第七章 青州観山寺(四)

 四肢の一尺(30㎝)はあろうかという長い爪、鋭い牙の攻撃、背後に回り込めば自称の通り五股に分かれた太い尾の連撃。それらが次々に四娘を襲う。


 それに対して四娘は、爪は「西王母せいおうぼ」と「東王父とうおうふ」を使って打ち払い、牙は飛びすさって避けながら隙をうかがっている。はじかれた爪は周囲の棚や太い柱を、まるで豆腐でも切るように音もなく引き裂いている。 


 あれが一撃でも当たったら、か細い四娘の体など雲散霧消うんさんむしょうしてしてしまうだろう。結界の中から見守るしかできない燕青は歯がゆくてたまらない。


 だが結界から出れば、また己五尾きごび淫気いんきに当てられて我を失ってしまい、四娘の足を引っ張ることになるだけだ。これほどじれったく、おのれの無力さに苛立つ経験は、かつて主人の「玉麒麟ぎょくきりん盧俊義ろしゅんぎ冤罪えんざいで捉えられた時以来である。


 何度か「」の属性を持たせた「東王父」の斬撃が、己五尾の体に当たっているのだが、さして影響を与えられていないようだ。さすがの四娘も焦りの色が隠せない。


(おかしい、けものは五虫ごちゅうで言えば『毛虫もうちゅう』でごんの気だから、『火剋金かこくきん』が有効なはず? なのに一瞬手応えがあっても全然切れない、なぜだ? )


 また腹に一撃が入った。が、一瞬すうと切れ目が入ったかに見えても、すぐに元に戻ってしまう。


 必死に爪と牙の連撃をかわしているが、道服の袖や裾の何カ所かに切れ目が入っている。大きく跳びすさりながら、攻撃が効かない理由にやっと思いいたった。


(そうか!けものは『毛虫もうちゅう』で金の気だけど、人は『裸虫らちゅう』での気。半人半獣のこいつは、せっかく獣の金属性を『火剋金かこくきん』で切ったとしても、同時に『火生土かしょうど』で人の土属性が復活してしまうんだ! )


 対処に困った四娘に、己五尾の爪がますます勢いを増して襲いかかる。

(落ち着け、ならば土の気に対して『木刻土もくこくど』を使ったらどう……『木生火もくしょうか』は金の気に有効、だが『金剋木きんこくもく』でやはり打ち消されるし)


 紙一重で攻撃を避けながら、目まぐるしく頭を回転させる四娘の表情に焦りの色が見えてきた。

「どうした小融! なにを迷っている! 」

「こいつ獣の属性と人の属性が入り混じってて有効な手が打てないの! 」

「あははは、獣と人の入り混じりではないわ。妾はもうすでに二千年の時を経て神に近き存在でおじゃる。無駄じゃ無駄じゃ」


(くっ!)

 大きく跳び退いた四娘に、燕青が叫んだ。

「尻尾だ! 尻尾を狙え! そこだけは純粋にけだものだ! 」


(そうだわ! )

 そのげきを聞きつけた己五尾きごびは、明らかに表情を固くした。

 四娘は懐から飛刀を引き抜き、ひと呼吸で顔面に1本、胸部に2本、腹部に1本と、4本を一度に放つと同時に身を屈めて走った。


 己五尾は飛刀を爪ではね除ける。その瞬間走り寄った四娘は己五尾の足の間に滑り込み、くぐり抜けた瞬間尻尾の根元を切った。


「ぐわぁぁああ!」

 ぼたり、と太い尻尾が2本、切れて床に落ちた。四娘は滑りながら足を踏ん張って止まり、もう一度背後から飛びかかり、「東王父」の「火剋金」で斬りかかった。


 血飛沫ちしぶきをあげてさらに1本、尻尾が落ちた。残るは2本。さすがに焦りの表情を見せた己五尾は、ひらりと飛び上がり天井の格子にぶら下がり下を見下ろした。


「やってくれたなこのちびが! よくも妾の尻尾を。ええい忌々しいがお前は退場してもらおうか! 」

 天井の格子に、右手と両足でへばりついたまま、空いた左腕をさっと振った。


 途端に固く閉ざされていた分厚い扉が開き、己五尾から四娘に向かって強烈な突風が吹き、何とか堪えていた四娘も、一歩下がり二歩下がり、とうとう堂内から吹き飛ばされてしまったのである。



 経堂の外にいた常廉の弟子たちが、入り口から急に飛ばされてきた四娘を慌てて受け止めたが、同時にまたもや扉がひとりでに閉まった。弟子たちが慌てて扉をこじあけようとするもやはり歯が立たない。


 さらに、燕青が蹴破った湿気抜きの窓から、堂内で濃度の増した己五尾の「淫気いんき」が漏れ出し、またも周辺に近づくと理性をかき乱され、色欲が異常に昂進こうしんされてしまうようになってしまったのだ。


 梯子を掛けて中に突入するなど思いもよらない。むしろ最初に取り囲んだ時以上に、経堂から離れることになってしまった。


(まずい!私が己五尾の結界の外に出されてしまったら、青兄に掛けた結界の効力を失ってしまう!)


