第3話 策略
友池佐知は千葉市出身で某有名大学へ入学して以来浅草で暮らしてます。
佐知は中学時代から恋愛に忙しくて告ったり告られたり、二股三股は普通だったわ。初めての経験もその頃だった。
そのせいか大学生になってからは「セクシーだね」とか「そそられる」とか良く言われるようになったのよ。
《日本文庫版出版(株)》に就職するときにも面接官から誘われて驚いたけど、就職したかったのでお決まりのコースで内定の確約を貰っていたのよ。今から思えばその面接官は今の専務だった。呆れるわよねぇ。
佐知はそんなだから女子社員からの評判は最悪なのよ、直接「ひとの恋人に手を出すな」とか「不倫を奥さんに言いつけてやる」とか言われることもあるけど、気にしないの。
だって誘ってくるのはその男の方だから。
最近社内であの桂慎一郎と佐知の二つ後輩の佐久間春奈(さくま・はるな)が夜デートしていたところを見たとか言う噂があちこちから聞こえてくるのよ。
桂は赤井川先生からも嫌われていて、恋の対象なんかには絶対ならないタイプの男なので佐知が取って代わろうとしているのよ。
第一ちょっと二枚目だからって女から言い寄ってきて当たり前という奴だから好きじゃない。
一方相手の春奈はスリムな美人だというのは認めざるを得ないわ。が、しかしよ、性格が悪い。なんせしつっこいのよ……そうねぇ、きっと殺されたら幽霊になっても復讐する女と言ったら良いかしら。
そんなでも男がいないと不安なのか支えてくれる男を欲しがるタイプなのよ。
佐知の好きじゃないタイプの女ね。
それで、悪意を持って桂にモーションを掛けることにしたのよ。――ふふふ。……
噂好きの女に「春奈が大学時代に下ろしたこと有るらしいよ。それでもう子供産めないらしい。それが証拠にスリムなのにお尻が四角いでしょ、あれって子供ができた証拠らしいわよ」
とか「こないだ駅で春奈見かけて声かけようかと思って後追ったら、駅の傍の消費者金融のATM並んでるでしょう。そこ梯子してんのよびっくりしたぁ。あちこちからキャッシングしてるって事でしょう。金使い荒いんだわきっと……」と言った具合に喋る。
その二日後には、給湯室に女数人が固まって佐知の言ったことをそのまま喋っている。
佐知はほくそ笑んでその場を離れ、その噂を桂に春奈と付き合ってることを知らないふりをして喋ると、嫌な顔をされた。
「ごめんなさい。噂話嫌いだった? 私彼女のことを結構気に入ってたけどちょっとショックだったもんだから誰か噂話をしないような人に話したかったのよ。ごめんなさいね」
そんな風に襟を少し開けて上目使いに言って、軽く桂の腕を掴んでからその場を離れる。
「そうなんだ、佐知さんはどうなの?」少し歩きかけた佐知の背中に話しかけてきた。
「えっ、どうって……言われても、そんな一言では話せませんよ。ふふっ」
少し大げさにお尻を振って立ち去る。
これで仕掛けは十分、二、三日以内には声を掛けてくるはず、と踏んだら、早くもその日の帰り、彼からSNSで誘いがきた。
予定より早いけどオッケーと返したわ。
待ち合わせて居酒屋からスナックへ流れる。桂みたいな男はここまで来たら次はホテルへと考えているはずよ。
佐知は時計を見て「あら、もうこんな時間、帰んなくちゃ」と仕掛ける。
桂は驚きを隠して「随分早い門限なんだね」と言いながらどう口説き落すかを考えているようよ。
この時間になると男は必ずホテルへしけ込むことしか考えないものなのよ。喋りたいなら休みの日の昼間公園とか遊園地とか何かを観に行こうとか誘うはずでしょう。
「今日は色々お話出来て楽しかったわ。また誘ってください」
佐知がこの台詞を吐く前には、先ず居酒屋で春奈を散々持ち上げる。そうすると今目の前にいる女を何とかしたい男は「いや、そんなことは無い。君の方が……」と喋るはずなのよ。
スナックへ行ったら少し酔ったふりをして男の身体を必要以上に触ったり、ミニから太ももまで露わにしたり、胸元を覗かせたりして男の欲望を散々沸き立たせておくのね。
