ガブリエルの物語 第6話

八百五十七年六月四日




 ヴォルテールはジャンバルソーの疲弊した財政を埋めて、

 税金の問題を透明化しようと努めた。


 そのためには市民全員が公平に税金を払わなくてはならなかった。

 

 ヴォルテールは

 「最低限の権利のための最低限の責任」

 というスローガンを前面に出し、自身の考えを曲げなかった。


 ここで市民たちにこびへつらう政策を出したところで、

 一時しのぎのごまかしに過ぎないから。


 ヴォルテール統領政府が発足した時、多くの人たちは期待に満ち溢れていた。


 ヴォルテールが全ての貴族たちの財産を没収して我々に分け与えてくれるだろう。

 彼は私たちみんなを腹いっぱい食べさせてくれるだろう。

 もう苦労は終わった!

 貴族たちを殺せ。殺して財産を押収しろ!


 革命というものが既存の貴族たちを皆殺しにして、

 貧民層のお腹を膨らませてくれるもののわけがない。

 それに、ヴォルテールが考えた階級の転覆はより長期的なものだった。


 そのうち不満を持つ者が生まれ、これを利用しようという者たちも生まれた。


 主要な補職から一斉に解かれ、

 市民たちの暴動に不安がり、縮こまっていた一部の貴族たち。


 彼らが市民たちの不満を一番最初に利用しだした。


 市民たちは、自身たちが殴り殺そうと言っていた貴族たちに

 利用されているということさえも認識していなかった。


 いつからか市場にはこんなビラが出回り始めた。


 「強欲者のヴォルテール! 平等な税金は嘘っぱち!!」


 こういった動きに最初に気付いたのは情報局のガブリエルだった。


 「間抜けな奴らめ! てめえの腹を満たすことしか考えずに我がまま言いやがって!」

 「どうしましょうか」

 「ビラを全て回収して流布されたところがどこなのか調べろ。発見したらその場で皆逮捕して芽を摘め!」


 ガブリエルが本気で抑え込もうとしているのにも拘わらず、

 ヴォルテールの反対派たちは日に日に増えていった。

 ヴォルテール政権が発足してから三年が過ぎていた。

 ヴォルテールが強硬に自身の信念を固持している間に

 反対派の行動もだんだん過激になっていった。


 反対派は直接ヴォルテールを攻撃し始めた。

 この国には既に法が確立していたので、

 市民は皆正当な裁判を経てしかるべき処罰を受けることになる。


 ヴォルテールは自身に加えられたテロに対しても公正さを維持した。

 これに最も我慢できなかったのはガブリエルだった。


 ヴォルテールが誰のために犠牲になったと思っているのか! 

 ヴォルテールが何のために全財産を投げうった思っているのか!


 ガブリエルは知っていた。

 世界を変えたいという願望がいくら強くても、

 それを導いてくれる指導者がいなければ糞の役にも立たないことを。


 ヴォルテールは世界を変えられる人間だった。

 彼だけが人々を集め、王を引きずり下ろすことができた。


 それなのに、そんなこともわかっていない奴らが!


 ヴォルテールの反対派とガブリエル側はお互いを底なし沼に引きずり入れた。

 両方とも徐々に過激になっていき、遂に事故が起きた。


 違法デモを鎮圧するという名目で派遣された情報局のデモ鎮圧隊が

 大規模な流血事件を起こしたのだ。

 現場にいたガブリエルも裁判は避けられなかった。


 「私は何の後悔もありません。みんな死んで当たり前の奴らです」

 「ガブリエル。死んで当たり前の人なんてのはいない」

 「恩知らずの奴らです! 恐れ多くも統領様にこのような……」

 「私の政策も完璧ではない。利害関係はいつも衝突する」


 ヴォルテールは依然として憤慨するガブリエルをじっと見つめていた。

 ガブリエルにとって自身がどんな存在なのかはわかっている。


 この青年は市民革命へと変わる世界を望んでいたのではない。

 彼が望んでいたのは世界を変える思想ではなく、世界を変える自身だったのだ。


 ヴォルテールはガブリエルをまともに育てられなかったと思った。

 ガブリエルがこれほど過激になったのは自分のせいだ。


 「ガブリエル。私は完璧ではない。私の政策も補完しなくてはいけない点が多い」

 「統領様にできないなら誰にもできません。統領様がされることは全て正しいです! 私にはわかります!」

 「私の任期は永遠ではない! 次の統領が当選したら私とは違う方向に進むかもしれない」

 「そんなとんでもない! ジャンバルソーにはまだ先生が必要です! 次の統領だなんて!」


 そんなことは想像もしたくないという風に、

 ガブリエルの口から先生という呼称が飛び出した。


 ヴォルテールの口から低くて重い溜息が漏れた。

 こう考えているのがガブリエル一人だけのわけがない。

 どうして私は、私に付いてくる者たちをこんなに盲目にしてしまうのだろうか。


 「お前も裁判を受けることになる。革命への功績が認定されたとしても処罰されるだろう」

 「私はどうなっても構いません。しかし、その間の統領様の安全が心配なのです」

 「ガブリエル……」

 「あ! 最近新しく入った若者がいます! そいつなら後先考えずに……」 "


 パチン!という音と共に、ガブリエルの言葉が止まった。

 ヴォルテールが初めてガブリエルに手を出した瞬間だった……


 「目を覚ませ、ガブリエル。お前が夢見ていた世界はこんなものだったのか? お前が重要だと考えている人のために、 そうでない人を皆犠牲にしてもいい、そんな世界か?」


 ガブリエルはじんじんする頬を撫でた。

 やはり……私の考えは合っていた。ヴォルテールが正しい!

 この方はいつでも正しい道を歩いて行ける方だ。

 この方が我々の指導者でなくてはいけない!


 「一、二か月では釈放されないだろう。その間にお前が進まなくてはいけない道について真剣に考えてみろ。お前はまだ若い。これからもお前がしなくてはいけない重要なことはたくさんある。俺の言ってることがわかるか?」


 ガブリエルは頷いた。

 ガブリエルにとってヴォルテールは灯台と同じだった。

 高波にさらわれたとしても関係なく、海の真ん中で道を失っても問題なかった。

 灯台の明かりさえ見失わなければ、どこにいくべきかがわかるからだ。


 面会の帰りにヴォルテールは情報局を解散させた。

 これまでガブリエルの影響を多大に受けていた者たちを

 残しておいては駄目だと思ったからだ。


 ほとんどがガブリエルと数年に渡って共に働いて来た者たちだった。

 ただ一人、アルテュールだけが、今年ガブリエルが直接採用した新人だった。

 新人だったため、情報局の解散後にいくところがなかった。

 言ってみれば、彼女だけが職を失ったというわけだ。"


 「君が噂の新人か。後先考えないという」

 「あ、統領様!」


 情報局で私物をまとめていたアルテュールは、

 ヴォルテールを見て驚き姿勢を正した。


 「ガブリエルが君を直接採用したんだって?」

 「ガブリエル様がずっと前から援助してくださっていた子供たちがいました。私もその子供のうちの一人でした。おかげで良い教育を受けることができ、仕事もすぐに始めることができました。あ、もう失業したんだっけ」

 「君は文章を書くのは自信あるか?」

 「はい! 自信あります!」


 勘のいいアルテュールは、自信ありげに見えるように背筋を伸ばして答えた。


 「それならばまだ失業ではないな。君にちょうどいいポストがある」


 アルテュールは情報局の業務のうち、政策広報と

 ヴォルテールの思想を本にまとめて出版する仕事をすることになった。


 この仕事はヴォルテールが退任するまでアルテュールが一人で任されていた。

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