第15話 予想外の展開
約束の十六日になった。
十時過ぎに銀行員が金を持って来た。
品川署の大磯警部は束の一枚目の番号を控えさせた。束は五十個ある。
そしてバッグに詰め準備は完了だ。
午後三時を過ぎて、公園内の芝生にビニールシートを敷いて座って談笑するカップルや杖をつきながら散歩する老人、ベンチでお喋りをするリクルート姿の女性など、変装した二十名の刑事が様子を窺っている。
三時半、近くまで覆面に父親と母親を乗せて待機させていた。
十分前、大磯が父親に合図を送ってバッグを持って指定されたベンチへ向わせる。
父親は緊張しているのだろう顔は引きつり歩く姿がぎこちない。「まぁ無理も無いか」大磯は心の中で呟いた。
バッグを置いて戻った父親は、ドアに手を掛けたものの、ベンチの方へ目をやったままなかなか車に乗ろうとしない。
「志賀さん、乗って! 犯人が見ているかもしれないから」
大磯が声をかけようやく乗る。
滋賀はドアに手を掛けたまま今にも飛び出しそうにしているので「志賀さん、落ち着いて。犯人が来ても出ちゃだめだよ。気付かれたらおしまいだからね。良いですか?」大磯は念を押すが滋賀に届いているのか心配だ。
母親も覆面の中から不安げにベンチの方へ視線を向けたまま微動だにしない。
時刻になった。
張り込んでいる刑事らに警戒を促す。当たりの空気がピーンと張り詰める。
数分遅れで女性が花壇を踏み越えて現れた。
様子を見ていると真っすぐベンチに近づいて来る。よれよれの服を着ている。
「あれが犯人なのか?」大磯が呟いたその時、「かほーっ!」大声で叫んで滋賀が車を飛び出した。
慌てて滋賀を押さえようと大磯も飛び出す。
それに気付いた刑事たちが一斉にその女性に駆け寄る。
「かほーっ!」滋賀の叫びに女性が気付いて「ダメーっ! 来ないでーっ!」悲鳴のように叫ぶ。
滋賀があと十メートルあたりまで近づいたとき、突然、女性のキャーッという悲鳴を打ち消す大音響とともに女性の身体が爆発した。
それほど大きな爆発では無かったが、胴体が消失し腰から下はその場で崩れ落ち、頭部と首が滋賀の足下まで飛んできて、滋賀は頭から血を被る。真っ赤な内臓が胴体と頭を結ぶように散らばっている。
周囲には真っ赤な血が撒き散らされ、大磯も頭から血の雨にあたり呆然と散乱した被害者の真っ赤に染まっている骨と肉片を見ていた……しばし言葉も出ない。
「ぎゃーっ かほーっ!」血まみれの頭部を抱きかかえ喉が裂けるほど絶叫する滋賀……。
その声で大磯は我に返り、
「周囲の不審人物を捜索! 公園を封鎖しシートで現場を囲えっ!」無線機に向かって叫ぶと刑事らが散らばる。
花壇の向こうで何人かの若い刑事がゲロを吐いているのが目に入った。
「現場で吐くなーっ! 遠くへ行けっ!」大磯が怒鳴りつける。
父親はその場でへたり込んでしまった。
母親も駆け付け頭だけになってしまった娘を地べたに座り込んで抱きしめ頬擦りし血まみれになる。
そして娘の名を声を限りに叫び泣く。繰り返し、繰り返し、……
*
爆発した段ボールに貼付されていた送付書の切れ端から配送業者が特定され、春奈の住む浅草と越中の住む中野区周辺にある営業所に当たったところ浅草の営業所のひとつにその控えがあった。
受付したのは爆破前日の一月三十日の午後六時過ぎで、差出人は《都内ボーリング競技会》と書かれていたがもちろんそんな会は実在しなかった。
配送業者の受付女性は、記憶によればと前置きして、「どこかのプロチームの野球帽子をかぶり、ベージュのデニムパンツにひざ丈の黒のロングダウンコートを身につけて、肩までの茶髪だったと……。何かバランスのとれない恰好なので覚えていたんです」と話してくれた。
「顔はどうです? 何か印象は残っていませんか?」
飯沼が期待を込めて質問したのだが「すらっとした美人タイプとしか記憶ないですねぇ。すみません」
女性は頭を下げる。
「いやいや、これだけ覚えていてくれたので大助かりです」
飯沼は答えた。
飯沼警部は浅草に住むと言う佐久間春奈の自宅に婦警を連れて訪れた。
