カロスの物語 第2話

八百四十四年七月十二日




 西側の植民地のジャングル地域。

 カロス・アンタレスが傭兵となり、初の戦闘に参加していた。

 該当部隊は傭兵でのみ構成されており、カロスは偵察兵だった。


 最初は緊張もしたが、約二週間何の作戦命令も下されなかった。

 緊張感が緩みつつある時に作戦は始まった。


 「あれ?……あれ?……」


 カロスは茂みが鬱蒼としたジャングルの真ん中で

 方位磁石さえ確認できないまま、漠然と北と考えられる方向に歩き続けていた。


 「偵察兵が道を失うとは……」


 カロス自身も情けないと思ったが、初の戦闘だったので不慣れなのは当然だった。

 この部隊の傭兵たちはそれぞれ別の国から集められていた。


 意思疎通のできない兵士たちばかりだった。

 訓練のようなこともしたが、期間は二週間しかなかった。

 当然、突発事項に対処する方法などは聞いていなかった。

 体中が汗でびしゃびしゃになったが、湿度が高すぎて少しも渇きそうになかった。


 すぐにでも軍装を脱ぎ捨て、残った水を全て飲み干してしまいたかった。

 最後にちゃんとした物を食べたのはいつだったのかも思い出せなかった。


 上層部からは、

 ジャングルのあちこちにある敵の舞台を撃破して補給を奪えと指示があった。

 そのため、進撃ルートは敵の部隊を経由する方向に組まれていた。

 当然目的地までは回り道となる。


 ここまでも非効率の極致だったが、これ以降も馬鹿げたことが起こる。

 傭兵隊長は敵の補給を奪うだけでは充分ではないと判断した。

 それで、進撃ルートに小さな村を入れた。


 民間人の村が含まれているということに傭兵たちも拒否感を感じて、

 最初は意識的にルートから外していた。

 しかし、空腹は彼らの道徳性を麻痺させた。

 数週が過ぎると、彼らはとうとう民間人の村に手を出し始めた。


 彼らはただ補給のためだけにその村を焦土化させた。

 しかし、村には彼らが予想しただけの食料が備蓄されていなかった。

 その時、

 部隊員のうちの誰かが村で飼っていた家畜を連れて行こうという意見を出した。


 家畜に荷物を乗せて行き、

 食料が尽きるたびに一匹ずつ食べようということだった。

 このジャングルで訓練されていない家畜を連れて行き、

 まともに舗装されていない道を行こうだなんて……


 非常識な意見だったが絶望的な飢えを経験した後だったので、

 この馬鹿げた意見は通ってしまう。

 それで、この非効率の極めつけである部隊は

 家畜まで引き連れてジャングルを突破することになった。


 間もなく彼らはジャングルの真ん中を流れる川を渡らなくてはならなかった。

 いつからか、ぽつぽつと雨が降っていた。

 蒸し暑いジャングルに降る雨は

 気分の悪い熱気を傭兵たちの体に一層纏わりつかせた。


 カロスは無意識のうちに唾を吐き捨て、汚い言葉を口にしていた。

 どうか川に到るまでには雨が止むようにと祈っていたが、

 むしろ雨脚はだんだんと強くなっていった。


 しばらく雨が止むのを待っていたが、

 止みそうな気配がしないので彼らはこのまま川を渡ることにする。

 川の幅が狭かったため、渡河が可能だと判断してしまったのだ。


 川を渡れなかったら、来た道を引き返すことになる。

 引き返すということは川を渡ることと同様に忌まわしいことだったので、実際のところ彼らに選択の余地はなかった。


 それで、雨の降るジャングルで家畜を引き連れて川を渡る部隊となった。

 しっかり整備された道路でさえ荷物を積んで人に従う家畜は馬やラクダくらいだ。

 それが、道路どころか

 人がまともに歩ける道さえもないジャングルで家畜を連れて川を渡るとは。


 それだけではない。

 川を渡った彼らが初めて戦闘を繰り広げることになった相手は敵軍ではなくジャングルにだけ棲息するオオトカゲの群れだった。


 オオトカゲの大きさは三メートルに達していた。

 文明化した都市に暮らしていた者たちが一度も見たことのない生物だった。


 俺には面倒を見なくてはいけない妹がいる。

 俺がいなかったら薬も買えないたった一人の妹が。"


