第四章 文昌千住院~康永(一)

(イメージイラスト 祝四娘)

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 朝、道観の銅鑼どらの音で目が覚めたふたりは、朝食のかゆと漬物、山菜ときのこの汁を他の道士と一緒にいただいた後で、院主に呼び出された。

 

 羅真人からの各道院への紹介状の他に、千住院せんじゅういん当てに馬を用立ててほしいという手紙がつけてあったので、馬を選ぶよういわれたのだ。


 ふたりは五十がらみのしゅうという馬丁ばていに連れられ、馬小屋へと向かった。


「馬かぁ。わたしいちども乗ったことないんだよね」

「そうか、それじゃぁ、慣れるまでは1頭でいいかな。周さん、この中でいちばん大人しい馬はどれだろう? 」

「へぇ、まぁ大人しいといえばこいつですけんども、だいぶ年寄りなもんで、ちょいとオススメはできかねるかと」

「ふぅん、この馬か」

 ふたりは馬房ばぼうのいちばん奥につながれた、少し薄汚れた白馬の前に立った。


 馬は、燕青えんせい四娘しじょうの顔を交互に見て、「フン! 」と荒く鼻息を吐き出し、ヒヒンと軽く鳴いた。


「……なんか馬にバカにされた気がするんだけど」

 と、四娘がふくれっ面になるのを見て、つい笑ってしまった燕青だが、

「まぁこの馬は、たぶんおまえより大人だから、バカにされても仕方がないよ。周さん、この馬で頼むよ。年取ってる分、賢いだろうし無茶しないだろうから」

と、首筋を軽く叩いてやると馬は嬉しそうにブルルと鳴き、鼻面をこすりつけてきた。


 それを見て四娘も、恐る恐る背中を撫でたのだが、尻尾でピシャリと手を叩かれてしまった。


「あはは、認めてもらうにはまだまだかかりそうだな。周さん、できるだけ使い込んでいるくらを付けてくれるとありがたいんだけど」


「へぇ、使い古しで悪いけんども、まだ2年くらいは使えそうなのがありますんで、あれを付けてさしあげますだ」

「すまないね、助かる」


 というのを聞いて、四娘は燕青の袖を引き小声で

「ちょっと、なんで新しいのをもらわないのよ?」


 周は耳ざとく聞きつけたようで、笑いながら説明した。

「ああ、お嬢さん。鞍ってぇのはあんたが思っているよりもかなり固いもんなんだべ。だから新品の鞍に、慣れないあんたが乗っちまったら、まぁ半日で尻の皮がけっちまってえらいことになるだよ」


「そうか、それでできるだけ使い込んで、柔らかくなったやつをもらったのね」

「そういうこと。まずは小融が普通に乗れるようになるまで慣れてもらう。そうなったら、途中でもう1頭手に入れて、そこからは2頭で旅をしよう」

「なるほど、わかった。できるだけ早く乗れるようになるわ」


「お嬢ちゃん。乗ると考えちゃだめだんべぇ。ちゃんと馬の面倒をみて、仲良くなって、素直に『乗せてください』と思ってれば、こいつはまぁおかしなことにはならねぇだよ」

「はい、そうします。ところで、この馬の名前はなんていうの?」

「こいつのこたぁ、白い兎で白兎はくとと呼んでるだよ」


「はは、赤兎馬せきとばならぬ白兎馬はくとばか。縁起のいい名前じゃないか。小融、良かったな」

「うん、よろしくね白兎馬」

 首筋を撫でると、今度は機嫌良さそうにブルルと応える。


 燕青は白兎馬のくら行嚢こうのうを振り分けにしてくくりつけ、四娘を座らせて手綱たづなを握り、道士たちに見送られて山を降りた。


 しばらくは馬上からの眺めに興奮していた四娘だったが、文昌を抜け、街道に出てしばらくしてからうーうー唸りはじめた。顔が紅潮し、苦しそうな表情である。三十里(15㎞)ほど来たころ、ついにをあげてしまった。


