第10話 待ち受けているもの

 山笠と話をした翌日、桂は浅草の書店の前に立っていた。

午後六時数人の女性が別れの挨拶をしながら社員用玄関から出てくる。

心美がひとりになって少し歩いてから「桃川心美さん」と後ろから声をかける。

振向いた心美に一枚の写真を見せて

「この先生との関係を奥さんに話しても良いんですが、そうなると奥さんがあなたの務めている書店へ乗り込んで先生の本を置かせない、なんて言いかねないきつい人なんですよ。それでちょっとあんたと相談してみようかなと思ってるんですが、付き合ってもらえませんか?」

写真の心美は、腰に手を回され創語先生にぴったりと身体を預けていてどう見ても愛人だ。

脅しは慣れていないが十分効果はあったようだ。

心美は青ざめてコートの襟を固く握りしめ、俯き加減で桂を上目づかいで見上げている。その表情を艶めかしくもあるなぁと感じる。

桂は先に歩き出した。心美は黙ってついて来るはずだとの確信がある。

腹ごしらえと思って時間を掛けずに力の付くにんにくの利いたラーメン店に入った。

多少込んでいたが二席は空いていて勝手に心美の分まで注文する。

心美はちらりと視線を桂に向けたが何も言わず出されたラーメンを啜る。

ビールを貰ってジョッキーを一杯だけ飲ませる。

「お酒はちょっと……」心美は言ったが、桂が顎で飲めと言うと渋々飲み干した。

緊張している上にアルコールが入って結構赤い顔になった心美の肩を抱いて店を出て、ラブホテルに向かう。

歩いていると誰かが尾行しているように感じて振返ったが通行人が多く見当がつかない。気のせいか……。

決めていた部屋はまだ空室のままだった。

「黙って、言う通りにして貰う。嫌なら覚悟して貰う。どうする?」心美の顎を持ち上げてきつい言い方をした。

黙っている心美に「じゃ、そこに座ってろ」ソファを指さして担いでいた荷物を下ろして準備を始める。

「あぁそうだ、風呂にお湯入れてきてくれ」そう命じて三脚を立てカメラを先ずはベッドに向けてセットし録画を始める。

バスタブに落ちるお湯の音が響く。

風呂場のドアを閉めさせると、その音は随分遠くに聞こえ小さな滝音のようだ。

桂は心美をカメラの前に立たせてAVのように、いやらしい手つきでいやらしく見えるように心美の身体をまさぐりながら、ゆっくり時間を掛けて脱がせてゆく。

桂は自身がAV男優になったような錯覚を覚え演技にも力が入る。

心美をベッドに寝かせて、桂はカメラを手に持って恋人同士の絡みのようにしつつ、卑猥にみえるようなカメラ位置を考え撮影を続ける。もちろん心美の顔の表情や身体の奇麗な線を中心に、時折上げる心美の吐息を漏れずに収録したつもりだ。

心美が幾度か昇りつめ、桂も味わい尽くしたところで一旦カメラを止めた。

一緒に風呂にはいり身体を洗ってやり、桂の身体を洗わせた。

一休みして、バッグから安物の下着とブラウスとミニスカートを履かせ、これからやる内容を話して聞かせる。

ちょっと驚いたようで「私、嫌ですそんなことされるの……」

「これでもうあんたの前には姿を見せないからやってくれ。ダメなら……」

そこまで言って言葉を止めて心美を睨みつける。

心美の目に恐れが浮かび筋肉がぴくりと収縮する。

恐らく男の経験が浅く嘘やはったりは言えないのだろう、それだけ素直で真面目だという事だ。

先生や奥さんの絡みが無かったら自分の物にしたいくらいだ。

そう言う気持を振り切って「じゃ始めよう」と声をかけ、心美の返事を待たずカメラを固定して、心美をカメラ枠の外に立たせる。

「いくぞ!」気合を入れてカメラの録画ボタンを押し、心美の手を強引に引っ張ってカメラの前に転がす。

そして心美に襲い掛かりブラウスを破りスカートを引きちぎる。

この行為も同じものを二つ買って練習をしていたので引き裂くコツも習得済みだったが、さすがに生身の女にやると興奮するものだ。

下着姿にした後はSMチェアに用意されている拘束バンドで手足を固定して、それ用の道具を使って心美の身体を痛めつけ、下着をナイフで切って裸にし色々の玩具をすべて使い切る。

悲鳴を上げぶるぶると震える心美に容赦なく演技を続ける。

最高にリアリティのある映像が採れそうだ。先生に観せたら感動するんじゃないかと、ふとそんな思いが頭を過る。

が、その内桂自身気付いていなかったが、心の中にサディスティックな気持が沸々と湧いてきて、自分でも止められなくなり心美を思い切りいたぶった。気付かぬうちに雄叫びを上げながら心美の身体に挑んでいた。

