第6話 取り調べ
そのことは、二人にとって幸いなことで、ここで目が合っていれば、
「二人の関係は確定だな」
と思われていたことだろう。
もちろん、すぐにバレる関係ではあるが、南部とすれば、
「少しでも分かるまでに時間が掛かってほしい」
と感じたのは、間違いではなかった。
この時間の差は、警察側から見れば、本当の一瞬なのかも知れないが、
「疑いを掛けられているかも知れない」
と感じている南部にとっては、ほんの少しの時間であっても、ありがたいと思っているに違いない。
そんなことを考えていると、
「刑事と容疑者の関係」
というものがどういうものなのかというのが浮き彫りになっていく気がして仕方がなかったのだ。
桜井刑事が、その時、
「自分たちがどういう関係にいるのか?」
ということを感じていたようだ。
まだまだ初動捜査で、これから徐々に事件が分かってくる段階であれば、彼は、自分の立場だけを考えるのではなく、犯人の心理状態も考えるようにしている。
もちろん、
「犯人が誰なのか?」
ということが、おぼろげながらに分かってくるにしたがって、犯人の立場を考えることもある。
しかし、それは相手がある程度分かってきてからというもので、今の段階では、
「誰だって犯人の可能性はあるんだ」
と言える時に、犯人の心理を考えるというのは、あまりにもおかしな話ではあるが、桜井刑事は、刑事になってからすぐくらいから、そういう考えに至っているのであった。
そんな桜井刑事の気持ちを、他の刑事は分かっていない。
「分かるくらいだったら、自分でもやってみようと思うのが刑事というものだ」
と考え、
しかし、自分のまわりに、
「そういう骨太のやつがいないというのは、実に嘆かわしい」
と考えた。
だが、それも、個人それぞれの考え方があるというもので、それをコントロールするのが捜査本部というものだ。
捜査本部がキチンとうまく機能すれば、
「事件解決まで、時間の問題」
ということになるのだろうが、さすがに警察は縦割り社会。
なかなかうまくいくものではないのだ。
とりあえず、奥さんにその状況を見てもらった。
さすがに、他人である南部たちでも、死体が転がっているのを見ると、恐ろしいのに、いくら冷え切った関係とはいえ、身内の死体が転がっているのであれば、これほど怖いものはない。
奥さんは、むせぶような泣き方をした。
家庭が冷え切っていることを分かっている南部も、彼女のむせぶような声が、
「最愛の旦那を亡くした」
という声ではないということは当然分かっている。
しかも、同じことを、ここにいる刑事たちも分かっているということを、さすがの南部も分かるはずもなかった。
ただ、先ほどの刑事の耳打ちの後で、
「南部さん、あとで事情を伺います」
というようなことを言われたのだから、それは、南部としても、何とも困ったことになってしまったではないだろうか。
「ご主人に間違いないですか?」
と聞かれて、
「ええ、間違いありません」
と答える奥さんを、刑事たちはどういう目で見ていただろう。
きっとその目で、南部の方も見ていたに違いない。
何屋r、欺瞞に満ちたかのような、一種異様な人間模様の中での、初動捜査であったが、遺体は、初動の鑑識が終わり、警察署の方に運ばれていった。
取り残された奥さんと、南部には、まだまだこれから取り調べがあるようで、もう一人の警備の人間はその場から離れ、帰されることになった。
「お二人には、申し訳ございませんが、警察まで御同行いただけますか?」
と言われ、さすがにここで拒否できるわけもなく、すくなくとも殺人には関与していないのだから、ここで拒否るのは、却って立場を危うくするものであろう。
「殺人に比べれば、不倫を暴露するくらいは何でもないことだ」
ということである。
ただし、不倫をしているということがバレると、
「犯人に仕立て上げられるかも?」
という思いが南部にはあり、
「どうして、刑事さんが南部さんを疑っているのかしら まさか南部さんが二人の話を警察にしたということなんおかしら?」
と、まったく事情を知らない奥さんは、南部のことを疑ってみるのも、無理もないことであった。
二人は各々、まったく違った見方でお互いを見ていて。肩や、
「疑われたことで気を病み」
もう一人は、
「不倫のことを喋られたのか?」
ということで、相手に対して不信感を感じてしまったのか、おかしな空気であった。
ただ、南部にしてみれば、まさか、奥さんが自分に不審がっているとは思わなかった。なぜなら、
「奥さんが万引きをしているところを捉え、それを許してやったのは、自分だ」
という自負があるからで、逆に奥さんとしては、
「この人は私の魅力のとりこになったんだ。美というものが私の武器なんだ」
