イルマの物語 第4話

八百五十四年一月二日




 ブノワトとカトリンは欺瞞作戦に投入された状況だった。


 トリスが後継者の部隊を狙っているという情報を感知し、

 陽動作戦で敵を撹乱する計画だった。


 彼らはトリスの港地域を占領することにしたが、

 もともとここにはイルマが率いる部隊が入る予定だった。

 ところが、作戦一日前に場所が変わった。


 ブノワトは特に納得していなかったが、カトリンについて戦闘に参加した。

 彼らは歩兵のように見えるように、

 最初はブースターを装着せずに作戦地域に侵入した。


 その後、港にある倉庫でブースターを受け取り装着する予定だった。

 しかし、作戦地域に侵入した瞬間、彼らの予想を上回る数の敵と遭遇した。

 その上、敵の間にはレス・ディマス人と思われる航空部隊も混ざっていた。

 戦闘の様相もおかしな流れで展開していった。


 何人かの部隊員が

 ブースターを持ってくるために陣地を離脱したが戻ってはこなかった。

 通信は途絶え、戦う前に離脱する部隊員が増えていった。


 カトリンとブノワトは残った兵士を生かすために敵の気を引こうとした。

 その時、

 まるでカトリンのいる位置を知っていたかのように敵の砲弾が飛んできた。

 その攻撃でカトリンはその場で死亡し、

 ブノワトは捕虜になって敵軍に連れていかれた。

 

 捕虜になったブノワトとその一行は

 ヴィトゥルースで貴く思われている黒魔法兵だった。

 だが、彼らは帰還できなかった。

 捕虜の交換があるという話もなかった。


 彼らはなんの説明も聞かされずにレス・ディマスに送られらた。

 そして、そこで監禁されて黒魔法の原理を分析する実験体として使われた。

 遠い将来、実験体として扱われた者たちの証言が続いたが、

 レス・ディマスは六十年代以前の人体実験については最後まで否定した。


 監禁されている間、彼はあの日の出来事を何度も考え続けた。

 ほとんど勝っていた戦争でどうしてあのような残酷なことが起きたのか。

 ただ単純に運がなかっただけなのか。それとも、戦略的失敗だったのか。


 戦争の流れが勝利に向かうと、王室や貴族たちはまた色めき立った。

 オルバディアは野心家だったが、能力の秀でた王族ではなかった。

 周辺の差し金なしに、彼一人で何かを企むことはできなかっただろう。


 戦争が始まった時、貴族たちはイルマの失敗を予想した。

 フレイザーは果敢にも、らい病にかかった幼い娘を指揮官に任命した。


 しかし、フレイザーを除いた誰もが、

 イルマが指揮官としてうまくやり遂げるとは信じていなかった。

 戦争には勝つだろうがイルマは没落するだろうと。


 貴族たちはぞろぞろとオルバディアを囲んで囁いていたことだろう。

 何人かの参謀たちに根回しをしておいたので、

 必ずぼろを出すと期待していたはずだ。


 実際、世間を知らない王室の花に何ができるのか?

 戦争の終盤に差し掛かれば後継者に対する疑念が四方から噴出するだろう。

 そうなれば、必ずカトリンにチャンスが来る。

 名声が地に落ちれば、イルマの病気に関する噂はより広がるだろう。


 そうすれば、祭司長は当然イルマの役目になるのではないか?

 いや、いっそのことイルマがこの戦争で亡き者になれば?

 オルバディアはこういった話を聞かされ続けていたのではないか?


「ジジジッ~」


 ブノワトの脳にまた刺激が加えられた」

 彼は苦痛を紛らわすために、また別の思いに耽る。


 もし、オルバディアの側近たちがそう考えていたなら、

 イルマとフレイザーも対応が必要だっただろう。

 戦争が終わる前に

 カトリンの存在を消し去らなければならないと考えていたのではないだろうか?


 カトリンは黒魔道士としても名声を轟かせていた。

 祭司長は犠牲を甘受しなくてはならない職位であるため、それに対する対価も伴う。

 オルバディアにカトリン以外の子がいなかったわけではないが、

 カトリンが死んでしまえば別の兄弟の子に順序が移ってしまう。


 王位も同じだ。

 カトリンが死ねば、彼女の弟妹ではなく、いとこたちに順序が移る。


 しかし、長い間フレイザーと対立していたのはオルバディアだった。

 秀でてはいなかったが、他の兄弟よりは準備ができていた。

 そのため、カトリンが消されてしまったら当分は王の反対勢力の代案がなくなる。


 今回の戦争が終われば、しばらく危機は訪れない。

 少なくとも、時間を稼ぐことはできるだろう。

 この戦争の第一の目標は当然勝利だ。


 では、二つ目の目標は?

 後継者の確立なのかもしれない。


 再び、浅い電気刺激がブノワトの脳に加えられた。

 ブノワトはまた苦痛にもがき苦しんだ。

 そのもがきの中で、

 わけもわからないまま自分たちと共に戦い死んでいった者たちが浮かんだ。

 共に捕虜になって連れてこられた者たちの戸惑った表情が浮かんだ。

 もぞもぞ動いていたアイラの顔が浮かんだ。

 世界で最も透き通った笑顔を浮かべることのできるカトリンの顔が浮かんだ。


 カトリンは一度も他の人を恨んだことがなかった。

 イルマを可哀想に思い、自身の支援者たちの欲望を理解した。

 しかし、彼女の立場を理解してくれる人は誰もいなかったようだった。


 だからこそ、ブノワトはこの女性を守りたかった。

 自分には何もなかったが努力しようとしていた。

 小さくても何かしらの地位を得られたら、爪の垢ほどの名誉でも得られたら、それで王室出身の彼女の横に立つ最低限の資格を持つことができれば...

 自分が彼女の全てを理解して守り抜く。


 ところが、カトリンは最後までブノワトの存在を明かしはしなかった。

 王室の勢力争いにブノワトが利用されるのが怖かったためだ。

 彼女はブノワトまでも守り抜こうとした。

 世界の全ての人を守りたがっていたその女性を...


 周囲の者は彼女を利用するだけして、挙句の果てに死に追いやった。

 自身たちの権力の安定のために。

 ブノワトは遠ざかる意識の中で、カトリンの笑顔を必死に思い出そうとしていた。


 数年後、

 レス・ディマスで用のなくなったブノワトは、ムジールに売られることになった。

 ブノワトがムジールで過ごした数年間については知られていない。

 しかし、

 少し経ってから、ムジール出身の暗殺者が黒魔法を使うという噂が広まり始めた。

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