第1章 闇夜の復讐者④

 そんなことがあったせいか、それからは彼女の態度は軟化していった。

 

 休憩室で一旦コーヒーを飲んで席に座っていた時のことだ。

 「電話持ってるか?」

 彼女がそう言いながら隣の席に座った。

 「それがどうした」

 「私たちは強者として、連絡を絶えず行う必要がある」

 「なるほど———」

 正直それ自体は必要かどうかわからなかったが、何やら彼女が上目遣いで見つめているような気がしたので、素直に対応することにした。

 「感謝する」

 そのままどこか軽やかに去っていった。

 今覚えばこの時点から軟化の状態はかなり進んでいたような気がする。

 

 それからすぐに夜、家にいると電話がかかってきた。

 「もしもし」

 「時間はあるか?」

 「それがどうした」

 「少し、聞きたいことがあって」

 「なんだ」

 「———どうすれば戦い方を効率的にできるか———」

 

 「———食事は基本的にいつも一人だった」

 何やら気づいたら彼女の身の上の話に変わっていた。

 なんでも母親は物心つく前に亡くなり、父親もかなり忙しく、中学に上がる頃に無理が祟ったのか亡くなったらしい。

 それからはずっと一人で過ごしてきたとのこと。

 なぜ俺にその話をするのかはよくわからない———臆病さを見せろ、ということをこういう形に捉えたのだろうか。

 

 「俺ならわかってくれるとでも?」

 「———すまない」

 「まぁいい。どっかでポッキリ折れられるよりかはその方がマシだしな」

 「お前は本当に口が悪いな」 

 「事実を述べているだけだ」

 「———でも、その方がやりやすい」

 「ならよかった」

 俺は電話を切った。


 ———するとまたかかってきた。


 「行動は悪くてもいいと言わなかったぞ」

 「ははぁ」

 「———それにまだ、一時間しか話していない」

 何やら時間感覚がずれているようだった。

 非効率的なことはあまりしたくはないのだが。

 彼女と連携が取れなくなることのリスクを考えると、ここは話していた方がいいのかもしれなかった。

 

 それから廊下などで鉢合うたびに、何やら話しかけられるようになった。

 別に大事な話ではない。すごくどうでもいい話題だ。

 なんのアニメが今面白いとか、どこの店が安くて美味しいとか、そんな話だ。

 正直少しありがたいところもあった———自分が世俗に対する興味を失っていないことを、自覚することができた。そして、それを共有することもできたからだ。

 だんだんと彼女の鋭い目つきが柔和になっていくのを直に感じていた。今思えばタイムラプスのように記録しておくべきだった気もする。

 

 ———それからすぐだった。

 

 彼女から夕食の誘いがやってきたのは。


 呼び出されたのは、ちょっとした小さなイタリアンだった。

 そこまで気兼ねないが、しかしファミレスほど安っぽいわけでもない。ちょうどいいチョイスだったと言えるだろう。

 

 だがしかしここで疑念が生じた。


 俺にそれだけの金があるのだろうか?


 親の遺した遺産を少しずつ削って、そしてこのまま高校を卒業するまで持ち堪えようとしている俺に、余裕はあるのだろうか?と思った。

 そのため金を貸してもらうために澄川の元に向かった———澄川とはその一週間前くらいに初めて出会った。


 なんでも討伐を終えた後に、何やら肩を叩かれたと思うと、缶コーヒーを手渡してきたのだ。

 「———ありがたいな」

 「あんた噂のルーキーだろ?そんな気張ってばっかいないでおけよ」

 「俺は復讐者だ」

 「何があるんならわかる。でも自分が疲れた時には休むべきだ」

 「———何様だ?」

 「単純に歳の近い男からの、生きる上でのアドバイスだよ」

 「ハッ」

 

 それから話しかけられることが続いていたので、それなりに気軽に話せる仲だったのだ。


 「———お前、振り込まれてるの知らないのか?」

 休憩室で待ち合わせして、金の心配を話すと、なんかいよいよドン引きした表情で机を揺らされた。

 「なんだそれは」

 「俺たちは所属してると、毎月それなりの金が振り込まれるんだよ。そんで上位のメンバーならそれにプラスされてる。お前いっぺん口座確認しに行けよ、待ってるから」

 ということなので一旦本部から上がって最寄りのコンビニでATMを確認してみる。

 

 ———すると、一概の高校生が持つにはびっくりする桁がそこには並んでいた。


 「びっくりした」

 「流石のお前もそうだったか」

 戻って確認する。

 そして残高を説明した。

 「———ちょうど俺の倍くらいか?予想してたよりもデカかったな」

 「あぁ———」

 そうすると澄川がニヤニヤしながらこちらを見つめてくる。

 「なんだ」

 「手が震えてるぞ」

 「何?」

 手を見てみると汗に溢れて、極寒の地にいるくらい震えている。

 「ほれみろ、お前も完全に世俗を捨てられてない」

 「———まさかな」

 「それなら多分大丈夫だよ」

 「なにが」

 