と、まったく違う感情からの不倫だったことで、そもそもの方向性が行き違っていた。
南部とすれば、
「見逃してやった上に、旦那の愚痴まで聴いてやるという意味で、あの女は俺に頭が上がらないはずだ」
と思っていることだろう。
しかし、女とすれば、
「私の美貌にぞっこんで、だから自分を許してくれたんだ。身体を提供しているんだから、どっこいというよりも、私の方が有利よね」
と思っていた。
しかし、立場としては、男の方が絶対的に有利であった。
なぜかというと、
「相手には旦那がいて、自分が独身だ」
ということだったからだ。
だとすれば、
「南部に、旦那を殺す動機はない」
ということである。
「旦那を殺してしまうと、せっかく、表から見た絶対的に有利な自分の立場を、自らで消してしまうことになるからではないか」
ということである。
そういう意味で、状況的に、今見えている部分でいけば、
「南部に殺害の動機はなく、ただの参考人でしかない」
ということだった。
だが、実際に警察に呼ばれた南部とすれば、そこまで頭が回るわけもなく、
「警察は何を考えているのだろう?」
というところから先が見えてこないのだった。
K署の取調室に入って、事情を聴かれたが、昔の刑事ドラマの見過ぎなのか、どうしても、まるで拷問のような捜査をされるのではないかと、内心どきどきしていたが、実際にはそんなことはなかった。
取調室とはいいながら、普通に話を聴かれただけだった。最初は、現場で南部が話したことを、再度確認という意味で、聞き直しただけであったし、不倫というところの核心部分も、
「あなたと奥さんである、松前潤子さんがどういう関係でおられるかということは、正直我々には関係ないんですが、ただ、その奥さんの旦那が殺されたとなれば、話は別です。あなたは都合が悪いと思うことは話さなくてもいいですが、下手に隠し立てをすると、あなたのこの事件においての立場が厄介なことにならないとも限りません。それだけは分かっていただいてのお話になりますね」
ということであった。
「あなたと、奥さんとはいつ頃からだったんですか?」
と聞かれて、少し黙っていると、
「奥さんには、あなたが喋ったとは言いません、ただ、それもあくまでも、事件に関係のないところだったらですね」
ということであった。
刑事のいいたいのは、逆に、
「あなたが言わないことは、すべて、後で分かったとしても、それはあなたへの疑いになります」
と言っているのと同じである。
それを思うと、さすがに南部も話さないわけにはいかなかった。
「私がまだ、前の会社、つまり警備会社に勤めている時に、ちょうど彼女が客だったのですが、私が万引きの現場を見つけた時だったんです。ちょうど半年くらい前ですかね?」
と考えながら話した。
時期に関しては正直、曖昧で、半年というのも、正直曖昧な感じであった。
「なるほど、それであなたは、お店の方につき出したんですか?」
と言われて、
「最初はそのつもりだったんですが、どうも彼女を見ていると急に気の毒になってきて、それに彼女がとても魅力的に見えてしまったもので、言い方は悪いですが、好きになった弱みという感じでしょうか?」
というと、刑事の方も、グサッと来るところをつくように、
「女の色香に惑わされたというところですか?」
と言われ、まんざら嘘ではないと思ったので、本来なら抵抗すべきところを、何も言えなくなってしまったのだ。
「なるほど、今のご様子で大体分かりました。先ほども言いましたように、我々は不倫ということに関しては、警察には、民事不介入という鉄則がありますので、何も言いませんが、不倫をしている奥様の旦那が殺されたとなると、話は別ですからね。あなたも一応容疑者ということになる。ただ、あくまでも、登場してくる人物、皆にすべて容疑者として疑うところは疑うということです。ちなみに、あなたは、昨日の夕方は何をされていましたか?」
と聞かれたが、その答えは即行であった。
「夜出てこなければいけなかったので、昼過ぎくらいから、夜の8時くらいまでは寝ていました」
というと、
「それを証明してくれる人は?」
と刑事が聴くと、
「いるわけないじゃないですか? 俺は一人暮らしなんだ」
と、少し怒ったようにいうと、
「でしょうね」
と冷静に答えた。
まるで答えが分かっているかのようである。
まるで、相手を試すような、いかにも冷静で相手をあざ笑っているかのような態度に、さすがに南部もムッときたようだ。
「まあ、でも、それは一応信じるとして、奥さんというのはどういう人なんですか? あなたの目から聞いてみたいですね」
と刑事は言った。
その時、南部は感じた。
「そういえば、俺たち不倫をしていて、彼女の愚痴も聴いてやってはいるが、相手がどんな性格なのか、最初の頃は気にしたものだが、途中から、どうでもよくなってきたような気がしたな」