都内には百余りの警察署がありひとつの事件が複数の所轄署に関わることが多いため、情報を警視庁が管理するシステムに登録すると関係する所轄署に情報が伝わる仕組みになっている。
それによって他の所轄エリアに捜査に入る必要が出た場合でも、システム上で相手の了解を得るだけで自由に入ることも可能となっている。
もちろん了解を得ようとして条件を付けられることもあるし、システムを使わない奴もいる。
今回の場合は浅草署の了解をシステム上得ている。
飯沼は春奈に「越中悠」と言う名前に心当たりはないかと訊いたが春奈は首を横に振った。
これまでの署の捜査でも春奈と越中の繋がりを確認できなかったから、それは事実なのかもしれない。
それで越中の写真を見せて「この人物に見覚えは有りませんか?」と訊いた。
じっと写真を見詰めてから「いえ見たことのない人です」
「あのークローゼットの中見させてもらっても良いでしょうか? 嫌ならそう言って下さい。任意なので強制は出来ないので……」飯沼はそう言って春奈の様子を窺う。
春奈はちょと嫌そうな顔をして「ちょっと待って下さい」
そう言ってクローゼットを細く開けて中を覗き込んで確認している。
「どうぞ」ちょっと恥ずかしげに扉を開いて飯沼を促す。
「じゃちょっと俺が覗いても大丈夫か見てきてくれ」飯沼は婦警に指示。
婦警はクローゼット内の棚と床の上にあるものを確認して飯沼を手招きする。
飯沼が覗いて証言にあった衣類を一緒に探す。
婦警が「ありますね」と言って帽子、パンツ、コートを指差す。
「春奈さん。ウイッグなんて持ってないですよね?」飯沼が訊く。
「いえ、持ってますよ。女性ならみんなそれくら持ってますよ」春奈は笑顔で寝室へ行ってそれを持って来た。
手に茶色とベージュと赤い三種類のウイッグを持っている。
長さはちょうど肩くらいだろう。
「春奈さん、申し訳ないけど、これ身体に当てて写真撮っても良いですか?」
了解した春奈は着替えまでして写真を撮らせてくれた。
「これで何かの役に立ちまして?」
「えぇ大いに……ところで、三十日は何をなさってました?」
「あら、今度はアリバイですか? もしかして私、容疑者ですか?」春奈は日常会話でもする様に軽く訊いてきた。
「いえ、でも、よくアリバイとか容疑者なんて言葉をご存じで」
「えぇこれでもミステリーファンですから。特に、赤井川創語は結構読んでます。好きなんですよ」
そう言って寝室から赤井川創語著の「宅配便殺人事件」を持って来てわざわざ飯沼に見せる。
「で、三十日は……」
「あら、失礼……えーっと、あっ平日ですもんね。なら、会社。
奥の部屋へ通じる戸が空いていてベッド脇の机にパソコンが見えた。
「春奈さんは、パソコンはお使いになりますよね?」と飯沼が訊く。
「えぇ仕事でもプライベートでも使いますが、それが?」
「色々な検索とかもなさるんでしょうねぇ……」飯沼が視線をパソコンに走らせて意味ありげに言う。
「あら、刑事さんもしかしてパソコンで何やってるのか見たいのかしら?」春奈が微笑んで言うが、目の奥に警戒心が蠢いているような気がした。
「えぇまぁ、見せて頂けますか?」
春奈が立ち上げてホームページを開いて「どうぞ」
ここは多少知識のある婦警に任せる。
……
「警部」婦警がそう言って画面を指差す。
そこには爆弾の製造についてのページが開かれていた。
後ろから覗き込んでいた春奈が「あぁ爆弾。……隠してもどうせばれるでしょうから言っちゃいますけど、私を振った男に爆弾でも送ってやろうかと調べたんです。でも、その内に私何やってんだって、バカらしくなって止めたんです。ですからその男生きてますよ。桂慎一郎ってキザな男。なんであんなの好きになったのかさっぱり……」
春奈は首を傾げる。
その企業名やサイト名、アドレスをメモして「あぁ済みませんでした。お返しします」
飯沼はそれで辞去した。
帰り道、近所で聞き込みをすると驚いたことに越中は春奈の周囲をうろついていたようだ。何人もが見覚えがあると言ってうす気味悪がった。
これだけ近所のひとが目にしているのに本人が知らないなんてあるんだろうか? 飯沼には疑問だった。
*
病室に静と丘頭警部が顔を出した。