こうすることで男はしつこくホテルへ行こうとするやつもいるが、桂のように気取った奴は、それを言えないから「次は絶対ホテルへ連れ込んでやる」と決心を固くするので女が優位な立場になれるって訳。
思った通り、週末、桂からSNSで誘いがきたわ。ホテルへ早くいきたい彼は夕食へ誘う。ね、言った通りでしょう。
ちょっと気取ったレストランでコース料理をご馳走してくれた。ワインも美味しくて二杯、三杯と飲んで酔いも回ってくる。
そこはホテルの最上階で夜景が綺麗で有名な場所なんだけど、佐知は別の男と何回か来て夜景も見慣れた場所だったのね。
反って桂の方が夜景に感動して「綺麗だ。綺麗だ」を連発した後で「でも、佐知の方が綺麗だ」
百人ときたら間違いなく百人が言う台詞を聞かされた。
が、今夜は初めて聞くような振りをして喜びを満面の笑みで表して桂を喜ばせる。
そして「私なんか酔っちゃったみたい、少しだけ横になりたい」
言いつつ桂の表情を見ていると、これ以上ないくらいに目をぎらつかせ、まるで中年のおじさんが美味そうな餌を目の前にしてむしゃぶりつくような浅ましさ一杯! こいつもてると思っていたが意外に女に不自由してるのかと思わせる。
腰を抱かれて、ダブルの部屋に入った。
ドアの閉まる音のする前にいきなり唇を奪われる。
やはり飢え切っている中年のおじさんのべろキッスだ。
吐きそうなくらい具合が悪い。「うわーっ、気持悪っ! さっさと終わらせてぇー……」心で悲鳴をあげる。
女の扱いに慣れていないのか、自分の快楽だけを追い続けるダサい男。
「桂の耳元で、春奈と付き合ってるって教えてくれる人がいたの。ホント?」
耳に息を吹きかけながら囁きかける。
「いや、もう別れた。今は佐知しかしない」
誰もホテルで絡んだだけで、付き合うなんて一言も言ってないのに勝手な奴。
泊まろうと言う桂だったが、「今まで身体の上を通り過ぎた男の中で最も下手。気持ち悪い奴」心の叫びを聞かせるわけにはいかないので、「早朝に母親が来るの」嘘を言って深夜に家に帰って、身体を隅々までゴシゴシと何回も洗った。
なかなかあのいやらしい臭いがとれなかったが、湯船に香水を入れて熱めにしてゆっくり入ると消えた。
辛い第一段階だった。
週明けに春奈に「話があるから夕ご飯一緒に食べない」と誘った。
怪訝な顔をした春奈だったが、何回もしつこく言って頷かせる。
ファミレスで夫々注文をし、「自分の分は自分で払ってね」
年下の春奈は「はい、その積りでした」しれっとして言う。
「で、話と言うのは、桂くんの事なんだけど、春奈今付き合ってんでしょ?」
どう答えたらいいのか考えているようなので「隠さなくっても会社中みんな知ってるから」
そう言われて「えぇ付き合ってます」と認めた。
「そう、それで今度彼と私付き合うことにしたから、あなた別れてね」佐知は極めて事務的に言う。
「えっ、どうしてそんなこと佐知さんに言われなきゃいけないんですか?」
思った通り春奈は自尊心を傷つけられ刺々しく言う。決して桂を信じていたのに裏切られた? と言う怒りではない。女って何故かそう言う事ってピピッて分かっちゃうのよねぇ。
「だって、彼はもうあなたとは別れたとベッドの中で言ったもの。私ははっきりさせておきたいだけなの」
春奈の目付きがさすがに変わった。
「彼と寝たんですか?」
「えぇ私酔っちゃって、そしたら強引に部屋に連れ込まれて……嘘だと思うなら今電話で訊いてみてよ。私は構わないわよ」
「……いえ、あとで訊きます」春奈は俯き唇を噛んで悔しさに、怒りに耐えているようだ。可笑しくなって声を出して笑ってしまいそう。堪えるのに春奈に見えないところで太ももを抓る。
「私は居酒屋であなたの事、仕事のことも個人的なことも褒めたのよ。そしたら彼はその一つひとつ全部否定したわよ。あなたのことあまり好きじゃないけど付き合ってたって感じだった。ふふっ」
