第11話 代々木公園

 桂は幾度も動画を見直し一時間もの二本に編集した。

見ているうちにまた心美を抱きたいと思うようになった。

ひとり思い出してにやつく。

約束の時刻に間に合うように家を出た。寒い日だ。雪でも降るんじゃないかと思えるほどだ。

銀座線に乗って上野駅まで行く。厚手のコートを着ているひとばかりで余計混雑に拍車をかけている気がする。それから山手線で大塚駅へ。多くの乗客に押し出されるように降りタクシー乗り場に並ぶ。少し待たされて運転手に行先を告げるとちょっと嫌な顔をされた。近いからだろう、そう思っていると動き出して五分足らずで着いた。

 アパートの二階へ上がり表札を確認してゆく。

一番奥の部屋に「若井」とあった。

インターホンを鳴らす。

「電話した桂です」

カチャッと音がしてドアが開いた。

「あんたアダルト動画買って欲しいって言ってた人?」若井と言う男、無精な髪に薄汚い服装だ。こいつ路上生活者か? 桂にはそんな風に思えた。

「えぇ知り合いからお宅が買ってくれるって聞いたもんで」

「何ちゅう人よ?」

「山笠。山笠颯太って言う作家助手なんだけど」

「ふーん、知らんな。それにそもそもそんな商売やってないぜ」若井がしれっとして言う。

「えっでも、電話したとき分かったって言ってたよね」

「おー、一応な。どんなAVだか見たくてよ」

「じゃ買わないんだ」桂は腹が立ってきた。売買やってないならそう言えば他を当たったのに、そうだと言うからここまで来たのに……。

「いや、見てからだな。まぁ見せてくれや」若井はそう言って桂を室内に招き入れて缶ビールをひとつ桂に差し出した。

せっかくここまで来たんだからまぁ良いかと思って桂はメディアを渡して座った。

細かな編集をしていないからいきなりラブホの部屋が写し出された。

そして女が手を引かれて現れ絡みが始まる。

やがてベッドに寝かされた女が表情を変えてゆく。そしてその顔が大写しになった瞬間「心美!」

若井が叫んだ。

「おまえどうして心美を写してんだ?」

「あー知合い? 作家の浮気相手でさ、奥さんに浮気ばらすってちょい脅して連れ込んだんだ。可愛い女だろう」桂は自慢げに言ったのだが

「俺の女と勝手にやりやがって、ましてやそれをアダルト動画とか言って、どうして俺のとこに持ってきたんだ!」

マジで怒る若井を見て「またそんな事言って、ただでこれを手に入れようったってそうは行かないぜ」

桂は睨みつける。「それに、二作目はもっと凄いぜ。それ見て買ってくれや」

「ばかやろう! 俺の女だって言ってんだろうがっ!」

若井が桂に掴みかかる。

「だから待てって」そう言って桂は二作目へ早送りする。

画面にSMに使う椅子が正面にあって、横の棚にはいわゆる大人の玩具が並べられている。SM道具もだ。

突然、女が床に転がされ、衣服を破られ椅子に拘束……

「この女はこういうの経験無い女でよ。怖がっちゃって、興奮させるんだよなぁ。終わってから、もうおまえの前には姿を見せないって言ったけどよ。この女なかなか良いんでまた楽しませてもらおうと思ってんだ。へへへ」

桂が言い終わらないうちに若井が殴りかかってきた。

パンチを顔に受けひっくり返った。

「何すんだ!」桂も少々喧嘩には自信があった。

殴り返す。

若井が吹っ飛んで食器棚に激突して食器類が落ちて砕け散る。

画面では心美が鞭で打たれ悲鳴を上げている。

ちらっとそれを目に止めた若井が壁に飾られていたボウガンを手に矢をセットする。

咄嗟に桂は頭から若井の腹めがけて突っ込んでボウガンを取上げようとし押し倒す。

若井はすぐに起き上がって桂に向けて矢をセットし引き金に手を掛けようとする。

桂は慌ててボウガンを上に弾き勢いで若井を押し倒した。

若井が倒れた上に若井の手を離れたボウガンが落ちて、若井の腹に矢が当たった状態の上から桂が倒れた。

弾みで矢が飛び出して若井の腹に刺さる。

ギャッと若井が呻く。

桂はやばいと思い、急いで立ち上がる。矢が若井の腹に深々と刺さっていて若井は矢を握ったまま目を見開き動かなくなっていた。

桂は慌ててメディアを外して部屋を出ようとしたが、いきなり足首を若井に掴まれ転倒し開いていたドアの角に頭をぶつけた……。

 

 

 

 一月二十八日、東京の代々木公園の南池に人が浮かんでいると管理人から通報があって、警視庁の六日市圭司(むいかいち・けいじ)警部が急行すると腹に矢の刺さった遺体が池の傍に横たわっていた。