 「鈴代」


 「———誰だ⁈」

 「知らないのかよ⁈」

 「だから誰だ?」 

 「紗奈の名字だよ、鈴代紗奈」

 「ハッ」

 「誤魔化すなよ」

 「それで何が大丈夫なんだ」

 「簡単なことさ———彼女はお前の素が見たいのさ」

 「素」

 「お前が最強だから近づいたのに、そこから人間らしさを見出したくて仕方ないんだ」

 「なんとも矛盾している」

 「でもそれが人間だ!どんな怪物にも優しさを求めるのさ」

 「それはそれは」

 「まぁ普通に行くといいさ、見た限りお前は思ってた以上に普通の奴だ」

 「———俺は復讐者だ」

 「決め台詞かよそれ」


 後日集合場所に行くと、紗奈が店前にいた。


 ———ニット帽にパーカー、そこに半ズボン。

 「———どうもこんにちは」

 すると途端に口元を押さえて笑い始めた。

 「何それ。普段と全然違う」

 しかし彼女も彼女で全然違った。

 何やら声に———鋭さがないというか———どこか透き通っていたというか———とにかく、聞き心地のいい声であったのは確かだ。

 

 「———普段はそんな格好なんだな」

 そう席について、開口一番にそう言う。

 そういうと少し照れくさそうにニット帽を脱いで膝上に置いた。

 「あんまりわからないからさ、学校の友達になんとなくこしらえてもらって」

 「ふぅん」

 「これくらいの方が、あまり目立つこともないから」

 「へぇ」

 「てか、それは龍宮寺もそうでしょ」

 「何」

 「服」

 ———俺は適当な無地のTシャツにジーンズ姿だった。それくらいしか諸事情あって大した服を持っていなかったのだ。

 「もっとボロボロの服なのかと思った」

 「そこまで常識知らずに見えるか」

 「普段はね」

 「ハッ」

 「だって、全く何もしてないんだもん。学校ちゃんと行ってる?」

 「全て終わった後就職に困るからな」

 「そんなとこまで考えてるんだ」  

 すると彼女は途端に上を見つめ始めた。

 「俺に呆れたのか」

 「———いや、龍宮寺でも考えてるんだなーって」

 「何」

 「私、何も考えてないんだ、吸血獣がいなくなったら、自分は何をすればいいのか」

 「そんなことは自由だろう」

 「私中高一貫だから、勉強もそんなにしてないからさ、将来そういうのに直面したとき、どうすればいいのかわかんなくて」

 「———普段と同じようにこなせばいいだろう」

 すると彼女は面食らったような顔をして、笑ってみせた。

 「そうできたら楽なんだけどね」

 「俺にはわからないってか」

 「そうでもないかも」

 「何」

 「聞いてくれるだけで嬉しいよ」

 「———他のやつには話さないのか」

 「協会のみんなにはあまり弱いとこ見せられないし———学校のみんなには協会でのこと言えないし———だから、龍宮寺だけ」

 「はぁ」

 「秘密だからね!誰にも言っちゃダメ、私たちは強くあらなくちゃいけないんだから」

 「なるほど」

 やがて料理が運ばれてきた。

 俺はイカ墨のスパゲッティ、紗奈はチーズたっぷりのリゾットを頼んでいた。

 「料理したりする?」

 「いつもは自炊だ」

 「へー、見習わなきゃな」  

 「いつも出来合いか」

 「最近の出来合いも馬鹿にできないからねー?栄養士が監修したりしてるんだから」

 「金がかかるだろう」

 「———母方の実家がでかくて、それで援助はしてくれるんだ。大学までは出してやるって」

 「———そこまでするなら、一緒に住めばいいだろう」

 「苗字が変わっちゃうの。この苗字が、家族が遺してくれたものだから」

 「ふぅん———」

 「龍宮寺は、どうなの?」

 「俺は天涯孤独だ。元々無理しなければそのまま卒業できるだけの蓄えはある」

 「へー、堅実だね」

 「お前も同じだろう」

 「バレた」

 「そのパーカー、スポーツブランドのものだろ。丈夫だって有名だ」

 「買い直すの面倒くさいからさ」

 「お互いあまり変わらないということだ」

 「そうだね。似たもの同士」

 そう何やらにこやかに笑いかけるので、俺はつい目線を逸らしてしまった。


 「今日はありがとう」

 会計を終え、店前に二人並ぶ。

 「あぁ、ではまた」

 そのまま踵を返して帰ろうとする。

 

 「ねぇ!」


 彼女が大きな声で俺を呼ぶ。


 「また———誘ってもいいかな?」


 俺は背中を向けたまま親指を立てて腕を上げた。


 「———またね」


 正直これ以上彼女を見つめるには、心臓がひとつ足りなかったのだ。

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