第6章 己の座標②
◉
(———な、何が起きてるの?)
鈴代紗奈は驚愕していた———なぜなら自分の常識を根底から覆す、そんなことが起きたからである。
「ピギィィィィィィィィィィ!!!」
(———吸血獣が朝から出現するなんて)
彼女は徒歩で登校しているが———その最中、まさに彼女の通う学校の前で、真っ赤なハムスターを彷彿とさせる化け物が十数体どこからか現れ、暴れ始めたのだ!
(———でも、これはおかしい。吸血獣は日光を浴びると硬質化して動けない。実験でわかってたはずだ)
理解できない状況———しかし。
(とにかく今は、私がなんとかしなくちゃ)
紗奈は銀色に輝く棒状のもの———
彼女が強く握ると
———細長く流麗な曲線を携えつつ、しかし同時に刃物としての恐ろしさを感じさせる。
巨大なナイフ。
彼女の得物である。
彼女は居合のような構えをとる———。
———だが、その行動に移った瞬間、ハムスターたちの首はぽとぽと落ちていく。
彼女の脅威的な空間把握、状況把握、そして何より運動能力により、可能となる技術。
瞬時にナイフを振る軌道を確定させ———そしてそれを、瞬間的に振る。
『死』を本能で回避できるレベルの存在でなければ———首を身体に繋げておくのは不可能だろう。
(ふぅ———)
「「「鈴代さん!」」」
三人の女性が紗奈の前に現れた———みな銀色の武器を手に持っている。
聖銀協会の構成員たちである。
みんな私服だった———歳上なのだろう。
「い、一体どういうことなんでしょう……」
「私にもわからない。だが、とにかくいつも通りにできるところはやらなければ。被害を最小限に抑えるぞ」
———声は低くなり、眼光は鋭くなる。
———仕事のモードに、瞬時に切り替わった。
三人にはあちこちに散らばってもらった———全てを把握できるわけではないが、既に
おそらく、全員で出迎えなければならないレベルの数が出現している。
そのため必要なのは数だ———レベルの低いものなら彼らだけでも狩れるだろう。
だがしかし———強大な個体が現れた場合、どのように対応するべきか?
(なんでこんな時にいないんだ———)
紗奈の中でひどく個人的な感情が渦巻く。
———なぜ、龍宮寺暁は現れないのか?
吸血獣が出たとなれば、いかなる時も感知して誰よりも速く辿り着くのが彼である。
そんな彼が———騒ぎになるような時になっても現れないのは、いささかおかしな事態のように思えた。
(ここまで来ると、多分何かあったとしか思えない———でも、私はここを離れるわけにはいかないし———!)
頭を抱え始める彼女。心配と責任感で板挟みに合っている。
しかしそこで、聖銀の音が途絶える。
(———あの程度で———?)
一体一体なら彼らでも対処出来るはず。
ならば、一体何が起こったのか⁈彼女は不思議に思い、彼らを探す。
「な、なんだ、これは」
そこで目にしたのは———血によって飴のように固められてしまった構成員たちであった!
(———この能力、まさか!!!)
紗奈は周囲を見回す。
———辺りの匂いや足取りから、不思議と頭の中に巡る、あの日の記憶。
彼のことを初めて心の底から信頼できた、あの恐怖に怯えていた記憶。
———それは彼女にとって天敵と言えるべき存在であった。
その影はぬるっとゆっくり、まるで挑発でもするように彼女の眼前に現れた。
———真っ赤なイタチ。しかし、前見た個体とは違い、身体中に白い模様が入っていた。
———これまでで模様の入った吸血獣は確認されていない。
一切未知数。だが佇まいからわかるのは、それはこれまでの吸血獣とはレベルが違う。
筋肉らしき部分などを見れば、それは一目瞭然であった。
「———貴様を乗り越えねば、私はいつまでもあいつに頼るままだ」
彼女の中にも、ある懸念はあった。
自分はあの日から、『あくまで龍宮寺がいる』という前提ありきで戦っているのではないか?
自分がやられても、逃げたくなっても、その時は彼がなんとかしてくれる。
しかし今は違う。彼が現れないという異常事態の中、自分が今すぐこのイタチを倒して、周りを率いねばならない。
成長するためにも、自分は奴を倒さなければならない。
彼にいいように扱われないように。
心持ちを強く持つ必要があるのだ。
イタチは彼女の気迫を感じ取ったのか、威嚇のように身体からさまざまな物を取り出す。テレビからフォークまで、おそらくその辺でかき集めたガラクタであろう。
そして紗奈に向かって投げつける!
ピッチングマシンのように感じられる。おそらくひとつひとつが百キロ以上出ているはずだ。
これでは居合では対応しきれないだろう———溜めの時間の内にやられてしまう。
しかし、ここでそれを選択するはずがないのが紗奈である。
———あくまで完全に首を切断することを目的にするために、溜めがいる。
———ならば、ただ弾くだけだったら?
