第二章 二仙山紫虚観(八)

「仙術に関することは、あまり口外できないの、今から言うことは内緒の話だよ」

「あたいも燕青えんせいさんのことは信用するけど、できるだけ手の内は明かさないようにいわれてるんだ」

「ん、僕は仙術はまだ出来ない。別に知られてもいい」

 

孫紅苑そんこうえんにはちょっと異国訛りがあるようだ。(はて、この紅苑という娘は、道士じゃないのか?)

 不思議に思ったが、燕青も深く頷いて応えた。


「ああ、それは武林のほうでも同じだ。都合が悪けりゃ聞かないよ」

「まぁ簡単に言うと、あたしは剣と飛刀ひとうを使うけど、姉弟子はふたりとも普通に『咒符じゅふ』を使うね」

「仙術にも、人によってやっぱり向き不向きがあって、あたいは主に使鬼神しきがみを使うんだ」と玉林。


「しきがみ?」

「うん、魔物を使役しえきして別の魔物と戦わせるんだけど、あたいはまだ弱っちい使鬼神しか使えないんだ。見てみる?」

「いいのかい?」


 玉林は懐から、草を小動物のような形に編み上げたものを取り出して左手に乗せた。目をつぶり、右手で奇妙な形のいんを結び、何やらブツブツつぶやいてから、フッと息を吹きかけた。

 すると、ひらりと舞い上がった草の細工物が地面に落ち、次の瞬間、猫より少し大きいくらいの奇妙な動物に変化したのである。


 見た目はたぬきに似ているが、首の周りが白い毛で覆われ、尻尾が三つ股に分かれていて、なぜか片目をつむっている。

「見たことがない生き物だが、なんて動物だい?狸に似ているけど」

 燕青が聞いた瞬間、その動物が閉じていた目をくわっと見開き「カァァァン!」と鳴いた。


 体の大きさからは予想もつかないほどの大音響。、4人とも一瞬体が硬直したほどだ。

「だめだよ!この子は狸と間違えられるのをいちばん嫌がるんだから!」

 玉林が燕青を叱りとばした。


「いやすまんすまん、ごめんなおい」

 としゃがみ込み、しげしげと見ると狸よりはかなり口が大きく、牙も鋭い。眼の周りは黒くなく、顔全体はどちらかというとやまいぬに似ている。


 小動物は怒りを鎮めたと見えて、また片目を瞑り、大きなあくびをして後ろ足で首の辺りをボリボリ掻きだした。


「これはね、『天狗てんこう』っていうんだ。地方によっては、鳴き声から『かん』って呼ぶらしいから、あたいは『讙平かんぺい』って名づけたけど」

「へぇ、かわいいな。おいでおいでかんぺい」

 燕青が手を差し出すと、天狗てんこうが寄ってきて、差し出した手をめる、かと思った瞬間、

「あぶない!」

 

玉林の叫び声。慌てて手を引っ込める燕青。一瞬ののち、天狗が燕青の手があった空間で「ガチン」と牙を鳴らしたのである。


「危なかったぁ。見た目かわいいけど、自分より小さい魔物なら何でも食べちゃうくらい凶暴なんだよ」

「ん、僕も噛まれたことある。生意気」紅苑はかなり毒舌なようだ。


 玉林は天狗を抱きあげ、軽く玉をつくるように手で丸めていった。すると天狗はどんどん小さくなっていき、やがて手のひらの中に見えなくなった。手のひらを開いてみると、四つ足の草の塊に戻っていたのだ。


「なるほど、これが『使鬼神しきがみ』というものか。弱っちいとか言ってたけど、なかなかすごいじゃないか」

 玉林を褒めると、

「でしょお?」

 どんなもんだと言わんばかりの、その顔の得意げなことといったら。


 天狗てんこう。「山海経せんがいきょう」に曰く、「陰山、獣あり。その状は貍のごとくにして白き首。名けて天狗という。その音は榴榴のごとし。もって凶をふせぐべし。(西山経次三経)」とあり、悪鬼を食らうとされる、分類としては霊獣になるらしい。


「で、紅苑さんは? 」と燕青が水を向けると

「ん、僕は道教の仙術は習っている途中であまり使えない。だけど仏教の法術が使える。仙術の属性は木火土金水もくかどごんすいだけど、仏教の法術の属性は地水火風空アバラカキャの五つ。頭ごちゃごちゃになってなかなか覚えられない」


