第2話 不思議な泉の精?と斉信の願い
「おかしいですね、道を間違えたのでしょうか。僧庵に行く途中にこんな泉があるなんて、聞いたことがありません」
泉の水面には氷が張っていて、一箇所だけ氷にヒビが入っています。どうやら斉信のムチは、泉の底に沈んでしまったようでした。
「おや?見たまえ則光、ずいぶん浅い泉みたいだぞ。ほら、水底の小石が近くに見えるだろう?おっムチも見えるぞ。これは手が届きそうだ」
「おお確かにそのようですな。では私めが」
則光が、泉に腕を突っ込もうとした瞬間、急に水面がザバァッともり上がり、氷をバリバリと砕き割って、水の中から唐風の不思議な衣装をまとった偉丈夫が現われました。
「なっなっなっ…」
「ヒッヒェ~~~ッ!」←怪鳥声
言葉を失う斉信と則光。
「何者か、と聞こうとしておるな。わしはこの泉の精であるぞよ。この静寂の中、春まで冬眠しておったのに、そなたらが急にジャマをするから目を覚ましてしもうたわ」
自称泉の精はブツブツ文句を言っています。
「私のムチが風に飛ばされて、貴殿の泉に落ちてしまったのです。眠りのジャマをして申しわけない。拾ったらすぐに去りますから」
「待てい。こういう場合には、お約束の立ち問答というものがあるのを知らぬのか」
泉の精はふところをゴソゴソ探って、何やら光るものを取り出しました。
「そなたが落としたムチは、この金のムチか、銀のムチか?それともこの普通の黒いムチか?」
「はあ?」
斉信と則光があっけにとられておりますと、泉の精は、
「これがおとぎ話クオリティというものじゃ。とっとと選ぶがよい。さあさあそなたが落としたムチはどれか」
とそっけなく言いました。
なにやら脅されている気がしないでもありませんが、斉信は素直に、
「私が泉に落としたムチは、その真ん中の、黒い革のムチです」
と答えました。
「よろしい。金めのものに目がくらまない正直者よ。ほうびに三つとも持ってゆくがよい」
金銀を持っていけという言葉に、隣で則光が歓喜の表情を浮かべましたが、
「あいにく怪しげなモノを頂いて大喜びするほど単純にできてはおりませぬ。大事に持ち帰ってよくよく見ると馬フンだったとか、屋敷に戻ったらムチが大蛇に化けて、絞め殺されてしまうとかがオチでは困るというものです」
なんと八百万(やおよろず)の神さまに口ごたえする斉信。則光の歓喜の表情が一気に真っ青になりました。
「最近の大宮人は口のきき方を知らぬとみえる。眠っていたところをふいに起こされ、おとぎ話のしきたりにのっとって問答すれば口答え。やり切れんわ」
冷ややかな目をして泉の精は言いました。
「気に障ったのならお許しください。もしやタチの悪いキツネにでも化かされているのなら、釣られるわけにはいかないと」
神さまをケモノ呼ばわり。則光はもはや恐怖で小刻みに震えています。
「貴様ちょっとソコへ座れ…と言いたいところだが、たしかにここら辺には人をからかったり騙(だま)したりするいたずらギツネもおる。用心するに越したことはないぞ。その心がけに免じて無礼を許してつかわそう」
「ではあなたは、キツネやタヌキが化けているわけではないのですね」
「あたりまえじゃ。しかし金銀を目の前にして欲を出さないそなたは、なかなかユニークな人間であるな。ここで遭(お)うたのも何かの縁、なにか願い事があれば、ひとつだけ叶えてやろう」
泉の精が機嫌良くなって、心底ホッとする則光。
願い事…そうか、その手があったな。
斉信は、何かひらめいたようです。明るい顔で答えました。
「ではひとつ叶えていただきたいことがございます。
かの唐の国では、天から舞い落ちてくるこの雪が、六つの花びらのようだと褒め称えているのですが、残念ながら我々の目には、小さくちぎった真綿のかけらにしか見えません。一度でいい、雪の花を見とうございます。唐の貴人たちが愛でた花びらのような雪を、この目で確かめとうございます」
満たされたいのは物欲ではなくて、知識欲な斉信でした。
「ほお。なんとも可愛らしくも情緒ある願い事じゃな。たしかに人間は気の毒な生き物よ。我々ならたやすく行き来できる大陸を、人は地に足を重く縛り付けられたままじゃ。そうとも、かの国の都人は、水晶の花びらのような可憐な雪を楽しんでおる。
よかろう、ひとときの間、大唐長安の貴人が慈しんだ六花にまみれるがよい」
泉の精がそう言い放った途端、周囲の樹々から雪がザアッと吹き荒れました。そして風がおさまったあとは、何事もなかったかのようにあたりはシンと静まり返りました。
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