カロスの物語 第3話

八百四十六年九月二十日




 「あいつらと群れて歩くなって言っただろ!」


 休暇をもらったカロスは健康になったダーシーを座らせて怒り始めた。

 ダーシーが誰かと連れだって歩いているという噂を聞いたときは、

 病気が治ったようで嬉しくもあった。


 しかし、妹が会っている人たちはどこか胡散臭い知識人たちだった。

 その上、一銭も受け取らずに地域の浮浪児たちに何かの教育を施すと言った。


 妹の行動が善意からのものであっても、別の人から見たら純真すぎるだろう。


 貧しい子供たちが皆心がきれいだというのは偏見だ。

 浮浪児たちが、与しやすく見える妹に何をするかわからない。


 「変な人たちじゃないから」

 「お前みたいなもんが反対したからって、王が採掘権を取り返してくると思うか?」

 「お兄ちゃん、私も何も考えずに採掘権を返せって言ってるんじゃないの。しっかりと準備して……」

 「うるせえ! 何が準備だ! お前に何ができるんだ!」


 カロスは咄嗟に大声を出してしまった。


 「今ザハマンの子供たちがどう暮らしてるか知ってる? こんなに悲惨な暮らしをしてるのを見てじっとなんてしてられないじゃない! 何か行動を起こさないと!」

 「俺がじっとしてるか? こんな状況だから、危険な仕事をして金を稼いできてんじゃないか!」

 「……お兄ちゃんが稼いできてるお金がどんなものだか知ってる?」


 ダーシーはしばらく口をつむってカロスを軽蔑に満ちた眼差しで見つめた。

 そんな妹の眼差しに慌てもし、悲しくもあったカロスの声が大きくなった。


 「何だと? お前何が言いたいんだ。お前、俺が今までどうやって……」

 本当に腹が立ったが、言葉が続かなかった。

 自分がどうやって生き残ったのかわかるかと言えば、

 ダーシーは何があったのか言えと問い詰めてくるだろう。


 怒りに我を忘れ、自分がどんな方法で生き残ったのか妹に言ってしまったら……

 身に起こった全てのことを妹が知ってしまったら自分を怪物だと思うだろう。


 俺は殺人鬼じゃない。


 腹立たしかったが、カロスはもう一度言葉を飲み込んだ。

 戦場では誰でも殺人鬼になる。


 人が死んでいく中で血が沸くのは快感のせいではない。

 暗闇の中で相手の首を掻く時に心臓が破裂しそうになるのは興奮してではない。


 我々は一日に何十回もあの世の扉の前まで行っては引き返してきた。

 一歩進んでいたら、我々もやはり死の扉を開けていただろう。


 我々の血が沸き、鼓動が速まるのは地上に戻りたいという復帰本能のためだ。

 ところが、健康を取り戻した妹は兄の稼いできた金が汚いと非難していた。

 結局、帝国が全ての弱小国家を滅ぼすんだと言いながら、

 兄のような傭兵が帝国の奴らを助けているんだと怒っていた。


 カロスも自分のしていることが高潔なことではないことはわかる。

 しかし、このまま数年間お金を稼げば妹と一緒にこの国を離れることもできる。

 自国が弱小国なら強大国に移住すればいい。


 故郷? 祖国? くだらない。

 そんなものが俺たちに何をしてくれたのか。


 労働に明け暮れた両親が病気で死んだ時も、

 結核にかかった妹の面倒を見てくれる人がいなかった時も、

 祖国は俺たちに何もしてくれなかった。


 それなのに、俺がなぜ祖国がどうだとか考えなくてはいけないんだ。


 俺のどこが悪い?

 俺がどうやって生き抜いてきたと、俺がどんな気持ちで金を稼いできたと思ってんだ!


 「とにかく、しょうもないことはすんな! もう一度集会場に行ったらただじゃおかないからな!」

 「お兄ちゃんはザハマンに数日しかいないじゃない。 どうただじゃおかないのよ」

 「だから、お前を監視する人を三人も雇った」


 カロスも健康になったダーシーを自由に行動させてあげたかった。

 しかし、自分はすぐに遠い国のジャングルに行かなければいけなかった。

 そもそも、そこで死の恐怖と戦い、苦労しているのも

 妹と平穏に暮らすためだったのに、妹に何か起きたら耐えられない。


 「何なの? 私が子供だと思ってんの?」

 「だったら、子供のようなことはすんな!」


 ダーシーは不満そうに唇をぐっと噛み、

 カロスの膝の上に本を一冊投げて自分の部屋に戻った。

 カロスは本には目もくれず、テーブルの上に投げ、荷物をまとめ始めた。

 ダーシーがカロスに投げつけた本の表紙にはこう書かれていた。


              『異界からの伝言』

               ヴォルテール

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