イザベルの物語 第3話

八百五十九年四月七日




 「これはあまりにも露骨です」

 「何が露骨なんですか」

 「本来、象徴が重要なんです。それなのに、その位置に堂々と開拓会社だなんて」

 「言葉だけを綺麗に仕立てればいいんですか?どうせ、そんなごまかしに満足する人は誰もいません!」

 「そのアリステアという青年も信じられるかどうだか」

 「では、議員さんの名前で会社を作ったらどうですか」

 「何ですって?」

 「レス・ディマスの名前で運営することはできないから作ったのではないですか! 設立者は重要ではありません」

 「いえ、それでもこういうことは慎重にするべきでしょう!」

 「慎重なのではなく、のろいんです。国家の財政を食い潰したいんですか?」

 「いまの発言について謝罪しなさい!」


 顔を真っ赤にした議員が大声を出したがそれだけだった。

 彼らの反対意見には代案がなかったからだ。


 ここ数年間、イザベルはとんとん拍子に出世した。

 彼女の人気はその過激さからくるものだった。


 偽善的ではないところ、レス・ディマスの利益のためなら何でもするところ。

 実際にそういった行動でレス・ディマスに多くの利益をもたらした。


 できる限り多くの植民地を確保するために、

 悪名高い傭兵集団もためらわずに雇用した。

 この傭兵集団が問題を起こした時も交渉に向かうのはイザベルだった。


 彼女がお金で解決したのか、

 それともより規模の大きい傭兵集団で制圧したのかはわからなかった。


 いずれにせよ、いつももみ消しに成功していた。

 大衆たちからの人気は相当なもので議会での発言権は日に日に高くなった。


 実際、開拓会社は国家の承認なしでは不可能なもので、

 どうしても政府の息が強くかかる事業だった。


 それで、言うことをよく聞く若者を名義上の社長にしておいたのだった。

 だからといって、

 こんな遠大な事業に間抜けな若者を立てるわけにもいかなかった。


 アリステアのように若くて家柄の良い人材を探すのがどんなに大変だったか!

 うすのろ議員たちめ!


 イザベルは腹が立って仕方がなかった。


 「間抜けで怠け者のガキのような奴らめ!」


 執務室に戻ったイザベルは椅子に座った途端に罵り始めた。

 議会に出席した日には毎度のことなので、

 秘書のヒリアードは何の反応も示さなかった。


 「税金で飯を食っておきながら何もしていないくせに……これは駄目、あれは駄目。あ~忌々しい!」

 イザベルの愚痴に、

 微動だにせずに書類を確認していた秘書がイザベルを見もせずに言った。


 「でも、そんな人たちのおかげで第二統領にお成りになったのです」


 実際、ヒリアードの言葉は正しかった。

 いい加減で偽善的な議員たちが布陣しているから、

 はっきりとした性格の彼女の人気が上がるのだから。


 「そして、また追加支出があります」

 「今度は何だ?」

 「新しく雇用した傭兵たちがストライキを起こしました。現地の農場を占拠していたんです。

 「......狂った奴らめ」

 「私に闘犬で最高なのは狂った犬だって仰ってたじゃないですか」

 「私をおちょくってるのか?」


 ヒリアードは依然として動揺することなく、書類をめくりながら答えた。


 「とにかく、この件は予備費で処理しました」

 「この件? 他にもあるのか?」

 「カレンがキエンギル戦争への支援を増やすことにしたそうです」

 「あの野郎ども! 本当にやろうってのか!」


 数年前からキエンギルは東西に分かれ、紛争が絶えなかった。


 西側の地域がレス・ディマスの属領だったから、

 イザベルは今回の紛争を利用してキエンギル全体を占領するつもりだった。


 しかし、これを進める時に第一統領の反対があった。

 第一統領は戦争を拡大させてはいけないと言って、

 強硬派のイザベルの意見を黙殺した。


 そのため、インスパン側に攻撃的な支援ができなかった。

 ところが、こんな状況でカレンまで相手側に支援をしたら?


 毒蛇のようなカレン五世が

 こんな美味しい獲物を逃さないことをイザベルも知っていた。

 しかし、現在カレンはヒストリアと戦争中だった。


 どんなにヒストリア軍の力が劣っていたとしても、

 カレン五世はむやみに戦線を拡大させる為人ではなかった。

 そのため、

 イザベルは彼らの戦争が終わる前にキエンギル全体を占領しようとしたのだ。


 ところが、

 カレン五世がヒストリアとの戦争が終わる前にキエンギルを支援し始めた。

 「まったく、どいつもこいつも気にいらない。さっさと攻め入っていればとっくに終わっていたことじゃないか!」

 「とにかく、予備費がなくなりました。どうしましょうか?」

 イザベルは爪をカチカチ噛みながら考え込んだ。

 ほどなくして......