「警部見舞いに来てくれたのか? 何回も悪いな」一心が素直に言う。
「ふふふ、それもあるようやけどな、桃子はんも警視庁の六日市警部はんも困っとるらしいんやわ」静の一言で分かった。
「あのボウガン殺人事件、まだ逮捕できんのか?」警部に目を走らせる。
「そうなのよー。あんだけ証拠並べられたら言い逃れ出来ないはずなんだけど…… ’俺は殺ってない’の一点張りなのよねぇ……」警部はほとほと困っているようだ
「ふーん、静、借りた調書見せてくれ」
もう一度見直すが「やっぱり、気付いたら夕方ってさ、十五時間か? 気を失うにもほどがあるだろう? それに頭に大した傷無いって言うじゃないか……」そう言った一心の頭の中で何かがピシッと弾けた。
「ちょっと待てよ……」
ふたりが一心の顔を覗き込む。
「警察が、証拠に基づいて散々調べて逮捕に手が届かないってことはよ、……逆を考えて見たらどうだ?」
「逆?」静と警部が顔を見合わせ一緒に首を傾げる。
「だから、桂の言う事が正しいと仮定したらどういう事実が考えられるかってことだよ」
一心にも確証は無かったが、難問にぶつかった時の常套手段の考え方だ。
「ってことは、何故、桂が十五時間も気を失っていられたのか? とか?」警部が半信半疑に言う。
「ほな、桂はんに若井はんのことを教えたのは山笠はんだとして、どうして山笠はんは違うと言いやしたのか? とか?」
ふたたび静と警部が顔を見合わせる。
「そうそう、そんな感じで捜査してみたら、なにか新しい事実が浮かんでくるかもよ」
ふたりが頷く。
「それとな、冷凍車借りたのは桂の疑いが濃いが、運転したのは誰なんだ? 警察で確認したのか?」
一心が問うと「えぇ監視カメラの映像に桂が写ってた」と警部。
「顔がはっきり見えたのか?」
「いや、服装……そうね。そこも逆の発想で、誰が桂の服装を着ることが出来たのか? ね」
警部の目の光が光度を増してきた。
「それでな、その映像と事件の関係者、男も女もな、全員の歩く姿、当然桂もな、動画撮って美紗に同一人の判定をさせてくれ。代々木公園で冷凍車から池まで荷物を運んだ姿が写ってればそれとも照合すれば、同一人の判定ができるから」
「レンタカー屋に来た人物の歩く姿の動画は手に入れてあるから早速やってみる。いつもながらありがとう一心。静も。今度お土産持って来るから」警部はそう言って看護師の静止も聞かず廊下をダッシュして行った。
「これで事件が進展するとえぇんやけど」と静。
「何か不安でもあるのか?」
「へぇ心美はんの写ったDVDまだ見つかっておまへんのや……市場に流れよったら心美はんどんな思いするか思うたら可愛そうでなぁ……」さすが我が愛妻気持が優しい「そだな、警察は探してんのかな?」一心が言うと「桃子はんもそない思うて探しはってる言うてましたわ」
「そうそう、帰ったら美紗に言っとけよ。いきなり仕事だって言ったらあいつへそまげるからな」
「へぇ分かってま」
それからしばらく談笑しながら、静の持って来た果物を頬張りお茶を啜っていると本庁の六日市警部がやってきた。
「やぁ一心さん。どうです具合は」気を利かせてなのか、頼みたいことがあるからなのか分からないが見舞い用の籠に果物を山積みにして持って来た。
「で、俺に何を頼みたいんだ?」一心がずばっと訊くと「ははは、やっぱりお見通しですか」と笑う。
「実は丘頭警部から話を聞いて、先ずひとつ一心さんに見て貰おうと思いまして……」
そう言って警部が小さめのパソコンを開いて「冷凍車の運転席の映像です。何か気付かれませんか? 自分も何か引っかかってるんですが……」
それは監視カメラの映像だった。何台も乗用車やトラックが通り過ぎて行く。
「次のトラックです」
見ていると箱型のトラックのハンドルを男が握っていて助手席は空だ。数秒で通り過ぎ次の同じようなトラックが写し出されると、警部が停めて「どうです? 何か気になりません?」
「もうちょっと進めて」一心が質問には答えずに言う。
警部は不思議そうな顔をするが、再スタートさせる。
「ふむ、そういう事か……警部、桂の身長は?」
意外な質問に警部は手帳を引っ張りだしてパラパラとページをめくり、「えーっと、百七十二センチです」