突然、心美の全身から力が抜けて拘束具に吊るされる。

それを見て桂ははっとして我に返った。

心美が気を失ったようだった。

拘束を解いてベッドに寝かせる。身体中に赤いあざが出来ていた。

毛布を掛けて寝かせ、カメラ道具を片附ける。

時計を見ると十時を過ぎていた。

 

 しばらくして心美がむくっと起き上がる。

「目覚めたか。ちょっとやり過ぎだったかな? 身体中痛いだろう」

心美は毛布を抱きしめ青ざめた顔で頷いた。

「もう、終わりだ。風呂でも入ってすっきりして来い。俺はビールを飲んでるから。ひとりで入りたいだろう?」

心美は小さく頷いて身体にタオルケットを巻き付け桂の前を小走りに過ぎる。

心美は、浴室内が丸見えなことに気付かないほど自失しているようだ。心が壊れちゃったかもな。

髪の毛から足先まで二度、三度と洗って湯船に浸かった心美は泣いていて湯で顔を洗っている。

何度も何度も涙を拭う姿は可愛らしくもあり、官能的でもあった。

桂は興奮のあまり力が入り過ぎて全身脱力感に苛まれ、体力の限界を感じていた。

だが、帰ってから動画を編集することに思いを馳せるとまた力が湧いてくるような気がする。

風呂から上がって着替えた心美に冷蔵庫のお茶を差し出す。

心美はごくごくと半分ほど一気に飲んだ。

「痛かったか?」訊くと返事をせず涙を流した。

「SMの経験とか無いのか?」

やはり返事をせず泣いている。

動画を売る話はしなかった。後からAVに出ていることを誰かに訊いた方がショックは大きいだろうし、赤井川創語の反応が楽しみだ。

そもそも俺に言い寄ってこない女が悪いんだ。

「俺って以外に悪なのかも……」密かに思いひとりほくそ笑む。

 

 翌日、動画を眺めまあまあの出来だと思い山笠から聞いていた若井と言う男に電話を入れた。

二十六日の午後七時と指定され行くと返事をした。

 

 

 

 心美を尾行していた山笠は、防犯上監視カメラが設置されていると説明するホテルの従業員を、「法令違反だ!」と脅して心美と桂の部屋をずっと見ていた。録画もされていて、それを別媒体で貰った。

闇のアダルト動画にラブホで男女の絡むものが多くあるが、どこのホテルでも秘密裏に監視カメラを設置して録画していると知れば何の不思議も無い。

怯え続ける心美をアパートまで尾行して沙希に報告するため赤井川宅へ向かった。

沙希に媒体を渡して一部始終を説明した。

説明途中で、突然、

「心美が危険な目に合いそうだったら助けてって言ったろうがっ!」

目を吊り上げて灰皿を投げつけられた。飲みかけのコーヒーカップまで飛んできた。

沙希が手当たり次第にものを投げつけてくる。

そんな沙希を見るのは初めてだった。

「尾行以上のことはこれまでもしてなかったので……申し訳ありません」一応頭を下げた。

 

 翌朝、沙希に呼ばれた。

また、怒鳴られるのかと思いつつ、沙希の寝室に入った。

沙希はベッドに座っていて、山笠にドレッサーの椅子を持ってここに来いと言う。

ナイトガウン姿の沙希の目前に座るとさすがにどきどきする。

沙希はそんなことは意に介せず次の指示を出した。

桂を尾行しその動画を取戻せというものだった。

山笠は躊躇した。

窃盗、強盗という言葉が頭を過った。

断ろうかとも思った。いくら助手だからと言って犯罪まで……。

しかし、小説家希望の山笠が収入もなく公園でぼんやりしている時沙希が声を掛けてくれ、事情を話すと丁度ひとが居なくて困ってたと言って売り出し中の赤井川創語の助手として雇うと言ってくれたのだった。

その恩義を思うと断れなかった。

それにしょっちゅう先生から怒鳴られ、しゅんとしている山笠を元気づけてくれたのも沙希だった。

沙希がいなければとっくに首になるか辞めるかしていただろうと思う。

ひと回り上の姉のようだった。

どうしようか迷ったが、取材ノートに書いた。

 

 

 創語は山笠の書いた取材メモを見て驚いた。

そして土曜日の午前中に心美を呼び出した。

心美はコートの襟を確り握っていて怯えが見える。

創語は前回の事を思えば致し方のない事だし、桂とのことを考えると当然かも知れない。

しかし今日一日が過ぎればそれも消えるだろう。いや、消してやろう……。

 始めに普段着を買ってあげると言って心美の良くいく店へと向かう。

あれこれ迷っているようなので、全部買ってあげた。

そして下着を買う店を訊き出して「下着も買ってあげるから、服と同じ数だけ買っておいで」

そう言ってカードを渡して、「あそこのカフェでコーヒー啜って待ってるな」そう言い残してさっさと歩き出した。

心美は呆気に取られたようだったが、店内へ入って行った。

サンドイッチを食べて待っていると、心美が笑顔一杯に袋を高々と掲げてカフェに入って来た。

「ありがとうございます。こんなに沢山買ったの初めてです。お店の人もびっくりして ’これ全部買うんですか’って訊かれちゃった」如何にも嬉しそうにしている。やはりこの娘には笑顔が似合う。