 これは言い訳ではなく本心だった。

 しかし、たとえ逃げずに戦いたくても戦う方法がなかった。


 たった二週間の訓練を受けた新米の偵察兵には

 混乱に陥った部隊をどうすることもできなかった。

 それでカロスは一目散に逃げだした。

 どれくらい歩いただろうか。

 まともに歩けているか。


 理想的な判断はできず、ただ生き延びるんだという本能だけが彼を動かしていた。

 意識が朦朧とし始めた時、どこからか人の声が聞こえてきた。

 安堵感よりは恐怖心の方が大きかった。


 短い経験ではあったが、今まで見てきた限りでは、

 ここで敵軍に捕まったらまともな捕虜の扱いは受けられないだろうと思った。


 カロスは咄嗟に茂みの中に隠れた。

 それほど離れていないところで

 四人の部隊員が捕虜として敵軍に引かれて行くのが見えた。

 敵軍は十人もいなかった。

 彼らは捕虜を一列に並ばせてその場で処刑しようとしていた。


 カロスは本当に平凡な青年だった。

 そのため、この状況に激怒するのは当然だった。


 いくら逃げたとはいえ、仲間が死ぬのを目の前で見ていられるわけがない。

カロスは頭の中で計算し始めた。


 一番近くにいる者を最初に狙撃し、場所を特定される前に更に二人を処理し、煙幕弾を投げ、銃剣で接近戦をすれば可能性がある。

 自分が飛び出せば捕らわれている仲間も反撃するだろうから。


 頭の中で何度も自身の計画をシミュレーションしてはまたシミュレーションし……

 しかし、カロスは茂みの中から一歩も踏み出せなかった。


 「バン……!」


 銃声が響き渡ると、カロスは心臓が破裂するかと思った。

 今飛び出してもまだ遅くはなかった。

 敵の視線が捕虜に向かっていたから。


 カロスが目をきょろきょろさせながら、もう一度シミュレーションしていた時、

近くの木の上で体を縮こまらせて葉の間に隠れている人を見つけた。

 よく見えなかったが同じ軍服を着ていた。

 自身を見守る視線があると思うと、

 こうして隠れてばかりいる姿を見せてはいられなかった。

 自身の卑怯さを誰かが見ていると思うと

 恥ずかしさが込み上げてたまらなくなった。


 しかも、今は一人ではなく二人だ。

 あの人は俺より上級者のように見えるから、俺に合図を送ってくるかもしれない。

 ならば、その時に飛び出して……


 カロスがどうしていいのかわからずびくびくしていると……


 「バン……!」


 と二発目の銃声が鳴り響いた。

 その時、木の上にいた人はカロスを見下ろしながらわずかに首を振った。


 「バン……!」


 と三発目の銃声が鳴り響いた。


 カロスの視線は気の上の誰かに固定されたままピクリともしなかった。

 瞬きもしないままで。


 あの人は首を振った。

 あの人は上級者だ。

 俺は飛び出して捕虜を助けようとした。

 頭の中で計算した時は充分に可能性があった。

 一人では難しかったかもしれないが二人なら充分に制圧でき…….


 「バン……!」


 四名の捕虜が皆死に、敵軍がその場を離れて行った。

 カロスはその時初めて目を閉じた。

 何か熱いものが、

 おそらく汗だと思われる熱い滴がカロスの頬をつたって落ちた。


 その戦闘で部隊に無事に復帰できたのは三十人もいなかった。

 敵軍も我軍も何一つ目標を達成できないまま、

 兵だけが死んでいった意味のない戦闘だった。

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