第三章 二仙山~文昌千住院(三)

 四娘は、たりやおう、とばかりに被っていた笠を脱ぎ、迫ってくる捕り手たちのすねを狙って石礫いしつぶてを飛ばした。


 捕り手達は次々に飛礫ひれきで骨を砕かれ、すねを押さえて倒れ込む。


 それを見た潘はあわてて馬から下り、鞍につけてあった短槍たんそうを取って穂先を燕青に向けた。


「今まではお上を馬鹿にするれ者で済んだが、もうお前らはお役目を邪魔する賊だ。殺されても文句はあるまい、でぇい! 」


電光石火、掛け声とともに潘は短槍を凄まじい早さで繰り出す。燕青の胴の中心を狙った突きが、血飛沫をあげて突き刺さった、かに見えた。


 燕青は突いてくる槍を前腕ではね上げると同時に、槍の外側から体を一回転させて懐に跳びこみ、そのまま潘が槍を持つ脇の下、鎧の隙間に、強烈な肘打ちをたたき込んだ。


 みきぃ、と鈍い音がし、肋骨の数本が折れた手応えを、燕青は感じた。「莽牛捧角ぼうぎゅうほうかく」の一手をくらった潘は一丈いちじょう(3m)ほども吹き飛んだかと思うと、「ぐふっ」とうなったきり白目を向いて気を失った。


潘怜はんれいがやられたのを見て、白銀兜の崔季相さいきしょう葦毛あしげの馬からとび降り、腰の長剣を引き抜いた。その落ち着きぶりから、かなりの手練てだれであることがわかる。


 崔は右足一本で立ち、右手に握った剣を高く構え、左手で人差し指と中指を揃えて伸ばし、燕青に向けてきた。「仙人指路せんにんしろ」の構えである。そこからさらに数度、めまぐるしい早さで剣を振り回して、ぴたりと剣先を燕青に向けた。


(蛾眉派がびはか! )燕青は崔の構えを見て気持ちを引き締めた。


 蛾眉山がびさんで発達したとされる蛾眉派の拳法は、素早く変則的な動きが特徴だが、特に剣術で名高い。燕青が緊張したのもむべなるかな、なのである。


燕青は意図的に、両肩をすとんと落とし、眼を半眼はんがんに細めた。形だけでも肩の力を抜かないと、柔軟な動きができない。


 脱力したまま片膝を軽く曲げ、「収弓待發しゅうきゅうたいはつ」の構えをとり様子をうかがいながら、忙しく考えを巡らせる。


(槍に対してはまず穂先を躱し、間合いを詰めて相手の懐で戦うのが基本で、潘の短槍はその通りの対応で難を逃れることができたが、剣となると圧倒的に間合いが近いうえに、素手の倍は長さがある。ましてや蛾眉剣術の変幻自在の剣捌きは神速しんそくにして霊妙れいみょう。どう考えても分が悪い)


 瞬時にそう考えた燕青は、素早く足元に転がっていた潘の短槍を拾い上げ構える。

「ふふん、付け焼き刃の槍で、この俺の剣が防げるか、お笑いぐさだ」


 巡検を名乗るだけあって、崔季相の腕は端倪たんげいすべからざるものだ。

 風車のように繰り広げられる剣技を、槍で受け止め続けること数十合すうじゅうごう。さすがに息が切れたか、一瞬崔の剣が下がった。その刹那せつな、燕青は槍を崔の顔面めがけて突き出す、と見せかけてそのまま手を離し投げつけた。


 崔はすかさず片手剣で、低い位置から飛んできた槍を上方に跳ね飛ばす。

 燕青は槍と同時に、低い姿勢で下から弓歩きゅうほで踏み込み、槍を跳ね飛ばそうと腕が上がった崔の脇の下に強烈な左の肘打ちを、間髪かんはつ入れず下腹部の鎧の隙間めがけて右の掌底しょうていを突きこんだ。さらに踏み込んだ脚を崔の脚の外側から引っかけ、肘打ちを入れた左手でそのまま、崔の喉元に手刀をたたき込んだ。


 たまらず崔季相は後方に倒れ込み、後頭部を打ったのと、首筋の強打とで脳震盪のうしんとうを起こしたらしく、立ち上がれないでいる。


排山倒海はいざんとうかい」……師匠の盧俊義から伝えられた技の名である。


 ふたりの指揮官を倒し、四娘の方を振り返ると、5、6人の全ての捕り手の脚を飛礫で砕いてしまったらしく、脚を押さえて呻く捕り手達のそばで仁王立ちしている。呆れた燕青の視線に気づいて右目をつぶり、親指を立ててみせたものだ。


