ガブリエルの物語 第5話

八百五十四年一月十七日




 ラッチェス八世の治世は凄惨だった。

 彼が以前の王より無能だったことだけが理由ではなかった。


 それまでの王のせいで

 既に王室の状態が疲弊するだけ疲弊していたことが大きかった。


 しかし、民衆たちはこれ以上は我慢できなかった。

 そして、彼らを率いるヴォルテールの存在が、なおさら彼らを強く連帯させた。


 八百五十三年七月、各労働者組合が主軸となったデモが起きた。

 港湾の人手が全てなくなると王室もたじろいだ。


 なんの準備もしていなかった王室は、

 すぐさまヴォルテールや市民たちに妥協案を提示した。


 労働者や農民のための条例を作ることにしたのだった。

 そのため、労働者組合も一歩引き下がった。


 しかし、二か月過ぎても何も進まなかった。

 むしろ、警備隊を補強して他国からデモ鎮圧用の武器を輸入していた。


 それだけではなく、農村に課せられる税金は前よりも上がった。

 軍備を増強させるための増税だった。


 貴族たちは王室がしていることから距離を取り、

 まるで自分たちは共犯ではないような振りをしていた。


 これに激憤した市民たちによって、十一月にもう一度大きなデモが起きる。


 港湾の労働者たちや農民、工場作業員、

 鉱夫までが加勢した大々的なデモだった。


 今回は王室側も強硬に抵抗した。

 デモを武力で鎮圧し、この過程で一万五千人以上が射殺された。


 強力な武力の前にデモは収束したが、それだけ憤怒の閾値も下がった。

 今後少しでも刺激されたら市民たちは爆発するだろう。


 八百五十四年一月、ヴォルテールが率いる市民たちは王宮の前に押し掛けた。

 一部の高位貴族までも含む、あらゆる階層の人々が集まっていた。

 そして、彼らの手には武器が握られていた。

 鎮圧するには数が多すぎであり、

 鎮圧しようにも軍隊がほとんど残っていなかった。


 ラッチェス八世は市民たちに王宮から引きずり出され、殴り殺された。


 一部の市民たちはラッチェス八世を裁判に付さなければいけないと言ったが、群衆の怒りと野蛮さは止まらなかった。


 一人でいる時の個人と群衆の中の個人は完全に違う生き物だということだ。

 そして、王宮に市民の旗が立てられた時、

 彼らは同じ気持ちになり一人の名前を連呼し始めた。

 「ヴォルテール!ヴォルテール!」

 巨大な群衆たちの声が、同じリズムで鳴り響いた。

 一番前の列に立っていたガブリエルは、ヴォルテールを演壇に導いた。


 ヴォルテールが演壇に上がった時、

 ガブリエルはあまりに興奮して気絶しそうになった。


 俺の手で!俺たちの手で!世界を変えた。

 俺が偉大なヴォルテール先生を指導者の座につかせた。


 「うわあああ!」

 という閧の声が腹の奥から湧き上がった。


 ガブリエルは右手を高々と上げながら、再びヴォルテールの名前を連呼した。


 すさまじい勢いで伝染していく興奮のせいで、

 ヴォルテールの演説をまともに聞いていないことにも群衆たちは気付かなかった。


 ヴォルテールは自身の前にいる数十万の瞳を見た。

 とてつもない期待感に満ちた数十万の瞳を。


  「ラッチェス八世はこの国の全ての物が

  自分の持ち物であるかのように振舞っていました。

  彼だけでなく、この国の今までの王たちは皆、

  自分の物でない物を、自分の物であるかのように所有していました。


  今日我々は王たちから我々の物を取り戻しました。

  我々は自らの血や肉と引き換えに真の主人となりました。


  もうこの国は王たちの物ではありません。


  この国は私の物であり、

  我々の物であり、

  あなたの物です。


  今日我々はこの地にある我々の所有権を取り戻しました」


 ヴォルテールは圧迫感を感じながらも、

 自身が言うべきことを全て言い終えて演壇から降りた。


 三日後、南側の地域にボカンという新生国家が生まれた。


 ザハマンの難民たちが建てた自由国家だという。

 人々は何であるかは明確ではなくても、

 明らかに新しい風が吹いていると感じていた。


 八百五十四年二月七日

 投票を通してヴォルテールは第一統領に当選した。

 第二統領には軍の司令官を兼ねるボナプルスが任命されて

 第三統領には総理職を兼ねるクレオン侯爵が任命された。


 ヴォルテールは新しい政府の広報と、

 新しい体制についての教育のために臨時情報局を開設し

 初代情報局長にガブリエル・ルフェーヴルを任命した。

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