第4話

 コンコン、扉をノックする音が聞こえる。

「尾北先生、ですよね?大丈夫ですか?」

「あ…」

どれくらいの時間が経ったのだろうか。気がついたら、捨てられたトイレットペーパーが、便器を埋め尽くしていた。

「ごめ、なさい…勝手に抜け出して」

「大丈夫ですよ。あと、残り一人になったから上がっていいって。島田さんが」

「そう、ですか…あの、すみません…着替え、俺のロッカーから…」

「分かりました。ちょっと待っててくださいね」

深く追求することなく着替えを持ってきてくれる。やっぱり察されているのだろう。いたたまれない。




「あの、ありがとうございました...」

通勤中に履いているジーンズに履き替える。パンツを履いていないため、スゥスゥして落ち着かない。

「いえいえ。...まだ気にしています?」

「いえ…」

「目が赤くなってますよ」

冷たくて白い指が目の下を滑る。

「尾北先生って、実家暮らしでしたっけ」

「はい…」

「徒歩ですか?バス、電車?」

「電車です…1時間ぐらい」

「よければ今日ウチ泊まっていきません?宅飲みしましょうよ」

「い、いえ!そんな、迷惑では…」

「片さないといけない食材が溜まってるんです…一人暮らしあるあるです。それに、その洗濯物、親にバレないようにするの、大変でしょ?」

やっぱりバレてた。顔が熱くなるのが分かる。

「良いんですか…?」

「はい。じゃあ帰りに酒と軽いつまみだけ買って帰りましょう。歩いて15分ぐらいで着きますので。」

ワシワシと頭を撫でられる。いつもの仏頂面じゃなくて、子供に向けるような、優しい笑顔。

「っあ、すみません…子供たちにするみたいに…」

パッと離された手。いつもの顔に戻るけれど顔が赤いからか、少し可愛い。

「いえ…多田木さんが笑ってるの、珍しいなって…」

「俺、子供の前でしか笑えなくて…緊張してしまうんです…」

つまりは俺が子供っぽいってことなのか…?まあ、あんな失敗するくらいだから仕方ないんだろうけど。

「同じ男の同僚ができて嬉しいんです。宅飲みとかもしたことなくて…今日誘えて良かったです」

表情の変化は少ないものの、最初抱いていた怖い印象はもうない。

「お、俺もです。楽しみですね」



ゾクっ…

保育園を出てから早5分。冷たい夜の風に吹かれ、鳥肌が立つと共に、覚えのある嫌な感覚。

(トイレ行きたい…)

さっき全部出したと思ったのに…。いつもより冷気が通りやすい下半身のせいだろうか。意味もなく太ももを摩る。

「あ、コンビニ。ここで酒とか買っていっちゃいましょう」

「あ、はい…」

よかった。数十メートル先のチカチカと光るコンビニのロゴ。ちょっと恥ずかしいけど、ここで済ませてしまおう。

「ビールでいいですか?」

「は、はい」

「つまみは?イカとかホタテとか」

「あ、イカで…」

トイレ…看板を探すけど、それらしきものは見当たらない。進むルートの中、キョロキョロと必死に探す。

「どうしました?」

「ぁ、いえ、」

「じゃあ買ってきます」

「あ、俺が出しますよ…泊めてもらうわけだし」

「大丈夫ですよ。安いし」

「ごちそうさまです…あの、」

「はい?」

「いや、楽しみだな、と…」

「ですね」



 再び外に出ると、結構切迫していて。

(何で、まだ1時間も経ってないのに…)

さっき出せる、と思ったからだろうか、膀胱が疲れてるからだろうか。キュン、と下腹が痛む。

「あと、どれくらいなんですか?」

「あと10分ちょっとですかねー」

10分…ほんの少し。それくらい我慢出来るだろ、そう心の中でいう自分と相反して、不安を感じる自分もいる。今現在、括約筋がぴくぴく震えている体があるというのが紛れもない事実。

(ちょっとだけ…)

一本道、先輩が前を歩いているのをいいことに、ギュッと前を抑えた。


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