 この紅苑、聞けば天竺てんじく(インド)出身で、10歳の時に商人の両親に連れられ船で上海を目指して旅をしていたが、船が難破し両親と離ればなれになり、打ち上げられた海岸で悪党に捕まった。


 燕京えんけいまで運ばれて奴隷として売られそうになっていたところを、一清道人が見つけて救い出したのだという。したがってまだ言葉も流暢りゅうちょうには話せないのである。毒舌というより言葉を知らないだけのかもしれないと燕青は思った。それにしてもいろいろな術があるものだ。


「ところで話変わるが、この山にあっという間に移動できたあの『縮地法しゅくちほう』という術、あれはずいぶん便利だが、どこにでも行けるのかい?」

 燕青のこの質問に3人は顔を見合わせて笑いだした。


「あはは、そんな都合の良い術なんてあるわけないよ」

「まぁ、あたいも最初そう思ったけど、難しいし使える場所すごく限られるんだよ」

 そこからふたりが説明し始めた。紅苑はまだ術理が理解できていないという。いわく、


 それぞれの土地には人の血管と同じように「地脈ちみゃく」と呼ばれる「大地の気の流れ」がある。そして地脈は、地の底でも海の中でもこの世界中でつながっていて、仙術によってその流れに乗って地中を移動することができるのだと。


 地脈の流れは音よりも早く、さらに地上の「時間の流れ」とは遮断されていて、いわば「時が止まった状態」になっているので、かなりの距離を移動しても地上での時間はほとんど進んでおらず、結果的に一瞬で長距離を移動しているように見えるのだと。


「へぇ、じゃぁ地脈が通じているところなら何処にでも行けるのかい?やっぱり便利じゃないか」

「えーと、例えば人の血管にも、ものすごく太いのと、目に見えないほど細いのがあるでしょ?それと似ていて、地脈の細いところに迷い込んじゃったら、詰まっちゃって身動きが出来なくなったりするんだよ」


 玉林が続けて

「だから、地脈の中でも勢いのいいところ、血管で言えば太いのに乗らないと危ないんだ。特に太い地脈のことを『龍脈きゅうみゃく』って呼ぶんだけど、その龍脈の方向や、行き先の形がわからないと狙ったところへ移動できないんだよ」


「まぁデブ玉林は龍脈でもおなかが詰まりそうだけどね」

「なにをこのガリ小融、あんたなんか細い地脈にはまっちゃえばいいんだ!」

「ん、あんたらと違って、僕はおっぱいが詰まる」

「なんだとおー!」

「ん、僕間違ってない。つるぺたとちょいぽちゃなのが悪い」


 またケンカが始まりそうになったが、もう燕青はこれが子犬同士のじゃれ合いみたいなものだとわかってきたので、止めるでもなくそ知らぬ顔である。


「まぁまぁ。じゃぁはっきりと場所が分かっている所とか、一度行ったことのある所にしか行けない、ってことかな?」


「ん、そんな感じらしい。あと一度に移動できる距離は、術者の力次第。馬鹿だとせいぜい百里(50㎞)くらいらしい」


「そもそも、いろんな道観やお寺なんかはたいてい龍脈の上に立てられているし、特徴的な地形のところに龍脈が流れてることが多いから、そういうところには行きやすいんだよ」


「でもちゃんとその場に行ってみて、龍脈の特徴とか憶えないと危ないのさ」


「ん、二仙山に戻る龍脈には、みんな何回も乗っているから、戻ってくるのを間違うのはかなりの馬鹿」


(ふむ、でもいざという時に、ここへ素早く戻ってこられるだけでも、ずいぶん心強い話だ)


「でもね、縮地法を使うには、正確な方角を計って、正確な形で文様もんようを描かないと、下手したら違う方向へ行っちゃったり、時間の流れが歪んで遅くなることもあるんだ」


「あたいは描くの下手くそだから、まだ縮地法を使う許しが出ないんだよ。小融はうまいんだよね文様描くの」


「何言ってんのよ。あたし毎日まいにち、夜中にすごく練習したんだからね。あんたすぐガーガー寝ちゃうじゃないの」


「ん、玉林のいびきうるさい。小融は寝言うるさい」


「紅苑の歯ぎしりだってうるさいって!」


また3人でギャーギャー始まったので、燕青は苦笑して戻ることにした。


 怒涛のような少女たちの来襲からようやく落ち着いたところで、食堂で粥、野菜と豆腐の餡かけ炒め物、胡瓜の漬物という昼食を食べたあと、旅の準備を始めた。


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