ガブリエルの物語 第7話

八百六十一年二月七日




 国全体がお祭り騒ぎだった。

 今回当選したのは第二統領だったボナプルスだった。

 ボナプルスが市民に掲げた租税政策は信じられないくらい甘いものだった。

 市民の下位八十パーセントからは一銭も税金を取らないというものだった。


 財源充当について述べた彼の言葉は、

 雲をつかむようなものだったが誰もそんなことは気にしていなかった。


 その上、ボナプルスは港湾労働者の息子として生まれ、

 士官学校を卒業して軍人になった。


 彼が低い身分の出身だったことも、大衆たちからの人気が高い要員だった。

 対抗馬には第三統領のクレオン侯爵が名乗りを上げたが、

 彼は高位貴族出身だった。

 それに政策も保守的だったので、ボナプルスが勝つことは明らかだった。

 その日の夜、人気のない港でヴォルテールが船を待っていた。


 「先生!」


 ヴォルテールが後ろを振り向くとガブリエルが立っていた。


 「出所日当日には会えないと思っていたが……こうして会えて良かった」

 「こっそりとお逃げになるおつもりですか」

 「逃げるだと? 私はただ退任しただけだ」

 「ボナプルスは独裁者になるに決まってます! わかりきってるじゃないですか! なのに先生がいらっしゃらなかったらどうしろというんですか!」

 「奴は市民に選ばれた統領だ。市民の選択をお前も受け入れなければならない」

 「間違った選択です! 市民たちは何もわかってません」"

 「ガブリエル。知識のある者たちだけの世界が嫌で、我々があんなに努力したんじゃないか」

 「たくさんの人が苦しむことになります!」

 「経験しなくちゃいけないことなら、経験すればいい。そして、人々はまた乗り越えるだろう。そんな過程も必要だ」

 「それで、結局私たちを捨てて行くということですか?」


 ヴォルテールは、ハハッと笑いながらガブリエルの肩に手を置いた。


 「捨てるだなんて。お前はもう、捨てられるには大きくなりすぎじゃないか。一体誰に捨てられるんだ?」

 「行かないでください。行ってはいけません!」

 「元気でな。遠くでお前の未来を応援しているからな」


 ヴォルテールは笑いながら背を向けた。

 もう少し磨かれなくてはいけないが、

 ガブリエルは情熱的な青年だから上手くやり遂げられるだろう。

 しばらくして……

 カチャッという音がヴォルテールの耳に入った。

 ガブリエルがリボルバーを取り出しヴォルテールを狙っていた。


 「このまま行ってはいけません」


 ヴォルテールは後ろを振り向きもしなかった。

 港の薄暗い明かりのせいで、

 照準器越しに見えるヴォルテールの後ろ姿が影のように見えた。


 「先生! このままお行きになるなら本当に撃ちます!」


 それでもヴォルテールは振り向かず余裕そうに手を振った。

 照準器に狙われたヴォルテールの後ろ姿がだんだん小さくなって点となった。


 ガブリエルの手が震えて、その小さな点さえも

 ぼやけて、ぼやけて……

 またぼやけ、そして消えた。


 ガブリエルはがっくりと跪いた。

 ヴォルテールは捨てたつもりはなかったが、ガブリエルは捨てられたと思った。


 彼は自身の灯台を失った。

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