「関係者の中で一番大きな男は誰だ?」
……しばらく考えて「山笠さんかな?」と警部。
「何センチ?」
「恐らくは百八十はあると思います」
「ちょっと頼みがあるんだが、桂慎一郎と山笠颯太、湖立辰馬、赤井川創語とあと関係者誰いた?」
「根田健ですが札幌にいます」
「じゃそいつはいいや。取り敢えず、トラックの運転席に座らせてこれを写した監視カメラで写して持って来てくれ。急がんけど今日中な」一心は半分冗談で急がせたのだが、警部はそうは受け取らなかったようで、丘頭警部と同じく看護師の制止を振り切って猛ダッシュで帰って行った。
「一心? 何かおましたんか?」
「あぁこの映像を見てくれ」そう言って桂が運転していると思われるものと、次のトラックの映像を見せて「何か気付かないか?」
「……せやなぁ……目ぇの位置がバックミラーと大分違う様な気ぃしますなぁ」と静。
「さすが我が愛妻だ。そこだよ、身長が違うって事だ。目の高さがミラーの高さくらいずれてるから、十センチくらい身長が違うんじゃないかな。そう思ったんだ」
「それで何人もの男はんの映像を比べはるんでんな。さすがやわぁ」静がにこにこして言う。
一心はこの笑顔が大好きだ。
病院の夕飯を食べ終えてうたた寝をしていると、どやどやと喧しい連中が入って来た。
「一心さん、撮ってきました」その声の主は六日市警部だ。
「早いな。さすがだ」
「えぇ手分けして一気に撮りました」
その持って来た映像を見ていて「えーっ! 車を何台借りたんだ?」思わず叫んだ。
「はい、人数分。その方が早いので」
警部が自慢げに言うが、一心は呆れた。
「じゃ、先に目的を言うな。監視カメラが被写体を写した映像では身長差で目の位置が変わるんだ。そこに注目して見てくれ。始めに実際の映像だ」
一心が指示して撮った映像を流してもらう。
……
見終わって「どうだ。実際の映像と同じ目の高さだったのは?」
「山笠だ」警部が言ってみんなが頷いた。「よし、山笠を任意で呼べ!」警部が部下に命じた。
「そういうことだ。だから、冷凍車を借りたのが桂だとしても運転していたのは山笠ってことだ。どういう事かは言わずもがな。だな」一心が警部に視線を送ると警部は頷いて「おい、行くぞっ!」
一心に頭を下げて気合を入れて出ていった。
一週間後、静と丘頭警部が仲良く見舞いに来た。一心の好物の串団子を手にしている。
「やっと動画撮れたわよ。今、美紗のところへ置いてきた。三、四日欲しいって言ってたからその頃報告に来るわね」
一心は串団子を頬張りながら聞いていた。
「冷凍車を運転してたの山笠って奴だったから、恐らく池に入れたのもそいつだろう」
「いまのところ山笠は知らぬ存ぜぬを通してるけどね」
丘頭警部の表情も気持ち明るい。
「そらそぉと、釧路から始まって、代々木に中野、ほんで品川の殺人事件な、赤井川創語の小説にではる方法が続きはるのはなんでやろう」静が言った。
確かにそこに何か意味がありそうだが、実際浮かんでいる容疑者は、釧路は根田健、代々木は桂と山笠、中野は佐久間で品川は不明となって同一人物による連続殺人と言う線は先ずないだろう。
「たまたまじゃないか。その作家人気あるからさ」一心はそう捉えていた。
三日後、静が来て代々木公園の池に荷物を運びこんだのは山笠だと美紗の歩行照合システムで結果が出たと言った。
過去にそのシステムは裁判でも証拠として採用されているので信頼性は高いのだ。
これでほぼ決まりだ。
「ってことはな、山笠が桂に動画を撮らせ、若井のところへ持って行けば売れると言ったという事だろう。だが、何故かな? 心美が若井の恋人だと言う事は山笠は知っていたはずだから、山笠は若井と桂を揉めさせようとしたんじゃないのか? ひょっとして若井がボウガンを持っていることを知っていて、桂を若井に殺させようとしたのかもしれないぞ。静、その辺丘頭警部に話して見てくれ」
「なるほどでんな。恐ろしいこっちゃ。帰ったら桃子はんに伝えますわ」
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