ザグマルマン七世の物語 第4話
八百五十三年三月九日
八百五十三年、膨らんだ負債にこれ以上耐えきれなくなったザハマンは、 カレンと財政保護条約を締結した。
条約というのは名ばかりで、ただ属国になるということだ。
より残酷に言えば、植民地と別段変わりはなかった。
王が主権を失うということは、民を失うことと同じだ。
これ以上ザハマンの民はザグマルマン七世を自分たちの王だと思っていなかった。
十一月二十日。
ザグマルマン七世が港の視察から戻る時に市民に石をぶつけられた。
その瞬間、ザグマルマン七世は激怒するのではなく、
あまりにも驚いてその場で固まってしまった。
結果が良くなかったとはいえ、彼は生涯ザハマンのために尽くした。 父が潰してしまった国、自身に何一つしてくれない国のために…… 個人的な贅沢は何一つしたことがなかった。
そのため、舵取りがうまくいかなかったとはいえ、
この国が自身を理解してくれていると思っていた。
その日の夜、執務室で彼は老いた宰相を目の前に座らせて不満をぶちまけた。
どうして市民たちは自分にこんな仕打ちができるのかと。
「殿下、最後に殿下に申し上げたいことがありますので、どうかお聞きください」 しばらくの間王の恨み言を聞いていたグルノーブルが口を開いた。
「貴君はどこか遠くにでも行くのか?」
「殿下でさえも道で石をぶつけられるのに、私が無事でいられると思いますか。 いつ死ぬかわからないので今申し上げるのです」
「……縁起でもないことを言うな!」
「とにかくよく聞いてください。もう殿下はこの国ではなく、ディオ王子様のた めに生きなくてはなりません」
「王になった者にどうして国より息子のために生きろというのだ!」 「ですが、殿下は王子様をとても大切にされておいでではありませんか」 「それは……親となった者ならば当たり前のことだ」
「これからは王というお役目がそれほど重要ではないでしょう。ですから、どん な状況になっても王子様の教育は諦めないでください。王子さまはご聡明ですので、 王ではなくても他の道でうまく生きてゆかれることでしょう」
「まだ二歳の子供が聡明なのが、貴君にはどうしてわかるんだ?」 「私は殿下の幼い頃を覚えています。ディオ王子様は殿下よりも数倍ご聡明です」
「貴君は俺をからかっているのか?」
「滅相もございません。そして殿下。また通りで市民に石を投げつけられたら全 力でお逃げください。恥ずかしいとお考えにならず、また彼らを殿下の民だともお 考えにならないでください」
「ふむ……」
グルノーブルは両手でザグマルマン七世の手を包んだ。
その手には小さな宝石が握られていた。
「殿下は贅沢をされないので、私にも財産はありません。差し上げられる物もこ の程度のものしかありません」
「これは何だ? まだ俺は貴君に施しを受けるほどではない」
「施しではなく私の気持ちです」
その時、ザグマルマン七世はグルノーブルの両手を見た。
深い皺がたくさん刻まれた、彼の老いに老いた手を。
「貴君も......老いたな」
「殿下。今更老いただなんて。私はずっと前から老いております。もう夜も更け ましたのでお暇させていただきます」
グルノーブルが「よいしょ」と腰を上げると、
ザグマルマン七世は名残惜しそうに彼に声をかけた。
「貴君は俺より先に死ぬでないぞ!」
「……私がどうしたら殿下よりも長く生きられるんですか」
グルノーブルはからからと笑いながら振り向いた。
ザグマルマン七世が通りで石をぶつけられた時、
グルノーブルもやはりその場にいた。
通りでデモをしている者は一人や二人ではなかった。
もう王を愛する民は一人もいないだろう。
既に多くの民がザハマンを捨てて別の国に向かったことも知っていた。
グルノーブルは全財産をはたいて船を数隻買った後、
海軍将校のバーテルを訪ねた。
八百五十三年三月九日
「本当にその船を私が預かってもいいんですか?」
今日バーテルに頼んだのは、
「他に頼める人がいないんだ。でも君は今まで市民たちを外国に脱出させていた から、一番適してるんじゃないか」
「ちょうどザハマン出身の傭兵隊を探していたんです。 大規模な住民団と一緒に 行くには軍隊が必要です」
「そうだよな……ザハマンに残った軍人の中に使い物になる奴はいないよな。で も、傭兵隊と契約するのはかなりの金が要るんじゃないか?」
「何か別の条件を掲示してみようと思います。お金ももっと集めることにして」 「うん、うん。君はまだ若く義理堅い男だからうまくやれるだろう」 「最後までサポートしていただけたら心強いのですが」
「そうしたいのはやまやまだが、見ての通り俺はもう老いぼれだろ。長くは生き られないさ」
「……ですが、何かありましたら連絡させていただきます」
「うん、うん。とにかく頑張ってくれ」
グルノーブルはバーテルの肩を叩いて家に戻った。
夜はとても深く空気も冷たかった。
全財産をはたいたグルノーブルに残されたものは何もなかった。
ザハマンを捨てる人たちの支援をしろということだった。
生涯をザハマンのために生きた彼が初めて、
国に背けと言ったのと変わりなかった。
家に戻ったグルノーブルは何もなくがらんとした書斎に入り、机の前に座った。 窓の外の闇が仄かに明るくなったところを見ると、もうすぐ朝が来るようだ。 彼は静かに引き出しから銃を出し、銃口を咥え引鉄を引いた。
無能な王たちは彼の苦労が
どのようなものだったかを理解していなかったが、
彼は自身の責務をないがしろにしたこともなく、
老いて調子の悪い体をケアするためにゆっくりと休んだこともなかった。
この日、
彼は生涯でたった一度、これほどまでに愛した祖国に背き、長い眠りについた。
それから四年後、
ザグマルマン七世はザハマンを離れ外国にこっそりと亡命しようとしたが、 市民に車から引きずり下ろされ、暴行を受けて死亡した。
そうしてザハマンはカレンの領土になった。
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