第1話 女との出会い

 創語は大学を卒業して出版社としては最大手の《日本文学出版(株)》に就職していた。

北海道の釧路にいる両親は大喜びで電話を寄越した。

「おめでとう。良いとこに入れたわね。頑張って。後は孫さえ見れたら思い残すことは無いわ」

母親の泣き笑いが目に見えるようだ。

大学の仲間達も夫々出版業界に就職ができていて祝杯をあげた。

「仕事の傍ら小説を書いて絶対賞とるから」口々に同じことを言う。

創語が殺害した友人の恋人の沙希(さき)だけは悲しげに

「私はしばらく休むわ。調子悪くて……」

仲間は生活を心配したのだが

「それは大丈夫。両親の残してくれたお金があるから余裕」

沙希は笑顔を見せるのだが、創語には寂し気に見えた。

 それでも仕事が始まると自分のことで精一杯で他人のことを考える余裕も無くなってしまった。

 

 その翌年だった。

創語は会社を辞めて小説一本にした。両親も仲間もみんなが反対もしたし心配もしてくれた。

自分としては、会社の仕事をしていたら作品を書く暇がないと感じたのだ。

それが功を奏したのだろうその翌年に辞めた会社主催のコンテストで優勝してみんなを驚かせた。

出版社の上司や同僚らも、まさかという顔をして驚きと喜びの賛辞をくれた。

内心ほっとした。両親を安心させられると思ったし両親からもそう言う内容の電話があった。

その頃沙希が復活してきて快気祝いの席を設けた。

「出遅れたけど私は浅草の書店で働くことになったので買いに来てね」と微笑む。

「そして小説も書こうと思ってるの。創語くんのようにコンテスト優勝を目指すわ」

沙希の元気な姿を久しぶりに見た。

その帰り道、沙希を送りながら付き合って欲しいと告白した。

沙希は戸惑ったような顔をして俯き考えているようだった。

「ごめん、急に。まだ彼の事忘れられないかもしれないけど、沙希のことが心配だし、好きだから傍に居たいんだ」

「……うん、彼の事は全然忘れられないし、忘れようとも思わないのよ。あんな不条理な別れなんて認められないもん。……でもさ、ひとりじゃ寂しいし、辛い時に聞いてくれる人傍に居て欲しいし、創語のことは嫌いじゃないし、そんな気持の私でも良かったらお付き合いしても良いわよ」

悲しみ、寂しさ、戸惑いなどを含んだような何とも言えない表情を浮かべ、潤んだ瞳を創語に向ける。

「おう、分かった。ありがとう。一歩一歩進もう」

創語は頭に浮かんだ最もかっこいい表現を並べた積りだった。

「えぇ余りかっこつけない創語の方が素敵よ」沙希が笑う。

「ははは、頑張ったのに……」創語は頭を掻いて付き合いが始まった。とは言っても始めは友達として、だ。

 

 その受賞を切っ掛けに複数の出版社が創語を訪ねてくるようになる。

中でも《関東文芸社出版(株)》の担当者の根田健(ねだ・けん)はまだ二十代で

「自分は小説家の担当を経験したことがないので、赤井川創語さんにはどうしても人気作家になって欲しくて応援する意味も込めて顔を出してるんです」

そう言って足繁く通ってきていた。

 その御利益があったのかどうかは分からないが、二年後に根田の会社が主催するミステリーコンテストで大賞をとることが出来た。

根田は狂喜のあまり涙まで流す始末。その涙に感動して創語は「すべての出版を根田に任せる」と言った。

根田は販売開始前から書店を数十店舗回って赤井川の受賞作品を置いてもらえるよう頼んで歩き、書店の平積みにした本が目立つようにミニのぼりを書店に配ったりして販売に力を入れてくれた。

お陰で本は予想を超えて売れ「赤井川創語」の名前が知られるようになっていった。

 それに気を良くして、創語は沙希にプロポーズをした。

「……私、まだ彼がここにいるの。それに……やっぱりダメ。ごめんなさい」

じっと考えていた沙希は胸に手を当てそう言って、走り去った。

創語は諦めきれなかった。なにか自分の知らない秘密があるのだろうか?

