第16話 歩行照合システム

 滋賀果歩誘拐および爆殺事件の進展はまったく無かった。

爆弾の破片から最近ネットで売られたものだと言うところまでは掴んだが、その業者も特定出来ていなかった。

そんな状態で月が明け三月になった二日、アパートの一室から悪臭がすると通報があり品川署の大磯警部は部下を従えて現場へ急行した。

「先の現場とは数キロ離れていて事件とは関係はなさそうな通報だな」大磯はままある事件や事故に捜査が追い付いていない現状を憂いて、そして疲れていた。そんな気持からただのゴミの臭いで有って欲しいと願い呟いたのだった。

 しかし大磯が部屋の前に立つとはっきり臭った。死臭だ。なんども嗅いで頭にその臭いが記憶されている。

大家が鼻を押さえながら鍵を開ける。酷い悪臭だ。

窓を全開にして鑑識を入れる。

若そうな感じの男がふたり喉を掻きむしり口から泡をふいて死んでいた。腐敗も始まっている。

鑑識によれば死後二週間から三週間ぐらいだろうと言う。

テーブルの上には缶ビールが飲みかけで置かれている。それとカップに腐ったおでんらしきものが入っている。

毒物を摂取したようだが、それらしきものは無かった。

大家が鍵を三組預けているというが、ふたりが夫々持っていたほかには見当たらない。

ほかには、また赤井川創語の著書「誘拐殺人事件」が寝室の布団の上に置かれていた。

大磯は部下に室内の捜索と周辺の聞き込みを指示して署に引き上げた。

 

 

 一心のもとに釧路警察の捜査状況報告書の写しが届いた。

万十川課長が気を利かせて送ってきたものだった。

開くと貰っていた資料と同じようなことが書かれていたが、発見当時の証言が細かく書かれていた。

それによれば

 一月十六日の午前二時から三時にかけてロータリーを通った複数のタクシー運転手は何も無かったと証言している。 

朝四時、まだ暗い中タクシー運転手がロータリーの内側でハザードを点けたクレーン付きのトラックが荷物をロータリーに下ろしているのを目撃している。

四時半、通りかかったタクシーの運転手がロータリー内でカバーを外して畳んでいる姿を目撃していた。

五時、出勤するため港へ向かっていた漁業従事者がロータリーを回った時に四角い物体を見ていた。

……

つまり、遺体は十六日朝の四時過ぎに現場に置かれたと言う事だ。

一心は万十川課長に許可を取って釧路署の乾警部に電話を入れた。

「証言にクレーン付のトラックがでてくるけどそれは見つかったの?」一心が訊く。

「えぇ港にある運送業者のもので、前日の十五日の昼頃野球帽にロングコートの髪の長い女が来て、時間外だろうがどうしても朝の六時までにロータリーに置いてくれと言って法外な金を置いたんで、社長自身が引き受けたようだ」と乾警部が答えてくれた。

「で、その女は見つかった?」

「いや、被害者の関係者に訊いたり、持ち物を全部点検したんだが見つかっていないんだ。探偵さんはどうしてこの事件を追ってるんだ」

「警視庁の万十川課長って知ってる?」一心は乾警部の返事を待って「その課長から頼まれてさ。合同捜査なんでしょう……」

電話の向こうで誰かと話す声が漏れて聞こえてくる。

少し待ってると「すいません。ちょっと情報が入ったもんだから……今言ってた運送業者の受付した女性が、来たのは女だけど、やけに背が高かったって、だからひょっとして男が変装した可能性もあるなって話してたんです」

「その客を監視カメラで撮ってませんか?」

「撮ってて鑑識にも見せたんだけど、顔が分かんないんですよ。それで役に立たないと鑑識に言われました」

「そう、それ送って貰えないかな? その部分だけ切り取ってできる?」

「えぇアドレスさえ分かればすぐに出来ますよ」

「あぁじゃ頼みます」

一心は美紗のアドレスを教える。

それから事務所に電話を入れて事情を話し照合する様に指示した。

 

 翌日、静が丘頭警部を連れて来た。

「美紗が釧路の件、照合したら運送を依頼したのは男性だったと。ただ、ゆったりしたコートを着てたんで個人の特定までは出来なかったけど、身長は百七十五センチから百八十五センチほどらしいって、でね、関係者の中で該当するのは山笠だけみたい」と警部。

「どうして男って分かったんだ?」一心が訊くと

「美紗が言うには、男と女では歩き方に違いがあって、もちろん個性はあるんだけど、女は骨盤が広くて足の骨の間隔が広く内側に入りやすい構造になっているため、内股で歩く可能性が高い、一方男性は骨盤が小さいため足の骨の間隔が狭く外向きに付いているためがに股になりやすい。女性でもがに股っぽい人はいるががに股と言うよりO脚(オー脚)といった方が良い。それで男性と見分けがつくんだって」と警部。

