カロスの物語 第1話
八百四十三年六月十五日
「取り消すって言ってきて!契約金を返せばいいじゃない!」
「駄目だ。薬代ももう全て払ったし、俺がいない間お前の世話をする人も雇った」
「誰がお兄ちゃんに傭兵までして治して欲しいって言ったのよ」
「なら、治療できるのにしないっていうのか」
「……お兄ちゃんは弱すぎるから銃一発も撃てないうちに死ぬに決まっているわ。一番最初にね!」
カロスを見つめるダーシーの目に怒りと心配が同時に込められていた。
幼い頃に両親を亡くし、二人きりで生きてきた兄妹だった。
親なしで育ったので、平坦な道のりではなかったが、
それでも大きな問題なく順調に暮らしてきたと思っていた。
数年前にダーシーが結核にかかる前までは。
当時は結核は完治しない病気だった。
療養生活をしながら日々状態の管理をする程度の治療しかできなかった。
ところが、八百四十三年に結核治療薬が開発された。
当然、ザハマンに住む平凡な青年であるカロスには途方もなく高い価格だった。
いや、ザハマンに住んでいるせいで薬代も余計に高かった。
経済状況が良くないザハマンの物価が暴騰して久しい。
通院どころか薬の購入さえも難しい状態だった。
そんな状況で、
開発されたばかりの結核薬は代金を上乗せしてやっと購入できるものだった。
カロスにとって家族はダーシーしかいなかった。
治療する方法があるならば当然治療しないわけにはいかない。
経済が崩壊しかかっているザハマン国内には
まとまったお金を稼ぐ仕事があまり無かった。
いや、あまり無かったのではなく、全く無かった。
そのため、カロスのように
軍人とは似ても似つかない青年が傭兵の募集に応じることとなった。
命をかけなければいけない傭兵は報酬が良かったからだ。
この当時、レス・ディマスやカレンのような帝国は植民地拡張に熱を上げていた。
帝国は植民地での戦闘によく訓練された自国の軍人を投入したがらなかった。
植民地によって風土が違い、軍事技術の差も大きかった。
こんな状況で、
よく訓練された兵士を戦闘ではない理由で失うのは惜しかったからだ。
特にレス・ディマスのような場合は
徴兵制を敷いていなかったので常に軍人が足りなかった。
「お前は知らないだろうけど、俺は見た目と違って結構強いんだぞ」
「私のために戦争に行ってお兄ちゃんが死ねば、私は長生きして幸せに暮らせる。そういうこと?」
「おい! 縁起でもないこと言ってんなよ! 何で俺が死ぬんだよ!」
現在存在する傭兵隊の隊員のほとんどはベテランだった。
戦闘経験の豊富な本物の殺人マシーンたち。
しかし、なぜ傭兵隊のほとんどがベテランなのか?
新兵たちのほとんどは最初の戦闘を乗り越えられずに死んでしまうためだ。
それで、傭兵隊は常に新兵が足りなかった。
だから、平凡な青年のカロスも最初の戦闘を乗り越えられずに死ぬ確率が高い。
「……約束して。絶対に前に出て行かないって。危ないと思ったら必ず逃げるって約束して!」
「まったく、心配し過ぎなんだよ。うまく隠れて回るから心配せずにちゃんと治療を受けろよ。わかったか」
カロスも怖くないわけではなかった。
しかし、体力には自信があり、要領がいいとよく言われてきた。
何でもすぐに覚え、人ともすぐに打ち解けた。
そのため、部隊でもうまくやれるだろうと思っていた。
そこだって人が住むところじゃないか。
カロスはできるだけポジティブに考えて漠然と恐怖を振り払った。
こうして、ザハマンの平凡な青年は
自身の国とは全く関係のない遥か遠い地に向かうこととなった。
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