ぎくしゃくした感じが続いて、もう一度話した。

「彼も沙希が幸せになることを願ってるんじゃないの? 俺じゃ幸せになれない?」

沙希は俯いたまましばし無言、……いつの間にか涙を零していた。

「えっどうした? 何か悪い事言った?」

沙希はかぶりを振って

「違うの。彼がここに居るのは、思い出なの。……」

そう言って胸に手を置いて、また黙り込む。

「何か言えない理由があるってこと?」

沙希の頭が小さく上下に動いた。

「何? ダメならダメで、聞かせて欲しい。俺の事?」

「違う……私、……」そこまで言って顔をあげて「私できない……」と続けた。

「私できないの。二度と子供産めないの」

今にも死んでしまうんじゃないかと思えるほど顔色が失せ手が震えている。

創語には良く飲み込めなかったが、結婚しても子供は持てないという事だけは分かった。

両親の望んだ「孫」を諦めろという事だ。

「で、それがどうしたの?」

創語は結婚して子供のいない家庭なんて山ほどある。事前に子供ができないと知らないで結婚する人だって沢山いるはず。だからって離婚する? どうしてもだったら体外受精もあるだろうし、最悪は養子だってある。

それが結婚できない理由になるとは創語の頭の中にある記憶や知識を総動員してみたが思い当たらなかった。

それで訊いたのだった。

「えっ私子供できないんだよ」沙希は驚いた顔で言う。

「そう、聞いたよ。それで?」

「それで? って、良いの?」

「良いのって、子供できないのと結婚するのとは別だろう。違う? 俺が沙希と一緒になりたいと思った理由にそのことは入っていない」

「……」沙希は返す言葉を探しているようだが、唖然とした感じで創語を見詰める。

そして「そんな私で良いの?」と聞いてきた。

「勿論」創語は笑顔一杯で言った。

「わかった」

沙希は涙が零れそうなのを我慢して、笑顔を作って指輪を受け取ってくれた。

まだまだ稼ぎは一般のサラリーマンの水準に遠く及んでいなかったので、結婚式はふたりで区役所へ行ってサインして終わりにした。

 大学時代の仲間にはいつもの居酒屋に集まってもらって、

「俺と沙希が結婚しました」並んで報告した。

事前に情報が漏れていて大騒ぎにはならなかったが

「おめでとう」の嵐に沙希は終始泣いていたが、創語は嬉しさで興奮していて喋りが止まらなかった。

両親に報告すると「孫! 孫!」を繰返した。

 

 それからは年に一冊か二冊コンテストに関係なく出版できるようになった。

根田に「赤井川先生、この作品コンテストに出しませんか?」

と言われてたまに出品すると何かしらの賞を受けることもあったが、収入が安定してくると賞へのこだわりは以前のように湧いてはこなかった。

 創語は満ち足りた日々を過ごしていた。

が、取材ノートとネタ帳を手に入れた日から十年が過ぎようとしていたある日、尽きてしまった。

殆ど忘れかけていたが、沙希の恋人だった男が作った資料をもとにこれまで書いてきたのだった。

もちろん、創語が作った取材ノートやネタ帳もある。

あるがそれを使って小説を書いたことは無かった。つまり創語自身の力で書いた小説はひとつも無かったのだった。

ズシーンと重圧に潰されそうな気持になり、パソコンに向かって原稿用紙を開いても指が動かなかった。

昔なら、ペンが止まった、と言うことか。

 

 

 沙希は北海道の札幌で優しい両親の元で生まれて育ちました。

でも高校生の時その両親が共に交通事故で他界してしまいひとりぼっちに……。

母方の伯母を頼って浅草に出てきたんだけど、伯母さんのひとり娘との折り合いが悪くて、居た堪れずに高校を出てすぐアパートでひとり暮らしを始めたんだったなぁ。

でも家賃や食費に加え授業料もあるので、バイトを掛け持ちし大学の奨学金も貰ってどうにか浅草の北道大学文学部へ通う事ができたのよ。

 その大学生活は貧しかったけど恋をして幸せも一杯感じていたわ。

それなのに四年生の時その恋人を強盗に殺されたショックもあって、卒業間近から体調を崩し入院した期間も……一年間は仕事もできなくて親の残してくれた僅かなお金で生活費を賄っていたけど満足な食事なんかとても出来る状態ではなかったの。