彼女はナイフを、飛んでくる物と同等かそれ以上の速さで回転させ、弾いていく!
イタチも流石に驚いている———大した知能のないはずの吸血獣ではあるが、強い個体として生まれた自覚はあるのかもしれない。
「もう終わりか?」
紗奈は威嚇し直すように、先をイタチに向ける。
そのことに対する激昂か、はたまた恐怖を覚えたことによる防衛が———なにやらイタチの腹が大きく丸くボン、と膨らむ!
そして———何やら真っ赤な粘液のような物を、紗奈に向かって吐き出した!
———紗奈はそれがあの構成員たちの惨状を作り出したことを知っていた———かつて自分がやられ、そして助け出されたモノ。
———そのため。
———彼女はもう既に———対策を持っていたのだ。
(消耗はこの際———放っておく!)
彼女は先を地面に突き立てると、火花が出るほど速く引きずった!
その結果———彼女の
そしてそのまま、イタチの首元に向かう!
「さらばだ。思い出ごとな」
イタチは即座に逃げようとした———だがしかし。
その燃え盛る刃は触れた途端に引火し、燃え始める!
死に至るわけではないが———それにより逃げられなくなってしまった。
そして、首が切断され———地面に転がったと思えば、そのまま溶け始めた。
「お、おおお、お」
近くにいた男の構成員を固めていた粘液が溶けていく。
「す、鈴代さん!」
「例のイタチは私が狩った。このように強大な個体は私が対処する。だからお前たちは各々再び散らばれ」
「は、はい!伝えてきます!」
男は張り切って、走り去っていった。
(これにて一件落着、か———)
次の瞬間。
何かの影が———彼女を吹っ飛ばした!
「ガッ……」
壁に激突する紗奈。
「なん……だ……⁈」
紗奈は確認しようとするも、速すぎたのか周囲には土煙が立ち込めている。
やがて晴れていくなかで、姿が見えていく———。
———山羊のような頭。そして人間の身体。———天使のような翼も生やしている———真っ赤な化け物だった。
「ブルルルルルルルルル!!!!!!」
何やら叫んでいる。
それほど獰猛で残虐、ということなのかもしれない。
「———お前は」
彼女は既に分かっていた。
これが———思い人をあのような境遇にした、張本人。
その声は仕事のような棘もなく、龍宮寺といる時の甘さもない。
———純粋な、殺意だけの、無機質な発音。
「殺す」
紗奈は瞬時に
そして普段では考えられないような、まるで喰らいつくような攻撃を何回も与える!
斬るためでもなく、弾くためでもない。
ただただ———身体を潰すための攻撃。
しかし、攻撃を受けるたびに再生していく!
「はぁっ……はぁっ……!」
彼女は力任せな攻撃をしてしまったのか、少し息切れを起こしてしまっていた!
その中で化け物は防御態勢から身を変え———連続で攻撃を彼女の腹に叩き込んでくる!
「———がっ、あっ、あぁっ」
人間のような体つきだが、手足には蹄がついている。
そして山羊の性質もまた、備えている———強靭なキック力は健在である。
それは人間の身体と溶け合い———四肢全てで、強力な攻撃を放てるようになっていた。
彼女の肉体に、深刻なダメージが入る。
流石にここで倒れることはないものの———ナイフを振るうことができるかは慎重に考えなければならなかった。
(———もってあと一回———)
———紗奈はナイフを構える。
———ただの居合では駄目だろう。そのため、より集中する必要があった。
———この世から一瞬で斬りぶせるための、最大最高の居合。
山羊の化け物はだんだんと震える身体に違和感を覚えていた。
それが彼女の方から発せられていると気づくには、大した時間はいらなかった。
彼女の巨大なナイフに目をやると、何やら振動している。
それも周囲に伝わるほどに。
———振動。
———分子の振動。
———それは、つまり。
———世界に対する斬撃。
———瞬間、ナイフは振るわれる。
———その切り口は見事に山羊の化け物を両断する———だが、その切り口は何やら真っ白であった。
何もないような、真っ白。
それはつまり———空間そのものを、切った。
正確には、分子で振動させたナイフで斬る軌道上の分子を押しのけ———何もない空間を作り出した。
だんだんと山羊の化け物が、首を切られていないのに消滅していく。
無論、その白い切り口に吸い込まれるように。
おそらく世界に空いた穴を埋めるために、化け物の身体を分解して埋めようとしているのだ。
やがて完全に化け物が消滅すると、切り口は自然に閉じていった。
「かはっ、はーっ、はーっ」
彼女は目から鼻から血を流していた———おそらく限界を超えた集中のため、生理的には褒められた状態ではないのだろう。
「や、やったよ、龍宮寺、私……仇とったよ……」
———結局、その場に倒れてしまった。
「やーやー、お疲れさんお疲れさん」
その場にふらっと現れる男が一人。
———片目を隠したバンドマン風の男。
———スペードであった。
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