(どうやら大当たりのようだ、これくらいで切り上げるか)

 人の良さそうな馬丁の周老人に、不審がる様子は感じられなかったが、あまり深く聞いて怪しまれても困る。陶凱はさりげなく話を終えると礼を言い、千住院の居住区に戻った。


 夕食を終えると、狙い通り多分な寄進が効いたとみえ、院主の部屋に茶の誘いがあった。陶凱とうがいはしめしめと思いつつ、あくまでも謙虚で温和な態度を装い、世間話から嘘で固めた旅の話、そして仙術の話へと巧みに話題を変えた。


 もとより陶凱の仙術は、千住院の院主よりもずっと造詣が深い。院主は初耳の興味深い仙術の話題を聞き、すっかりのめり込んでしまった。

 やがて、相変わらず布袋様の笑顔と、糸のように細い目で話す陶凱が、ふと声を潜めた。


「……ここだけの話ですがね、五雷天罡正法ごらいてんこうせいほうの秘術についてなのですが」

 羅真人、公孫勝ほか片手ほどの道士しか会得えとくしていない、道教仙術最強の秘技の名前が出てきたので、院主は我を忘れ、思わず身を乗り出し陶凱の顔を見つめた。


 その瞬間、糸のように細かった陶凱の目がくわっと一寸ほども見開かれた。と同時に膨れ上がった陶凱の気が襲いかかり、目を合わせた院主は石のように硬直してしまった。


 これぞ陶凱の秘技、瞬間催眠の術である。日本では「不動金縛りの術」などと言うが、興味深い話題で院主の気を集中させておき、急に目を見開くことで一瞬気をそらしたあと、自分の気を送り込むことで相手の意識を乗っ取るという、恐るべき術なのだ。


 こうなると相手は瞬時に催眠術にかかり、無意識のうちに聞かれたことに答えてしまう。

 陶凱は赤子の手をひねるよりも容易たやすく、燕青と二仙山の道士である祝四嬢が青州の観山寺に行くための馬を一頭融通したこと、彼らが康永の街で金夢楼から王扇太夫を連れ出し、縮地法で二仙山に送り込んだこと、その後また観山寺に向かったことを聞き出したのである。


 燕青の腕前や四嬢の技術についても聞いてみたが、それは院主も知らなかった。だが必要十分な情報は得ることができたといえよう。


 陶凱は、焦点を失いぼんやりと見開かれた院主の目の前に両掌を突き出し、「はっ!」と手を打った。鋭い音とともに院主の催眠術は解け、焦点の戻った院主の目の前には、また糸のように細い目をした陶凱の人畜無害そうな笑顔があった。


 意識の戻った院主ととりとめのない話をしたのち、与えられた一室で夜を明かし、次の日の早朝、陶凱はあくまでも気前の良い、温厚な旅の道士として、毛ほども怪しまれることなく千住院をあとにしたのである。


「見事。でかした陶凱」

 合流したのち、話を聞いた曹琢は、陶凱の労をねぎらい今後の方針を考えた。


 奴らの後を追って青州の観山寺に向かうか、それとも二仙山に向かうか。青州に向かったとしてすぐに見つかる保証はない。入れ違いになる可能性も高い。それよりは戻ってくるのを待ち、薊州の二仙山付近で網を張るほうが確実だろう。


「二仙山で待ち受けることにする。いくぞ」

おう

 

 馬を駆り、前を走る3人の背中を見ながら陶凱は思った。

(二仙山か・・・・・・あそこには厄介な奴がふたりもいる。心してかからねば)





 篭山炭鉱での祓いを済ませた祝四娘一行。二仙山まであと20里ほど。白兎馬の鞍上あんじょうには四娘と玉林、手綱たづなを引くは燕青。その横を、変化へんげし若い農婦風の装いで歩く己五尾。


 西岳華山の檮杌とうごつの封印が解かれた話からの流れで、羅真人とともに北岳恒山の窮奇きゅうきを再封印した張天師の話題になっていた。


「へぇ、張天師って人はそんな若いうちに教主になったのか。9歳って」

 燕青が驚きの声をあげた。

「そうなんだよね。若いけどさすがに教主さまだけあって、仙術は師父といい勝負だってさ」

「檮杌の封印には師父が行くのかな。それとも一清師兄か、ああ、あたい見たいなあ封印するところ」


 羅真人は年齢的には第28代天師の張敦復ちょうたいふくと同世代にあたる。曾孫ひまごよりも若い代だから、第30代天師の張継先を、洟垂れ小僧扱いするのもむべなるかな、である。


 そもそも、羅真人自体、龍虎山で修行したわけではない。生まれは滄州そうしゅうの農家の末っ子で、利発だがやんちゃな子供だった。

 

 ある日遊びに行き迷い込んだ山奥で出会った道士に素質を認められ、そのまま弟子になり道士としての修行を積み、50年ほど前から二仙山に居を構え、今に至る。


 龍虎山で修行した正統派の流れではなく、いわゆる異端の「野良道士」出身なのだが、その法力の確かさ、強力さで、彼を知る者は皆一目置いている。


 そんな羅真人、張天師の代替わりの祝宴に招待されたとき、9歳というあまりの若さをの当たりにしてつい「なんと、ほんの洟垂れ小僧ではないか」と呟いてしまった。それを龍虎山の道士たちに聞かれてしまい、野良道士のくせに仙術ではまるで歯が立たないことのやっかみもあり、ずっと根に持たれているのである。


 とはいえ、張継先自身は年こそ若いが一代の傑物である。子供のころの話をいつまでも根に持つわけもなく、むしろあまりに若いうちから教主になり、孤独と責任感を感じて鬱々としていた。だから実は顔を合わせるたびに飄々と「洟垂れ小僧」とからかってくる羅真人には、いわば親戚の老人のような親しみを感じている。


つまり「洟垂れ小僧」「くそじじい」は悪口というよりは、軽口の応酬になっているだけなのだ。


 本拠地に近づいた気楽さも相まって、馬上の2人のお喋りは尽きることがない。燕青もふと横をあるく己五尾に軽口を叩く気になった。


「それにしても、お前も黙ってそんな恰好で歩いていれば、いかにも純朴そうないい女に見えるな」

「おや、あるじどの惚れ直したかえ。」

「なんだその、直したってのは。そもそも惚れちゃいないし」

「またそんな冷たいことを。あれほどわらわもてあそさいなんだくせに」

「よせやい子供が聞いてる……おい、そんな顔でこっち見んなふたりとも」

 馬上の2人がニヤニヤしながら見下ろしているのだ。


「それにしても、久々に人形ひとがたで歩いていると、なんだか肩が凝るのぉ」

「さすが何百年も昔の古狐ね。あぁ年寄りはやだやだ」


 四娘が皮肉ると、己五尾はどこ吹く風で、

「そうさのぉ、二足で歩くと、この胸の肉が重くて肩が凝るのじゃよ。それに比べておぬしは身軽そうで羨ましいのぉ。もう重くって重くって……ふぁぁあ、ならねえ」


 わざとらしく大欠伸をしてから、これ見よがしに豊かな胸を持ち上げ、揺すって見せたものだから、まぁ四娘の怒ること怒ること。すったもんだで一行が紫虚観に着いたころには、もうとっぷり日が暮れていた。


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