第二部 第三章 文昌千住院~二仙山紫虚観(一)

 檮杌とうごつの解放から遡ること5日。黒猴軍第二隊の4人は北へ向かう足を早めた。


 道すがら耕作する農民、すれ違う人々、開いている店と、手分けして「白馬に乗った美女と長剣をしょった子供」「茶色の馬に乗った小柄な色男」を見ていないか、という調査ききこみをするのである。


 何月何日の何時頃とまで特定できるのだが、なにせ明け方の話でもあり、かなり目立つ一行なのに目撃者はなかなか見つからなかった。さらに北上の途中で道が二股に分かれていたから厄介なのだ。


 そこで、隊長の曹琢そうたくの指示で、ふた手に分かれて捜索することになった。


「私と馬政ばせいは東側の道を行く。蘇峻華そしゅんか陶凱とうがいは西側を調べろ。2日後に文昌ぶんしょうの町で落ち合うことにする。良しか? 」


 部下たちは頷き、東西に分かれて駆けだした。


 曹琢そうたくと組んだ馬征ばせいという男。

 筋肉質の曹琢と比べかなりの痩身で、ぼさぼさの長い髪と顎髭のせいであまりよく見えないが、青白い顔に痩せて落ちくぼんだ目ばかりがぎょろぎょろとやけに目立つ。寒くもないのに両手に薄い羊皮の手袋を嵌めている。その薄茶色の手袋の指先が、なぜか紫色の染みで汚れたようになっていた。


 次に蘇峻華そしゅんかと呼ばれた女、命を受け軽く舌なめずりをしてから「その色男ってのは、ぜひあたしが見つけてお相手願いたいもんだね」とつぶやいた。


 抜けるように白い肌、すっきりとした細面ほそおもて、切れ長の黒目がちな眼差しは愁いを含み、震いつきたくなるような色気が漂ってくる。ただその笑みは明らかに毒婦のそれであった。


 そして蘇峻華ともに馬を駆る男、名を陶凱とうがい……彼こそ、龍虎山の張天師がその実力を惜しんだ男であった。


 馬征とは対照的に、色白で血色がよくかなり肥満気味の、ころころした体型である。顔は糸のように細い目で常ににこにこしていて、禿げ頭がてらてらと光っている。体型と相まって布袋ほてい和尚のような印象を受ける。ただ、だけは決して笑っておらず、何を考えているかつかみ所がない。


 それぞれの調査ききこみは綿密に、執拗しつように進められた。にも関わらず得られた情報はほんのひと握りであった。


 2日後、文昌の町で落ち合い確認したところ、東の街道では一切情報がなく、西の街道および町中では、情報通り2頭の馬と3人の目撃例が2件あったことがわかった。この町には大きな街道は一本だけで、あとは馬で通るのは難しい獣道くらいしかない。となると、さらに北上した可能性が出てくる。4人はさらに1日かけて文昌の町より北側の街道で調査ききこみをおこなった。


 すると有力な情報を得ることができた。小柄で色白の若い男と、長剣を背負った道服の少女が、文昌に向かって街道を徒歩で移動しているところを目撃した者がいたのだ。


 日付から逆算すると、燕青らしき男らは北方から歩いて来て、文昌の周辺で白馬を手に入れ南に向かい、そして康永の町から王扇太夫を連れて文昌に向かって北上して逃げた、と考えられる。ところが、文昌から北側では、馬に乗った姿は一切目撃されていなかった。


 では、燕青らしき男と、長剣を背負った道服の少女はどこで馬を手に入れたのか、康永から逃げてきた2頭の馬とそれに乗った3人はどこに消えてしまったのか。


 門番の兵士の目撃証言によると、白馬には王扇太夫と少女が2人で乗っていて、なおかつ馬をあやつっていたのは王扇太夫であったらしい。ということは、遣り手婆の孟の話とは違い、王扇はさらわれたのではなく、むしろ自らの意志で馬をって逃げた、と考えられる。


 まずは白馬の入手先を探ることになった。とはいえ、文昌の町中には馬を売る店はない。誰かから盗んだか、譲ってらったか。また手分けして情報収集ききこみに回ろうと一同が腰を上げたとき、布袋様のような顔をした陶凱が遠くを指さし、曹琢に申し出た。


「おかしら、いかがでしょう。あたしにひとつ、あの山の中腹にある道観を調べさせてもらいたいんですがね」

「道観……なるほど、道士ならば道観に寄ることは十分考えられるな。よかろう、但し我々のことを感づかれぬようにせよ」

「心得ております」 

 