 「ため込んでいた武器があったよな? それをタロニッドに売ろう」

 「インスパンと戦っているタロニッドにですか?」

 「カレンはまだ戦争中だ。だから、とりあえず資金援助をする。遅くなる前に全部売ってしまえ」

 「はぁ。そんなことしてインスパンが押されでもしたらどうするんですか? カレンがキエンギルを吸収するかもしれませんよ」

 「絶対にそんなことにならないようにするから指示通りにしろ」


 実際、イザベルはタロニッド王朝の反対派側にも手を回していた。


 部族国家形態の王政なんて元々たかが知れている。

 雀の涙くらいの小さな土地でもつれ合っているだけだから。


 イザベルは

 タロニッドで起きていた二つの王朝の争いを思い浮かべながら鼻で笑った。


 少し前に、キエンギルを長い間統治していたトンデイア王朝が

 レグティクシャ王朝に追い出された。

 その過程でトンデイアの血族たちはほとんどが排除された。


 この時、イザベルは一人しか残っていなかったトンデイア王朝の子孫である

 ハービー・トンデイアを確保している状況だった。


 カードは種類を揃えておくほど有利なものだから。


 反対側で強力な武器を手に入れたと言えばインスパンに

 攻撃的な支援をしようというイザベルの意見もこれ以上は黙殺されないだろう。


 それでもバランスが合わなかったら、

 確保している反対派王朝に内乱を起こさせればいい。

 カレンはキエンギルまで続く航路が確立していないから

 内乱をすぐには制止できないはずだ。


 ならばその時に、ばしっと交渉カードを突き出せばいい。

 キエンギルを丸ごと手に入れられないのは癪に障るが、そこは仕方がない。


 イザベルはもう一度考えた。


 皆が自身の利益を考えていると。

 そのため、皆の利益はどこまでも衝突してしまうものだと。


 彼女はいつもその隙間を狙った。

 そして、少しずつ浸食するように……


「ならば、そのように処理致します」


 ヒリアードは文書を整理した後、イザベルの机の上のグラスにワインを注いで外に出た。

 やっと一人になったイザベルは、ソファに深く腰を沈めて息を整えた。

 少し寝ないといけない。ここ数日無理をし過ぎたから。

 ……


 「イザベル……また誰かを殺すの?」


 イザベルの頭の中に幼いメアリーの声が響いた。


 静かにしろ。みんなお前たちのためなんだから。

 「ふふっ。違うでしょ、イザベル。自分のためでしょ」


 いつか私が本当に偉大になったら、その時はお前の話も全て公開するから。

 そして、皆がお前を忘れないようにしてやる。


 「それどういう意味?イザベル。私たちは誰にも覚えていて欲しくないの」


 真実を世に出そうってことだ。私の本音も一緒に。


 「真実? 本音? そんなのは必要ないわ。そんなのじゃなくて」


 イザベルはこれ以上メアリーの幻聴を聞きたくなくて目を開けてしまった。

 その時、イザベルの目の前にメアリーの歪んだ幻影が現れた。


 海水をたっぷりと含みぶくぶくに膨れ上がった、

 もうメアリーの顔とは言えないそんな形相が……


 「私たちを生き返らせてよ! この人殺し!」

 わかったから、もう黙れ!


 イザベルはありったけの力を振り絞って体を捻じり、

 なんとか眠りから覚めることができた。


 額から冷や汗が流れていた。

 眠りについてからまだ三十分しか経っていなかった。


 メアリーの幻聴は時々イザベルを襲った。

 イザベルの悪夢の中のヒロインはいつもメアリーだった。


 その夢の中で永遠に八歳のままのメアリーは、

 イザベルに人生を奪われたかのように恨み言を漏らすのだった。


 イザベルは首を振った。


 私が殺したんじゃない。

 私のせいで死んだんじゃない!


 そもそも、祖父母が渡航費を用意してくれていたら、

 あんなぼろ船に乗っていたわけがない。

 渡航費をもらっていたら、

 メアリーの家族はインスパンを発ちはしなかっただろう。


 メアリーは夜中に、自分と一緒にいたいと言って、一人で自分のそばに来た。

 いくらメアリーがだだをこねたとしても、

 夜中に幼い娘をなぜ一人で行かせたのか。


 あの時メアリーを行かせていなかったら、

 彼女は両親と一緒に救命ボートに乗っていただろう。


 食料問題だってそうだ。

 当然、十歳の子供の手が届かないところに保管しておかなければいけなかった。

 食料管理さえうまくしていれば

 メアリーの両親とレス・ディマスに到着していただろう。

 そうして生き残らなければいけなかったのに!

 なんで、みんな死んでしまって私を苦しめるんだ!


 イザベルは大きく深呼吸をした。

 こうなってしまったからには、

 自分が彼らの分まで生きてあげるしかないと思った。


 許しを請いたいとは思わなかったが、たとえ許しを請いたくても叶わないことだ。


 既に許しを請うべき相手は皆消えてしまったから。

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