第七章 青州観山寺(九)
その後幾度となく、ゆっくりとした、むしろ遅いとすら感じる常廉の突きや蹴りに対し、避けては死角に回り込み反撃を試みた。しかしそのたびに、良からぬ予感がしては反撃を中止する、ということが繰り返されたのである。
見守る四娘は気が気でない。攻めかかろうとしては何かにおびえて跳び
(どうしたんだろ青兄。まさかビビってるんじゃ)
燕青も久々に焦りを感じていた。ことごとく反撃の芽を潰されてしまい為す
(ならば、先に仕掛けるしかないか)
燕青自身は、どちらかというと戦いにおいては「
だが常廉は燕青が「後の先」を狙った、そのさらに
一旦大きく跳びすさり、十分に距離をとってから「
北斗七星にも似た複雑な歩法は「
(ここだ!)
燕青の最後の蹴りは「誘い」であった。払うにしても避けるにしても、常廉の体の左側が死角になる。払った瞬間斜め左に低く入り脇腹に掌打を打ち込んだ、はずだったが、逆に常廉はその動きに合わせて腰を横にぶつけてきた。
「ぐふぅっ!」
燕青は腹部に凄まじい衝撃を受け、息が詰まり石畳の上に倒れ込んだ。すかさず常廉が飛び込み、燕青の顔の横一寸ほどを踏みつけた。石畳がずしり、と揺れた。
「……参りました」
完敗であった。実戦だったら、頭を踏み潰されて即死していたところだ。これほど
「いやいや、危ないところだったわ。勝ちを譲ってもらって感謝するぞ、がっはっはっ」
常廉は服装を整え、袈裟を着込んでから合掌し、子供のような顔で笑って見せた。
終わってみれば一番良い結果になったのかもしれない。多くの弟子たちと、
3人(といつの間に戻ってきたのか一匹)は、常廉の部屋に伴われた。常慶が茶を運んできてくれた。一服しつつ、燕青は好機とばかりに、常廉に教えを
「常廉どの、私の敗因は何だったのでしょうか。全ての攻めが読まれていたように感じたのですが」
「ふむ、そのことよ」
常廉は啜った茶碗を置き、
「おぬしは
「上手すぎた、とは? 」
上手すぎて負ける、などということがあるのだろうか?
「癖、と言っても良かろう。燕青どのは実に効率的な攻めをする。相手の攻撃をいなしたあと、死角に入り込み、そして倒す。実に上手い。」
「お
燕青は自分の失策に気づいたのである。
「そうか、逆に言えば隙のできたところ、死角になったところから攻撃がくる、と先にわかってしまうんだ ! 」
「左様。とはいえわしも、早朝の弟子たちや、先ほどの常慶との仕合いを見ていて気づいたことじゃて。初見で戦っていたら、わしとてやられていたかもしれん。実はちょっとわしの方が有利な仕合いだったのじゃよ」
「そうでしたか。私は知らず知らずのうちに、楽をすることに慣れてていたんですね」
反省しきり、である。
(「次の攻撃がわかってしまう」のでは、俺も
とはいえ自分の癖を知れたことは今後に大いに役立つであろう。このことだけとっても、苦労して旅をしてきた甲斐があったというものである。深い感謝の念を込め、改めて常廉に深々と頭をさげたのであった。
「勉強になりました。ありがとうございました」
「こちらこそわしらにも良い経験になったわ。ところで勉強といえば」
飲馬川の周侗に話が移った。燕青は四娘が見た対打の前に、ほんの短時間、基本だけ習った「寸勁」を今回初めて実戦で使ったわけだが、常廉も見たのは実は初めてなのだ。
是非とも教えてもらいたい、いや今すぐ習いたい、というかもう行く、今行く、すぐ行く、行けないと死んでも死にきれぬ、すぐ連れてってくれ、などと常廉はまるで子供のようにだだをこねだした。
思わず吹き出した燕青と四娘、あきれて後足で耳の裏を掻く子狐己五尾。とはいえこの明るくて裏表のない、いい歳をして子供のような和尚には「力になってやりたい」と思わせる不思議な魅力がある。
どうしたものか、と相談の末、しばらくの間観山寺は常慶に任せ、常連を連れて「縮地法」で一度飲馬川に飛び、常廉と燕青が乗ってきた馬を置いていく、ということで話がまとまった。
「そうと決まれば早く行こうではないか、ええい常慶よ何をぐずぐずしておる、
待ちきれなくて地団駄踏む常廉を見、常慶は腕を組んで深々とため息をつき、燕青と四娘は笑いをこらえ、子狐は「付き合いきれない」とばかりに窓から飛び出し、草むらに消えていった
せっかちな常廉を何とかなだめすかし、次の日の朝、常廉、燕青、四娘と馬2頭子狐1匹が、四娘の書いた
例によってまばゆい光に包まれたのち、光が収まると飲馬川の砦の前庭に3人と3匹が立っていた。あちこち朽ちかけた建物の中から、ぼろぼろの衣の
常廉は、
二回目の「縮地法」の準備が終わった頃、どうやら常廉が周侗老人を口説き落としたらしい。燕青の乗ってきた馬を常廉に渡し、再会を約束しながら、2人と2匹は再び光に包まれ、二仙山へと旅立ったのである。
「和尚さん、ずいぶんたくさんお祓い料をはずんでくれたね。まぁド助平狐の問題も一応解決したし、拳法の相手までしたんだから当然だけどさ」
と、横にいる子狐を睨む。子狐はそ知らぬ顔で横を向き、狐のくせに口笛なんぞ吹いている。
「それにしてもたった半月ほどの間に、結構死にそうな目に遭ったな。また旅に出るとしたら、次はもう少し気楽に過ごしたいものだ」
しみじみ燕青がぼやいたちょうどその頃・・・・・・
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