春奈は腹が立って我慢がならなかったのだろう、バッグを持って立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。今、食事来るから食べてから帰って、置いてかれても私困るから」
これで、桂と春奈の間に埋めようのない亀裂が入ったはず。
春奈は口を真一文字に結んだまま食事が来るまで一言も発しなかったわ。
第二段階完璧っ! 心の中で<Vサイン>。
翌日、佐知は湖立課長に話があると言って外へ呼び出した。
昼食を食べながら
「赤井川先生にお願いしたら、私が担当になったら出版を任せても良いと言ってくれたんですけど」
「お前、女の武器でも使ったのか?」湖立がにやりといやらしい笑みを浮かべる。
「桂くんを嫌っているみたいで、それで話しているうちにそんなことになったんです。いやらしいこと言わないでください」
ちょっと脹れて見せる。
「そっかぁ噂じゃ、春奈の彼氏にお前が手を出したとかってなってるぞ」
湖立の顔がだんだん中年おやじのいやらしいそれになってきている。女ったらしのすけべな顔と言っても良いわね。
「ふふふ、あれは、桂くんが私にちょっかい掛けてきただけのことですよ。手を出したなんて恥ずかしいこと言わないで下さい」
「おいおい、社内で揉め事は困るぞ」
「あら課長だって奥様いらっしゃるのに、噂は聞いてますよ」
佐知が湖立の顔を下から覗き込むように見上げると、目があちこちへ走ってるからやはり後ろめたいことはあるようねぇ。
「おいおい、俺を脅すのか。それは噂、噂だからな」
湖立のその焦り方も不倫を認めている証拠。そう思うと急に可笑しくなって「ふふふ」と笑ってしまう。
「な、何笑ってんだ。そ、そうお前の担当の件な、ちょっと考えるから来週でも晩飯でも食わんか?」
「はい、ありがとうございます。いつでも声をかけてください」
佐知は頭を下げた。ついでに胸元からブラをちらっと覗かせる。
湖立から夕食に誘われたのはその三日後で、桂と来たホテルの同じレストラン。
男が考えることはみな同じなのよ、年は関係ないわ。
フルコースを楽しみながら湖立は頻りに佐知にワインを勧める。
見え見えの魂胆。湖立の顔はこの先に起きるだろうことを想像して興奮してなのか、ワインに酔ったせいなのか、赤ワイン色をしている。
色々と大人な雑談をしてから
「じゃ課長、私の担当の件はよろしいんですね」
念を押しておく。後々とぼけられても困るので、大人の会話を含めて何度か課長の名前を呼んでおいて録音しておくのよ、抜け目ないでしょう。
「あぁ良いよ。赤井川先生がうちに出版を任せると言ってくれたらという条件付きでな」
「わかりました。そこは先生には確認とってますので、会社から了解をもらったと話します」
「おう、良いだろう。じゃ話はこれくらいにして、ふたりで秘密を作ろうじゃないか」
にやけた顔で湖立が言う。
担当の話と寝る話は等価交換だと湖立の中では出来上がっているんでしょうね。
これまでも女子社員と寝たのもみんなそれなんだろう。いずれ浮気現場押さえて奥さんに密告してやろう。
「課長、そんなあからさまに言わないで下さいよ。返事ができません。これまでの女の子もみんなそんな風に迫ったんですか?」佐知は故意に目を吊り上げる。
「えっ、いや、君が余りに魅力的だからつい本心を丸出しにしてしまった。ははは」
情欲が零れ出そうな目をして湖立が言う。
「ま、そんないやらしい目で私を見てたんですか? 嫌だわぁ」
わざと口を尖らせる。
「じゃ、ゆっくり部屋で君を口説こう」と湖立。
「課長、女に ’これから君を口説く’なんて宣言して口説く人なんて聞いたことありませんよ。ふふふ」
佐知は思いっきり笑ってやった。
「ははは、そうだな」
「課長、なんか焦ってるみたい。そんなに私が欲しいですか?」
わざといやらしい目を向けて言う。
「こほん、まぁすっかり興奮させられたよ」咳払いをして湖立は席を立ち恥ずかしくもなく下半身を強調する。
「まぁ、……」
……
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