「ほう、それで男だと……」

「かなりの確立でね」

 

 

 

 中野署の飯沼警部は越中の部屋の壁に貼付されていた写真の中のひとり桃川心美の部屋を婦警を連れて訪れた。

「電話でもお訊きしたんですが、越中悠と言う男は知らないんですね」

「はい聞いた事の無い名前です」心美は不安そうに言う。

飯沼は写真を取り出して「この顔に見覚えは?」

心美は首を立てには振ってくれなかった。

事情を話して室内を見せてもらうことに。先ず婦警が心美についてクローゼットや整理ダンスを確認してゆく。

それから飯沼は許しを得てクローゼットを覗いた。

配達業者に現れた女性の着ていたコートやパンツは無いようだ。

「桃川さんはウイッグなんかは使わないんですか?」飯沼が言う。

「使いますけど、見ます?」彼氏を失った悲しみもまだ抜けないのだろう心美の話し方に弱々しさが漂っている。

心美がタンスから出したのは肩くらいの長さのものだが、濃い藍、濃い茶、濃い赤いずれも違う。

「濃い色がお好きなんですね」飯沼が訊くと「えぇ明るい色は恥ずかしくって付けられません」

彼氏の犯行とも考えられるのだが、死亡したのは彼氏の方が先だ。

 

 アパートを出て近所の聞き込みをして驚いた。

越中が心美のアパートを監視していたようなのだ。

近所のひとりの老婦人は越中に声をかけたそうだ。

「あんた、このアパートのひとに何か用事でもあるのかい?」

そう言うと越中は顔を隠すようにして立ち去ったと言う。

やはり越中は桃川心美を付け狙っていたと考えて良さそうだ。

飯沼はもう一度桃川のインターホンを鳴らした。

部屋に入れて貰い近所での証言を話し「そう言った話を誰かにしませんでしたか?」

心美はしばらく考え込んでいたが「碧人には話しましたけど……」そう言ってまた考える。

「あっ赤井川先生にも話しました」と言った。

「えっ赤井川ってあの作家の赤井川創語ですか?」

「えぇそうですが……」

「その作家とお付き合いでもあるんですか?」

訊いた途端に心美は俯いてしまった。

飯沼は婦警に目顔で話を訊いてこいと言った。

「ちょっとこっちへ……」婦警は心美の肩を抱いてリビングの椅子に並んで座りぼそぼそと話しをしている。

飯沼はドアの外で待つことにした。

若い女のこういう扱いは何度ぶつかっても苦手だ。苦笑いする。

ややあってドアが開き婦警が飯沼の耳元で「以前、一度だけホテルのレストランで食事をしてワインを少しだけ口にしたら酔っちゃって、部屋に連れて行かれたそうです。この話しほかの警察署の刑事さんにもしましたよと言われました」

飯沼は頷いた。作家も単なるエロ親父かと腹が立つ。

中に入って「言いずらい事なのに何回も申し訳ない。で、作家はあなたの話を聞いて何か言った?」

「世の中には悪い奴多いから気を付けなさい、と」

飯沼は作家自身が悪い奴のひとりだろうがっ! と思ったが、それで越中を爆弾で殺すとは考えずらい。

が、一応話を訊きに行こうと婦警を促した。

 管轄が浅草署なのでシステム上の了解を取ると、丘頭警部から電話が入り事情を話すと分かってくれて「一緒に行こうか?」と言ってくれたが、申し訳ないからと断る。

丘頭警部が言うには、赤井川創語は夜に徘徊する習性があるらしいし、探偵に釧路の事件やボウガン殺人も自分がやったかもしれないと言ったらしい。

誰も本気にしてはいないが、と丘頭警部が教えてくれた。

 

 リビングで対座した赤井川はなんとなく顔色が悪く見える。先入観かも知れないが……

話をすると「あぁそれは心美から聞いた。で、妻にも助手にも、出版社の奴らにも話したぞ」

と言われた。

あちゃーと思った。

そんなに喋られたら追っかけられないし、赤井川は犯人じゃないな。

奥さんがコーヒーを淹れてくれたので同席して貰って同じ話をした。

「私も、友達や出版社の方々とそんな話をして、怖いわねぇ気を付けないとねってお互いに言いましたわ」

助手は? と訊くと「殺人事件の関係で話が訊きたいと言って中野署だったかな呼ばれて行ったよ」

「いやいや、自分が中野署から来てるんで、浅草署か警視庁じゃないかな」飯沼が言う。

「あぁそうだわ。警視庁の五日だか六日だか、何か日付が名前になってたわよ」と、奥さん。

「あぁそれ警視庁の六日市警部です」

「おぅおぅ、そう、それだ」と赤井川。

飯沼は本当にこの作家徘徊しそうだと思った。

結局は何も分からず、ただ、桃川は白っぽいと言う印象を持っただけだった。

 

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