 燕青は苦笑いし、すすり泣く少女に素早く走り寄り、手を縛っていた縄を崔の剣で切ってやり、優しく話しかけた。


「嬢ちゃん、俺たちは官軍の味方でも闇塩やみしお商人の味方でもないんだ。ただ小さな女の子をいたぶっているのを見て腹が立っただけだ。だから嬢ちゃんは助ける。後はお前が頑張るんだぞ」

 と言って頭を撫でて剣を渡し、言葉も出ず座りこむ大人たちを指さした。


 それを聞いて少女は涙を拭いてうなづき、崔の剣を持って自分の両親に近づいていった。


 少女が両親の縄を切るのを見守ってから、燕青は四娘を眼で促し、街道を歩き出した。

 四娘は慌てて笠を拾い、燕青の後を追いながら問いかける。

「ねぇ、兵隊とかあのままにしておいていいの?そのうち偉そうなふたりも気がつくよ?」


「うん、まずいだろうな。俺たちに追っ手をかけるだろうし」

「じゃぁ……」

「だからって俺たちが皆殺しにするのもおかしいだろ」

「でも」

 その言葉と同時に、背後から複数の絶叫が聞こえてきた。


 思わず四娘は足を止めたが、

「振り向くな」

 燕青が静かにたしなめる。


 やがて絶叫が聞こえなくなり、

「お兄ちゃんたち、助けてくれてありがとう、さようなら」

 という、少女の声が聞こえてき、すぐに数人分の走り去る音が聞こえた。

 

縛めを解かれた闇塩商人たちが、捕まるのを恐れ、官軍の兵士たちを皆殺しにして逃げたのである。


 残酷なようだが、捕まって連行されれば、自分たちも間違いなく見せしめに殺されるのだから、仕方のないことなのかも知れない。


燕青は前を向いたまま静かにつぶやく。

「あの兵隊たちは、実はすごい良い人たちなのかもしれない、闇塩商人だって本当はひどい悪人だったのかもしれない。でも闇塩商人が捕まって殺されるか、動けなかったり気を失っている兵隊たちが殺されるかは、言っちゃ悪いが時の運だ。」

「えぇ、だって小さい子があんなひどいことされてるのを見たら、助けるしかないじゃない」


「そうだ、だけどもし、闇塩商人たちの中にあの子がいなかったら、お前どうしていた? 」

「うっ! 」


「あのまま木の陰から、隠れて見ていたんじゃないか? たぶんおれもそうしていた」

「……それは……そうかも。で、でも、あの場であたしが助けに行ったのは間違ってないでしょ! 」


「まぁ、おれもあの子だけは助けなけりゃ、と思ったよ」

「でしょでしょ? 」


「だが、真っ正面から飛び込んでいくのは勇気ある行動なんだが、あれは無謀というべきだ」

「じゃあ、どうすればよかったってのよ! 」

 とうとう四娘は顔を真っ赤にして怒り出した。


「おいおい、怒るなよ。お前があれをほおっておけないのは当然だ。おれだって結局最後は腹立てて喧嘩売っちまったからな」

「それじゃあたしと一緒じゃん。じゃ青兄ならいったいどうするつもりだったのさ」

「そぉだなぁ……まぁお前には隠れていてもらって、あの女の子だけをかっさらっていっただろうな」

「でもそれじゃ他の人達を見捨てることに」


燕青は立ち止まり、四娘に向き直って静かに語りかけた。

「小融、悪いがおれは神様でも正義の味方でもない。官軍の味方でも塩賊の味方でもない。おれはおれの目の前の、抵抗できないままいたぶられている小さな女の子を助けたい。それだけしか考えてなかったし、それしか言ってない。侠を気取ってはいても、どっちが正しいのかなんて実際はわからない。ただ見える範囲の非道は許したくない。それだけなんだよ。お前も子供は放してやれ、と言ったよな」


「……確かにあたしもそう言った。言ったけど……」

 四娘はふくれっ面で目を潤ませている。

半べその様子を見ながら、燕青はほっとため息をつき、また歩き始めた。

目をこすりながらそのあとに続く四娘。


「でもなぁ……結果だけ見れば、お前が正解だったのかもしれない」

「え? 」


「おれがあの女の子だけをさらって逃げたとしても、あの子1人だけじゃ生きていけない。やっぱり家族と一緒じゃなれりゃ、辛いよな。うん、訂正するよ。お前のやり方『も』、『あり』だったかもな。だからもう泣くな。なっ」

「な、何言ってんのよ、泣いてないし! 」


「そうか、そりゃ悪かったな。おれはてっきり」

「そ、それに、このあたしの行動は! も、もともと全部計算ずくなんだからね! ほんとだからね! 」


 涙目で強がっているが、目に後悔の色が濃く現れている。

 それと見た燕青は深追いせず

「まあとにかく、これから先もう少し用心深く行動してくれ。それから何かしようと思う前に、おれにちゃんと相談してくれよ」

「……わかったよ」

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