ひと目でそれが死因だと分かった。

朝早くに池に氷の大きな塊が浮かんでいたと言う証言と、衣服の所々に細かな氷が付着していたという事を考え合わせると、遺体を氷で冷やしていたと考えられます。

とすれば死亡推定時刻の特定は難しいのですが、恐らく二十六日の午後六時から二十七日の午前零時の間と思われます。

また、身元は所持品が無くまだ分かっていません。

夜間のうちに何者かが運び込んだと思います。

鑑識からそんな報告を受けた。

 

 翌日の報道各社は身元不明の二十代から三十代と思われる男性の遺体が発見されたと発表した。

その発表をテレビで見たと言う数組が警視庁を訪れた。

遺体を見せるとみなかぶりを振り、ホッとしたような、残念というような表情と言葉を残して帰って行った。

日中にもぽつぽつと来庁者はあったがみなはずれだった。

しかし、夕方六時半過ぎに来庁した若い女性が遺体を見た途端「碧人!」と叫んで泣き崩れた。

担当刑事から報告を受けた六日市は女性を会議室へ呼んで話を訊いた。

女性は桃川心美二十八歳と名乗ったが、泣きが激しく話は要領を得ないものだった。

取り敢えず、被害者は若井碧人という三十八歳の豊島区北大塚に住む無職の男性だと分かった。

二十六日の夕方、仕事帰りに電話で話したのが最後だったようだ。

死亡推定時刻からみて最後に生存を確認したのは桃川心美になりそうだ。

実家を聞き出し一報を入れさせ、心美が合鍵を持っていると言うので帯同させ北大塚の被害者宅へ急行した。

同時に管轄の大塚警察署に一報を入れた。

 