 さて、この張天師の話に出ていた陶凱とうがいという男である。もともと龍虎山で熱心に修行を積み、仙術をくする道士であった。妖物を払ったり、幻術を使ったりということおいては、張天師を除き彼の右に出る者はいなかったほどだ。しかし、そんな優秀なのにも関わらず、長らく不遇な立場に置かれていた。


 先述の通り、時の皇帝である徽宗きそうは、道教に強く傾倒しており、龍虎山の道士たちも厚遇を受けたことで、徐々に厳しい修行をうどんじるようになっていった。

 

 そして、堕落した人物に有りがちな話だが、熱心に修行に励む陶凱を逆に冷笑しはじめたのだ。


 「国家安寧を祈るための厳かなおおやけの儀式こそが、道士の本来すべき崇高な仕事である」などとうそぶき、おのれのことを棚に上げ「陶凱のように卑近な妖物を祓うなど、卑賤ひせんな術者のやることよ」と陰口をたたくようになったのである。


 当然陶凱は腹に据えかねる思いがある。修行に手を抜き、腐敗した道士たちから、下に見られる筋合いなどまるでないからだ。


 やがて堪忍袋の緒が切れた陶凱は、密かに自分を貶めた道士たちに、それとは分からぬように仙術を仕掛け、死に至らしめたり、大けがをさせて再起不能にしたり、という悪事を繰り返し、それを楽しむようになってしまった。


 こうして、元来龍虎山で最も修行に真面目で熱心だった男は、暗殺者に変貌を遂げたのだ。


 仲間内で不審死が続き、やがてお互い疑心暗鬼にとらわれるようになったころ、陶凱は密かに龍虎山を降り、裏社会で暗殺者として生きるようになった。そしてある時偶然にも命令を受けた曹琢と標的が一致し、もめ事になったのだが、その戦いの中で腕前を認められ、黒猴軍の一員として引き抜かれたのである。   


 ちなみに、二仙山の羅真人は鷹揚で洒脱しゃだつな性格だが、修行にはまじめで、陶凱同様にこの龍虎山の、たるんだ現状を苦々しく思っている。逆に龍虎山の道士たちは、陰で「我らこそ正統なり」とばかりに羅真人一派をさげすんでいる。羅真人と張天師はともかく、配下同士の関係は決して良好とはいえない。


 陶凱は馬の鞍につけた振り分け荷物から変装用の衣装を取り出した。何種類か入っているうちの、最も馴染みの深い道服である。禿げ頭に帽子をかぶり、濃紺の道服、足元を脚絆きゃはんと八ツ乳の麻靴で固めれば、まごうことなき道士姿となった。


 街道の砂埃すなぼこりをすくい上げ、着ている道服にうっすらとふりかけた。修行の旅で疲労困憊した道士、を装ったのである。準備が整い、千住院に向けて馬を歩ませた。 


 計算通り、千住院に着いた時には日も暮れ、一夜の宿を乞うのにちょうど良い時刻となった。取り次ぎの道士に心づけをたっぷりと渡し、院主いんず|に一泊を頼み込む。


 元来、修行の旅の道士を泊めてやることはよくある。また道士としての立ち居振る舞いや、いかにも旅人らしい装いに怪しいところは見受けられない。さらに柔和で温厚そうな外見も手伝い、院主は快く一室を貸してくれたのだ。


 しめしめとほくそ笑みながら陶凱は、乗ってきた馬を裏のうまやつなぎに行くと、そこでは馬丁の周老人が、甲斐甲斐しく馬の世話をしていた。


「恐れ入ります、旅の者ですが今夜泊めていただくことになりました。私の馬にも水をやっていただけますか。これはほんのお気持ちで」


 布袋様の笑顔でにこやかに話しかけ、さらに手間賃にしては過分な心づけを渡したので、思わぬ臨時収入を得て、周老人は相好を崩し一挙に警戒心を解き、一頭分空いていた仕切りに陶凱の馬をつないで飲み水を用意してやった。


「やれ、ちょうど一頭分空いていて助かりました。ええと、イーアルサン……4頭もいては世話が大変でしょうねぇ」

 すっかり陶凱を、気前のいい旅の道士だと思い込んだ周老人は、なんら警戒することもなく話し相手になった。


「うんにゃ、ついこないだまでもう一頭いたんだわ。老いぼれの白いのが。そいつがもらわれていったもんで、ちょっと楽になっただよ」

「へぇ、白いのが?」

 陶凱の細い目が僅か見開かれた。

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