でもね、その間もずっとひとりでいる寂しさは、大学の仲間とSNSで繋がっていることで紛れたし、助けられた。ホント友達って大事よねぇ。

翌年には体調も良くなり仕事を探して浅草の書店に契約社員として採用されたのよ。

それでやーっと真っ当な暮らしができると思ったわ。

大学の仲間も集まってくれて快気祝いと併せてそのお祝いもしてくれたのよ、久しぶりの仲間の顔を見て元気を貰ったわ。嬉しくて涙が止まらなかったなぁ。

貧しい暮らしをしていた割に体重が五キロ以上増えちゃって男子からは、「グラマーになったな」とか「母乳でもでそうだな」とか冷やかされたが嫌味には感じなかった。

反って久しぶりにからかわれるのが嬉しかった。

女子からは「もしかして中絶でもした?」とか「子供産んでたりして」とからかわれドキッとしたわ。女子の方が言う事は断然過激よねぇ。

でも沙希は「まっさかー」笑顔で返したんだけどね。

その会の中にいた赤井川くんの沙希を見る目に何か熱いものを感じてた。

帰り道、予想通り赤井川くんが送ってくと言って一緒に歩いてくれて、

「来週さ、スカイツリーに行ってみない? そして病院では絶対に出ない寿司食べに行かない?」

赤井川くんが舌なめずりして言うのが可笑しかったし、寿司と聞いて触手が動いちゃって、断ろうと思っていたのに、「良いわね」とオッケーしてしまったのお笑いね。

それから付き合いが始まって。告られて。プロポーズされて……。

思い返せば、殺された彼の思い出を胸に抱えながら、結果的には創語の言う事をみんな受けてしまっていたわ。

そうそう仲良くなっても「創語さん」と呼んでたら、「俺の事呼び捨てにしてよ」って言われてしまった。

心の中はまだ死んだ恋人のことで一杯で創語はまだお客さんだったのね。

悪いなぁって思って意識して呼び捨てにする様にしたのよ。

 理由を言ってプロポーズを断った時の創語の言った言葉よ、あんな事言うなんて信じられなくって何も返せ無くって、それから嬉しさと喜びが込み上げてきて、こんなに愛されてるのかって感じてさぁ、自然に涙が零れて受けてしまった。

ううん、後悔してるって意味じゃないのよ。何て言うか……そう、創語が、沙希の心の大部分を死んだ彼氏が占めているのに、それを分かっているのに愛してくれていることへの感謝かなぁ。創語のことは好きだけど大声で「愛してます」って言えない感じかな? 分かってもらえるかな……。

だから沙希は創語のために何でも精一杯してあげようと決心したんです。

女は尽くされて当然と思っていたけど、尽くしたいと心底思ったのよ。

ただ、殺された彼とのことは心の奥底に仕舞おうと思ったけど、決して忘れることは出来ないし忘れようとも思わなかったわ。

 

 理不尽な別れから五年が過ぎたけどその想いは変わらなかった。

そんなある日、書斎の掃除をしている時、机の上になんとなく見覚えのあるノートが置いてあったの。

ネタ帳のようだったわ。

どんな情報を掴んでいるのか興味が湧いて表紙を捲って愕然としたわ。

頭の中が真っ白になって金縛りにあったみたい。動けなかった。

時計の長針が何回転したのか分からなかった。

そして我に返ると、心臓がドキドキと激しく早鐘を鳴らし手が震えていたけどそのまま掃除を続けたわ。そして色んな思いや自分がすべきこととか……頭の中でぐるぐる回るの。回って回ってやがてある思いが浮かんだわ。

……

 その日の夕方根田が訪ねてきたんです。

夫はいなかったので、チャンスと思いリビングへ通して頼みごとをしたら、根田は「先生には内緒にします」と言って引き受けてくれた。

 

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