 六日市が現地に着いたときには既に大塚署の有村陽子(ありむら・ようこ)警部が待ちくたびれた様子で迎えてくれた。

「お待たせしたね。警部」片手を上げて挨拶する。

「いいえ、遠いとこご苦労様です」彼女なりの皮肉を込めた言いようだ。自分に任せておけとでも言いたいのだろう。

 ドアの前に立ちノブを回すが施錠されているようだ。有村警部にも確認させる。

鍵を開けさせて心美には「ドアの外で待っててください」そう言って鑑識と六日市らが入室する。

かなり激しく争ったような跡が残されている。

テレビの電源は入りっぱなしだが、何も映っていない。鑑識にその状況を調べさせると

「警部、どうやらDVDを観ていたようですね。ですがDVDが入っていません。犯人が取り出して持ち去ったんじゃないでしょうか?」

六日市より早く同じ警部の有村が反応する。

「何を見ていたのかしらね? 殺人までして……それが争った原因かもしれないわね」

そこへ若い刑事が「警部、ちょっとDVDプレイヤーをいじって良いですか?」と口を出す。

「ん? 鑑識さんどうだ?」ここは六日市が先に言えた。

「はい、こっちは良いですよ」

「おぉ触って良いそうだが何すんだ?」六日市はAV機器に詳しくないので訊いた。

「えぇ最近のは、観ると自動で内臓のHDに録画するものが多いんですよ。容量がテラなんでその辺気にしなくても良くなってきてるんで」

六日市は、「HD」? 「テラ」? さっぱり分からないので、有村警部に視線を向けると「あたしもさっぱし」そう言って肩をすぼめる。

「そうか、やって見てくれ」それでそう言って誤魔化した。

画面に色々なメニューが表示され、時系列的な表が出てくる。矢印が動いて最新のものを指定したようだった。

すると画面に若い女性と男が現れる。

「あれ、この女性、桃川心美じゃないですか?」見るより早く刑事の口が動いた。

「おぉそうだ。彼女AV女優だったのか」六日市はちょっと残念だった。可愛らしく感じの良い女性だったのでまさかと言う思いだ。

「いや、違いますね。男の顔が分からないですし、女性の表情を見て下さい。この顔恐怖してますよ」

「おい、外にいるから呼んで来い。鑑識さん女性を入れて良いしょ?」

六日市が叫ぶと、遠くで「いいっすよ」

「桃川さん、これをみて下さい」六日市はそう言って、動画を頭っから再生させた。

心美はみるみる表情が曇り、青ざめ、震え出した。

「おい、止めろ」

そう刑事に言ってから「桃川さん、事情があるんですね? 話して貰えませんか? これが若井さんが殺された原因かも知れないんです」

六日市は心美を椅子に座らせ自分も隣に座ってゆっくりと……と、思ったら有村警部に襟を引っ張られ立たされる。

「ここは女性だけにして……」有村警部が六日市に命令。

青ざめ震える心美の顔が今は恐怖に怯える顔になっている。

「これは警察だけが知っていることです。他へ知らせるようなことは絶対にありません。話してください」

有村が優しく話しかけている。六日市は少し離れた場所で聞いていた。

俯いたまま言葉を発しない心美にどう言ったら良いのか有村警部も考えているようだ。

……

ややあって「刑事さん……」

心美が俯いたまま有村警部に話しかけた。

「はい、何でしょう」有村警部は心美の方へ身体を向けて言う。

「私、浅草の書店で働いていて、彼と付き合ってました。……」言葉を短く区切って一言一言丁寧に心美が言う。

「彼って被害者ですね?」

心美はコックリと頷いて唇を一文字に結んで意を決したように顔を上げ、有村警部を真正面から見て「赤井川創語という作家さんご存知ですか?」

「えぇ知ってます」有村警部もそれに応じるように心美を真正面に見て答えた。

「私その方と一度だけ不倫しちゃって……」辛そうに心美が語る。

そして、心美はその後動画を撮影されるまでの経緯をとつとつと語った。

「そうですか。でも被害者はそんな商売をしていなかったんでしょう?」

「はい」

「それと動画に写し出された女性があなただったので憤慨して、そこに放り出されてしるボウガンを持ち出して 

、……でも、どうして冷凍したのかしらね?」

六日市も聞きながら心美の挙動に注視する。

「えっ冷凍ですか?」

「えぇテレビでも遺体が冷凍されていたと言ってたと思いますが?」

「そうなんですか、私、動転しててそこには気が付きませんでした。でもどうして冷凍なんか……」

見る限り心美は本当に知らなかったようだ。

「大抵は死亡推定時刻を誤魔化そうとして冷凍するんですけど、その場合は遺体を隠さないと意味がないのよねぇ」

「はぁそういうものなんですか」

「いや、ありがとうございました。あとはその桂慎一郎と言う男に事情を訊いてみます」

有村警部がそう言った時、六日市に電話が入った。

……

「わかった」六日市はそう言って電話を切った。

「広島から被害者のご両親が出てきたそうです」

六日市の言葉を聞いて心美が言った。

「あっじゃ私も一緒に行って良いですか? ご両親には一度お会いしたことあって、……」

「良いでしょう。パトカーで送らせます」

六日市は刑事を呼んで本庁まで送らせ、両親からも話を聞くように指示する。

「じゃあたし署に戻るけど、ご両親の話し後で教えてね」有村警部はウインクをして手を振って部下を連れ部屋を出ていった。

 ――可愛くない! 六日市は心の中で叫んだ。 …… 有村陽子警部は浅草署の丘頭桃子警部とならんで、二大女帝と仲間では言っている……確か、寅年と猪年だったはず。こっちはうさぎ年生まれ、叶うはずもない……

 その後何気なくベッドの横に置かれている机に目をやると「赤井川創語」という名前が目に飛び込んできた。

近づいてその本を見るとタイトルには「ボウガン殺人事件」と書かれていた。まるで今回の事件を言ってるようだった。

 

 六日市は、桂慎一郎の勤務する出版社に数名の刑事を連れて訪ねた。

受付が「本日はお休みを頂いております」と言う。

何時から休んでいるのかを訊くと、昨日からだと言う。

六日市は逃亡の恐れもあると思い、自宅を訊いて浅草のアパートの近くにいるパトカーに緊急を知らせる。

 

 六日市が到着したときには三台のパトカーが赤色灯を回して停まっていた。

……

状況を訊くと、桂は部屋に居たと言う。

「桂さん、警察がここへ来た理由分かりますね」

「はい」桂はそれだけ言って俯いている。

「本庁でお話を……」六日市が言いかけると、「僕じゃない、知らないんだ……気付いたら居なかったんだ……」

六日市は、この期に及んでみっともないと思っていた。

警視庁に戻ると被害者の両親はまだ遺体の傍を離れようとしないらしかった。

六日市が行ってみると、

「広島へ連れて帰ります」そう心美に話をしているところだった。

「私も葬儀には出たいので……」今にも倒れそうなくらい悲愴な面落ちで心美が言う。

「……是非、……」母親も言葉を詰まらせる。

そして六日市に向かって「こんな可愛らしい彼女ができたって、年前に言ってたばかりなのに、……これで私らも孫の顔が見れると思ってたんです。……なのに……勝手に仕事辞めたって聞いて……」と母親。

「すみません。私傍にいながら……」心美が頭を下げる。

「いえ、あなたのせいじゃありませんよ。心配していたらこんなことに……」

「お察しします」六日市はそう言って、両親からまだ話を聞いていないと言う部下に会議室へ案内するように命じた。

 

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