武士が何故お役人になったのか?

森下 巻々

『支配について』(岩波文庫)を読んで

マックス・ウェーバーの『支配について』を岩波文庫で読みました。「カリスマ」の概念に興味があり、読み始めたのですが、途中で、かねてからの或る疑問の答えをこの本から得ることができるのではと感じました。また、通読後に続けて『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー著、岩波文庫[白209-7])を再読したのですが、それによって両書籍の理解を相互でより深められるようにも感じました。


この文書では、『職業としての政治』(岩波文庫)で出てくる言葉も使用することになるかと思います。


僕の疑問についてですが、武士が何故お役人になったのか? というものです。戦国時代が終わって徳川幕府が成立すると、現場で戦っていた人たちも刀を差したままではありますが、お役所仕事をするようになった訳ですよね? 僕には、それが不思議で……。


さて、この文書で触れる本のタイトルは上記の通り『支配について』ですが、Ⅰの38頁に「支配の定義」という項があるので、そこからメモします。

《一人ないし複数の「支配する人」によって表明された意志(「命令」)が他者(一人ないしは複数の「支配される側の人たち」)の行為に影響を及ぼそうとする。そして実際に「命令」が行為に影響を及ぼす。このとき、社会的に意味がある程度で、あたかも支配される側の人たちが命令の内容を、命令が命令であるがゆえに自らの行為の基準にしたかのように(als ob)行為がなされる(「服従」)。……》


また、同じくⅠの60頁にある文章もメモしたいです。

《命令権力を要求し、実際に行使するが、この命令権力を他のリーダーによる委任から導き出すことがない、一人ないし複数のリーダーがいる。こうしたリーダーのことを、私たちは「主人」(Herr)と呼びたい。そしてすでに述べた仕方で、主人の特別な処分〔権〕に服する人員のことを、主人の「装置」と呼びたい。》(導き出すことがないの「ない」に傍点)


二つ目にある「装置」という言葉ですが、僕の理解では、つまり、主人の周囲にいてお役所仕事をする人たちです。周囲というのは、顔を合わせられるような近距離から移動に何日もかかる長距離まで幅があるとは思います。


そして、「装置」(「支配装置」という言葉と同じものとして考えて良いと思います)には性格があって、それが本の章節にもある「家産制」「封建制」「官僚制」ということだと思います。この本では、中世の日本等は封建制ということになっています。


「装置」とは別に、支配そのものの種類もあります。

「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」です。「伝統的支配」のときには「家産制」、「封建制」のときには「カリスマ的支配」、「官僚制」のときには「合法的支配」というようにきっちり嵌め込めるようなものではないようで、これらがナイ交ぜだったりすると思うのですが、こうやって書いてみるとそれぞれの対応が外れてもいないように見えます。


例えば、「合法的支配」というのは、合理的なルールにしたがって仕事をする(支配する)ということですから、まさに官僚制に特徴的と言えると思います。


さあ、こうして整理してきて、僕の先の疑問に答えを出したいのですが、残念にも、結局のところ、これがなかなか難しいです。Ⅱの105頁に次のような文章はあります。

《正しいことは次の点だけである。通常の王権というのは、継続的な構成体に転化した武侯の支配であり、権力に屈服させられている武装していない人びとを馴致化するための支配装置を備えている、というのがそれである。》


どこどこにこう書いてあるというよりは、本を読んだ僕の印象と言える解釈であるならば、軍事的奉仕も行政的奉仕も主人に仕えるということでは同じ意識だったということかなあ? と。しかし、これはマックス・ウェーバーの議論からは飛躍しすぎているように思います。


以上、尻切れトンボですが『支配について』(岩波文庫)を読んで、でした。

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