と感じたのだ。
だが、それを刑事に言おうとは思わなかった。
「不利だと思うことは言わなくてもいい」
ということであったが、これなら別に後から分かっても問題ないことのように思えたからだった。
最初の頃は、
「俺があの女を助けてやっているんだ」
と思っていた。
そのおかげで、
「あの身体を頂いた」
と思ったのだが、普通であれば、
「ほしいものが手に入れば、飽きるのも早い」
と思っていた南部であり、そもそも南部が結婚しないのは、
「好きな女と結婚したとしても、欲しくてたまらないものが自分のものになってしまうと、すぐに飽きちゃうんだよな」
と思うことだった。
つまり、
「俺って、飽きっぽいんだよな。刺激を追い求める性格なんだろうか?」
と感じたのだった。
しかも、その度合いが、どんどんエスカレートしてくる。
だから、限界のあるものには、すぐに限界が来ることを感じ、その時に、飽きっぽくなって、下手をすれば、
「見るのも嫌だ」
と感じるのではないかと感じるのだった。
南部が取り調べを受けている間、奥さんの方も、別室で取り調べを受けていた。
南部が、まさか、自分のことをそんな風に思っているとは感じていない潤子は、さすがに、刑事に対して、不倫のことを聞かれて、正直に答えたとしても、
「色仕掛けで、罪を許してもらった」
などと言えるわけもなく、逆に、それを南部の方に言われてしまうと、困ると思ったのだ。
「たぶん、刑事は、私を疑っている。不倫をしていたという事実だけで、私は不利なのだ。南部が独身であるということを考えると、南部の容疑は薄くなるだろう。南部に旦那を殺す動機がないのだし。私に対しても、旦那の存在が、私に対してあの人の絶対的有利を感じさせているのだと思っていれば、あの男は、あることないこと話すかも知れない」
というのが怖かった、
しかし、問題は、
「誰が旦那を殺したのか?」
ということであり、
「それに対して、一番の今のところの疑いが掛かるのは、この私ではないか?」
というのが、潤子の方の考えではないだろうか。
「ところで奥さんは、旦那さんとは、どういう感じだったんですか?」
と聞かれて、
「旦那とですか?」
と言ってから、少し考えていたが、その表情は、明らかに、
「変なこと聞かないでよ」
とでも言いたげで、完全に自分の立場を押し出して、対決姿勢に見えた。
「どうしても言わないといけませんか?」
という言葉が、明らかに相手を責めているようにしか聞こえず、
「相手が刑事であっても、私は私」
という性格に見えて仕方がなかった。
桜井刑事も、
「さすがにここまでとは思わなかった」
と思うほどに、自尊心とプライドの高い女であるということを思い知ったのだった。
「そうですね、できればお願いしたいですね」
と、少したじろぎながら話をした。
「うちの旦那とは、ほとんど夫婦生活はありませんでしたね。最初の頃は結構まわりがうらやむくらいの仲だと思っていたんです。でも次第にお互いにすれ違っていったというか、正直に思うのは、相性が合わなかったのかも知れませんね。夜の生活も決してあっていたと思ったことはなかったくらいですからね。結婚したら誰もが思うじゃないですか? こんなはずじゃなかったってですね。そんな感じでしょうか」
というので、
「これをいうと、仕方のないことかも知れないんですが、離婚は考えなかったんですか?」
と、もう一人の刑事が聴いてみた。
本当は、
「この質問はしてはいけない」
と思っていたことだっただけに、口から出てしまった以上、しょうがない。これを却って庇ってしまうと、話がややこしくなるだけであるのは分かっている。
そうなると、このまま突き進むしかない。
相手も、あからさまな嫌な顔をしたが、それも一瞬で、
「別れようと思った時もありましたよ。でもそれをしなかったのは、お互いに楽しめることがあるのなら、この状態でもいいじゃないかと思ったんです。別れるなら、本当に別れた方がいい瞬間に別れればいいという感覚ですね」
というのだった。
「本当に別れたらいい瞬間?」
と刑事が聴いた。
「ええ、そうですよ。人間、結婚する時、結婚するには一番いい時ってあるでしょう? 相手が決まっていない時は、結婚適齢期という幅の広い時期で考える。相手が決まっていれば、結婚するのに一番いいと思った時期に、プロポーズして、結納、そして結婚式となるわけじゃないですか? 別れる時というのもあると思うんですよね」
と言い始めると、誰も口を挟む人はいなかった。
彼女はそれをいいことに、話を続ける。