 

 心美もパスタを食べてからコーヒー啜っている。

「今度は靴だ。いつもは何処へ行くんだ?」創語が訊いた。

「えっ先生、もう良いです。これ以上は……」心美の顔から恐れがやや薄れ普段の自然な姿が見え隠れしてきた。

「いや、心美はわたしの子供みたいなもんだ。うちには子供いないから、たまに親の真似をしたいだけなんだ。我儘言って申し訳ないが、買わせてくれないか?」創語は頭を下げた。

「えっ、い、いえ、そんな先生が頭下げるなんて……そんなに仰って下さるなら品川の靴屋にいつも行くんですけど良いですか?」

「おぉ良いとも」

創語が両手に一杯紙袋をぶら下げてタクシーを拾う。

 その靴屋は若者で一杯だ。人気店なんだろう。

「服装に合わせて選ぶんだよ。だから五足は要るな」

「えっそんなにですか?」

「おぉそんなにだ」言って笑うと心美も笑った。

ホテルの時とは大違いだ。あんな真似をしてしまって、お詫びだとは言えないから年寄りの気まぐれとして買わせた。

その店を出た時にはふたりとも両手に一杯の荷物になってしまった。

「これじゃ、もう買い物出来ないな」と笑う。

「もうこんなに。ありがとうございます」心美も笑う。

「いやーまだだ、あと化粧品が残ってるし帽子もまだだ。だが、持てないからちょっと預けて行こう」

創語はタクシーを拾っていつも利用する高級ホテルの前につけた。

途端に心美の表情が暗くなる。

それにはたと気付いて「心美ちゃん、荷物を預けるだけだからこのまま待っててくれ」

荷物を全部持ってフロントへ行って預けて戻る。

「さてと、化粧品は?」

……

 

 すべての買い物が終わったのは午後六時近かった。

「腹減ったな。心美は何食べたい?」

「いえ、もう沢山……」

心美が言いかけるのを遮って「今日は、寿司にしよう。嫌いじゃないだろう?」

「えぇまぁ、好きですけど……」

「なぁ俺を親だと思って甘えてくれないか? 親の気分を味わいたいんだ。小説のためにな」

「小説」と聞いて心美の戸惑いが晴れたようだった。

「はい、分かりました。お父さん」心美は冗談で言ったのだろう。

だが、「お父さん」と言われて思わず涙が出てしまった。気付かれないように拭って、「良い響きだ。お父さんか……」

寿司に天麩羅をつけた。

心美は烏龍茶を、創語はビールを飲んだ。

心美は気分が高揚していて口数が多くなってきた。一層可愛く感じる。

あっと言う間に八時になってしまった。

「最後は俺に付き合ってくれ」

そう言うと一瞬心美の目が曇ったが、創語は笑顔で席を立ってタクシーに乗る。

会話の中で心美が欲しいと言っていた縫いぐるみを買いに寄った。

大喜びで抱っこする心美は本当に可愛い。

荷物を預けたホテルに着くと、また不安げな顔をする心美。

創語は部屋のカードを受取って「さぁおいで」と先に歩く。

無言になった心美は心の準備をしているのだろう、静に後をついてきた。

部屋を開けると「わぁ素敵なお部屋」あちこちをきょろきょろ見回して喜んでくれた。

「風呂も大きいし部屋も広い、それより窓から見る夜景は素晴らしいだろう」

「えぇ……でも、先生、ここで私を……」不安げな心美に「いや、俺はこの後約束があってな、他へ行かなくっちゃいけないんだ。だから、心美はひとりで泊まってくれ。夜食を十時に予約してるから」

心美は拍子抜けしたような表情をする。

「心美に彼氏いるんだろう? ここに呼んでふたりで楽しめば良い」

一層驚きの表情をする心美。

「お父さんとして、できるだけのことをした積りだ。後は自分でな。荷物は明日までフロントに預かるように言ってあるから、帰りに忘れずに持って帰るんだぞ。ひとりじゃ持てないかもしれないから、やっぱり彼氏呼んだ方が良いかもしれないぞ。まぁ任せるがな。ははは」

創語はそう言って帰りのタクシー代をテーブルに置いてホテルを後にする。

心美はドアのところで笑顔で手を振ってくれた。

 

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