「ちょ、ちょっとまって、ちょっと止めて!」

「どうした、おしっこか?」

「何かっていえばそればっかり、違うわよ、あの、お、お尻が」

「なんだ、横に割れたか?」

「違うってば、痛いんだよ、いったん降ろしてよ」

「あいよ」


 白兎馬を止め、四娘を抱き下ろし、近くの木に馬をつなぎ振り返ると、四娘は膝をガクガク、太股をプルプル震わせている。


 乗馬の初心者は、まず馬の上下動にうまく合わせられず、尻の皮が悲鳴を上げる。またあぶみを踏ん張り、膝で馬の胴を締めるため、太股や下腿部が筋肉痛になる。さらに、正しい姿勢をとり衝撃を緩めてやらないと、腰や背中や首がパンパンに張ってしまう。今は燕青が手綱を引いていたので、それほど力はいらなかったが、いざ自分で操るとなると握る力、引く力も必要になり手首や前腕部も痛めることがある。乗馬は簡単そうに見えるが、誰でもすぐに長い距離を乗れるわけではない。


「最初はみんなそんなもんだよ。歩けそうか? 」

「うー、もうちょっと休めばお尻の痛みが引くと思う」

「皮が剥けていないなら、金創薬があるが、塗るか? 」

「う、うん。ちょうだい。自分で塗るからあっち行っててよ」

「まぁ、おれが塗るわけにゃいかないわな。馬に水を飲ませてくるからその間に塗っておけよ」


 近くの小川に降りて白兎馬に水を飲ませ、水辺の草をませて戻ってきてみると、すっかり元気を取り戻した四娘が、待ちかねたというていで早く行こうと急かしてくる。


「それじゃぁ、行こうか」

 と、白兎馬を引きながらふたり連れだって歩き出した。


「もう二刻(4時間)も歩けば、文昌ぶんしょうよりも大きな康永こうえいって町に着くそうだから、それまでがんばれよ小融」

「うん、お尻の痛みも消えてきたし、大丈夫だよ」

「康永に着いたら飯店めしやに入って腹いっぱい肉でも食おうや」

「そうだね」

 という答えを聞いた瞬間、逆にはっと気づいた。


 道士は肉や魚をたべられないのではないか。自分のことばかり頭にあって、つい忘れてしまったことを、燕青はひどく恥じて謝った。

「す、すまん」

 ところが四娘はきょとんとした顔で

「え?なにが」

 ときたものである。


「だって、道士は肉や魚は食べちゃいけないんだろ?」

「あぁ、まぁよくそう言われるんだけどね。師匠曰ししょういわく、噛んで血が出るものは術が濁るから食べちゃいけないって」

「と、いうことはつまり?」

「ちゃんと火を通したものならいいってさ、てへへ」


ならば茶店ちゃみせ飯店はんてんや宿でほとんどすべてのものが食べられるではないか。


紫虚観しきょかんや、昨日止めてもらった千住院の食事は旨かったが、正直粥ばかりで、固い米と、本物の肉に飢えてきつつあったところなのだ。


  ちなみに、道教の二大流派である「正一教せいいつきょう」でも「全真教ぜんしんきょう」でも、基本道士は精進しょうじん料理なのはその通りである。この当時まだ全真教は成立していないし、羅真人は正一教(天師道)の流れは組むが、独自の系統で修行していて、魚肉食も妻帯さいたいも認めていた。


「それもあるし、あたしチビだから細かいことは気にせず、とにかくたくさん食べて大きくなれって言ってたし」

 それと聞けば、一刻も早く町に着きたくなるのが人情である。


燕青は白兎馬に飛び乗り、四娘を引っ張り上げて自分の膝の上に横座りにさせると、軽く馬の横腹を蹴った。


 白兎馬は首を曲げて背中のふたりをしげしげと見、ふぅーと長く鼻息をはき、やれやれといった風情で首を振ってから前を向くと、突如物凄い勢いで走り出した。この早さで走り続ければ、この後、ゆう州、ばく州、そう州と駆け抜け、せい州まであっという間に到着しそうな勢いであった。


  初秋の街道を、砂埃を巻き上げながら、まさに白い風のように走り続け、ふたりと一頭はあっという間に町に着いた。


 白兎馬が町の入口でゆるゆると速度を落とし、やっと止まった。二刻はかかると思っていたが、一刻かからずに着いてしまった。


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