 なんとしても中に入って、もう一度己五尾と戦わなければ、燕青があの「淫気」にやられてしまう。最初に犠牲になった常栄じょうえいのように、床一面に精を漏らして、干からびて死んでいくのなど絶対に見たくない。


 中に入るには先ほど燕青が飛び込んできた窓から入るしかないだろう。だが三丈もの高窓にどうやって入ればいいのか。悩んでいるところへ僧侶たち数名が、長く重たそうな梯子を担いでやってきた。


 僧侶たちはそのまま梯子を高窓下に立てかけようとした。ところが近づいた段階で、窓から漏れ出る「淫気」に当てられてしまい、皆股間を押さえて濡縁ぬれえんから転げ落ちたうえに、立てかけようとした梯子も倒れ、石畳の上で砕け散ってしまった。


(どうしよう! これじゃ中に入れない、このままじゃ青兄せいにいが! )

 と、四娘が目に涙をにじませ、あたふたしはじめたその時、その高窓から、己五尾の淫猥いんわいな声が漏れ聞こえてきた。


「うふふふ、やっとあの邪魔くさいちび道士がいなくなって妾と二人きりじゃのぉ、青兄せいにい、とかいったかの? 」


「無理じゃ無理じゃ、もう人の身であらがうことなどできぬわ」


「そうじゃ、おお、わらわに見せてたもれ、そなたの体を、そうじゃ、すべて脱ぐのじゃ」


「なんと美しい彫物ほりものよ、白い肌よ、鍛え上げた筋肉よ、そして見事なその……ああ、たまらぬ、大きいぞよ、固いぞよ」


「よいよい、全て妾にまかせよ、そうじゃ上を向くのじゃ、おおお、なんと、よいぞ、よいぞ」 


「次はここを、こう……そうじゃ、もっと強く、あぁ、ここを吸ってたもれ……」


 聞くに堪えぬ淫語いんごが次々と流れ出て、しかも己五尾の声はますます大きくなってくる。四娘はもう顔が真っ赤になっているが、耳を塞ぐわけにもいかず、中の様子をうかがうしかないのである。


「これ止めるでない、もっと強く突くでおじゃる、あぁぁもうどうにでもしてたもれ、ううもっと早くぅ」 


「そう、腰をもっと深く、ああなんと広い背中よ、たまらぬ、もういっそ殺しておくれぇぇ」


 そしてとうとう、

「あぁぁもう黄河と長江が一つになりそうじゃぁ、うぎゃああぁ!」


 最後の絶叫が響いたのち、辺りはしんと静まりかえった。耳を澄ませていた経堂の外の皆が、はっと我に返ったとたん、今度はすすり泣くような、苦しむような己五尾の声が聞こえてきた。



「はぁ、はぁ・・・・・・なぜじゃ、なぜそなたは精を漏らさぬのじゃ。わらわ淫気いんきが効かぬというのか」


「これ、動いてはならぬ、ああ駄目じゃやめてたも、もう妾には無理じゃ、くうぅそうされるとたまらぬ」


「なぜそんなに激しく突けるのじゃ、もう十分じゃ、これ以上続けられては、ああまた気をやってしまう」


「やめてたも、妾が悪かったでおじゃる、もう勘弁してたもれ、お願いじゃ精を、精を放ってたもれ、終わってたもれ」


「もう頭がおかしくなりそうじゃ、ああもう許してたもれ妾の負けじゃ降参じゃ、ううう世界中が腹に寄ってくるぅうう!」


「うぎゃぁぁああ!」


 ……二度目の絶叫の後、またもや静寂が訪れた。だがこの絶叫は何を示しているのか、すかさず常廉じょうれんは石段を駆け上がり、扉に手をかけひっぱった。すると今度は何の抵抗もなく扉が開いたのである。


 どうやら己五尾の結界も、男を惑わす淫気も消え失せたようだ。

「大丈夫か燕青どの!」


 中の様子を覗き込んだ常廉は、はっと息をのみ、振り向いてあとに続いた四娘の前に立ち塞がり

「お主は見てはならぬ! 下がっておれ! 」


 両手を広げた。その剣幕けんまくに驚いた四娘は

(まさか、られた?! )


 みるみる涙があふれ出してきた。気づいた常廉は慌てて

「違う違う、燕青どのは無事じゃ、ただその……おぬしにはちょっと見せられぬ格好というだけじゃ。他の者も少々外で待っていてくれ」


 扉から差し込む日の光の中で、常廉の目に飛び込んできたのは、素裸のまま汗だくであぐらを組んで座っている燕青と、りゅう屹立きつりつしたままの彼のたくましい男根だんこん


 その横で同じく一糸まとわぬ全裸で、息も絶え絶えに放心状態で横たわっている美女の姿であった。

 

常廉の姿に気づいた燕青は、頭を掻きながら犢鼻褌ふんどしを身に付け立ち上がった。その足元でまだ横たわっている己五尾きごびは、荒い呼吸のまま潤んだ目で燕青を見上げている。 


「燕青どの、この女はいったい?」

(そうか、常廉どのはこの女が己五尾の変化へんげとは知らないんだ)

「さて、わたしも知りたいですが……まずは服を着てもらいますか」

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