「世の中には辞め時というのがあるでしょう? 例えば、ギャンブルのようなものだったりですね。結婚生活だってあると思うんですよ。さらにもっといえば、始めるよりも、辞める方が何倍も難しいというじゃないですか。結婚もその一つであり、特に戦争などの場合などによく言いますよね」
と彼女はいう。
「確かに、それはいいますね。我々の仕事でもたまにありますよ」
というと、彼女はにっこりと笑い、
「そうでしょう? その通りなんですよ。戦争だって、始めるのも確かに難しいけど、終わるタイミングが難しい。相手が強い時は、ちょうどいいところで和平に持ち込むとか、こっちが強い時は、もっと難しい。相手を完膚なきまでにやっつけてしまうと、あまりにもひどい状態に陥ってしまうと、血も涙もないというような言われ方をするでしょう? 実際に勝ち続けても、まわりが受ける院長を違った形で与えてしまう。まわりから、恐ろしいと思われる、どうしようもなくなるでしょう?」
というのだ。
「なるほど、それを結婚にも当てはめるというわけですね?」
と、彼女の話が若干強引に見えるところから、少しそれを制する形で、その核心をつくような聞き方をしたのだった。
今のところ、彼女の話が大きくなりそうなところを、少し諫めたというところであったのだ。
「あなたたちが聞きたいことは分かっています。私が不倫をしていると思っているんでしょう? たぶん、どこからかご注進でも入ったのかも知れないんだけどね。ええ、私は不倫をしているわよ。でも、これだって、元々不倫をしたのは、うちの旦那の方が先なんですけどね。もっといえば、結婚も、本当は旦那の計略だったんだけどね。私はそれも知らずにバカな結婚しちゃったと思ったわよ。でも、御苦労様ですね。私が不倫をしたことで、旦那を殺害したとでも思ったのかも知れないけど、そんなことはありえないわ」
というではないか。
それは、聴いていて、完全に自信を持っている言い方であった。正直、
「この自信は、一体どこから来るのだろう?」
明らかに動じていない、もし、動じているのであれば、こんな話をするはずもないというものだ。
それを感じた刑事たちも、
「これ以上のことを下手に聴いて、相手のペースに引き込まれるのは、本意ではない」
と思っていた。
仮にも彼女は、今の立場は、
「被害者の奥さん」
であり、被害者側と言ってもいいだろう。
もし、犯人と思えるような何かがあったとしても、いきなりそのことを追求するのは、捜査上としても、少し厄介なことであろう。
それを思うと、刑事も、
「この奥さんを追い詰めるのは得策ではない」
と思ったのだ。
特に、このように、警察に食って掛かるような人は、本当にそういう気性が荒いということなのか、それとも作戦で、相手の捜査を紛らわそうとしてやっているのか、その解釈によって、まったく違った性格になってしまうこともありうるのであった。
それを考えると、
「とにかくは、何か証拠でもないとしょうがないんだな」
ということであったが、今の奥さんのセリフから、一つだけ新たな真相らしきものが出てきたではないか。
「最初に不倫をしたのは旦那で、しかも、旦那はこの不倫のために、結婚した」
という話ではなかったか。
意味がハッキリと分からなかったが、これが、今回の事件の謎であることは分かったのだ。
「奥さんは、その不倫相手を誰か知っていますか?」
と刑事はわざとぶつけてみた。
「この奥さんだったら、きっと刑事を煙に巻こうとするに違いない」
ということが分かったからだ。
「そうね、知ってるわ。でも、あなたたちには教えない。私の口からは言えないもん」
と言って、とぼけているようにも見えるが、明らかに、警察をあざ笑っていた。
それでいて、
「本当に奥さんの口からは言えないんだろう」
と思わせ、それが、
「奥さんのプライドを傷つけるものなのか?」
それとも、
「この事件の核心を掴むことで、教えたくはないのか?」
ということだと思ったが、結論からいうと、
「その両方」
であった。
そのことを奥さんがどのように考えているのか、正直、自分の立場がそのまま、警察に対しての皮肉な気持ちを素直に表しているものなのか、見ている限り、奥さんが楽しそうなのは本当のようなので、
「その気持ちは分かるんだろうな」
と感じているのだった。
奥さんのプライドというものが、これから、この事件にどう響いていくのか、これからが見ものというものではないだろうか?
奥さんの尋問は、それ以上やっても、埒が明かないということで、出てきた証言を洗い出すしかない。
「奥さん、タレコミのことを分かっていたんですかね?」
と聞かれて、桜井刑事は、
「分からんが、ありえないことではないだろうな」
というのだった。
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