第1話 眠れる羆、眼を覚ます
1884年初春、永年天上帝国(略してENTJ帝国)に激震が走った。第十七代征夷大将軍・島津家光が、当時まだ10歳であった嫡男家綱を後継者に指名したのである。これに対し、陸軍大将の龍造寺隆盛が「世襲政治は帝国の弱体化を招く愚行」と批難し、追討軍を差し向けられる事態に陥る。しかし、隆盛は既に軍部を掌握しており、追討軍を撃破。その勢いで鶴丸城(家光の居城)目指して進軍した。そして5月4日、両軍は沖田畷で対峙する。
「龍造寺閣下、この先は道幅が狭い上、沼地で足場が悪い故、自ら進軍するのは危険でございます」
副官の鍋島直通は、隆盛にそう進言した。いかにも真っ当な意見であるが、隆盛は首を縦に振ろうとしない。
「皆同じ道を通るではないか。何故、儂のみが危険に晒されようか」
「閣下は、我が軍の総大将でございます故、敵の集中砲火を受けぬとも限りませぬ」
「はっきりと申せ。儂が太っておる故、左様な心配をするのであろう」
「そんな、滅相もございませぬ」
隆盛は身の丈六尺(182センチ)、体重四十四貫(165キロ)の大男であった。その巨体故、馬にも乗れず、六人担ぎの駕籠に乗って指揮を執っていた。
「案ずるな直通。儂にも策がある」
沖田畷に進軍した一行は、すぐさま敵勢に取り囲まれ、夥しい数の銃口を向けられた。総大将隆盛は腰に差した軍刀の他に武器を所持しておらず、駕籠を担いでいた六人に至っては丸腰であった。さらにこの六人も勝算がないと判断したらしく、主君を置いて逃げ出してしまった。しかし、隆盛当人は泰然自若とした様子だった。
「皆の者、御苦労であった。これより先は、儂に仕えよ」
「寝惚けたことを申すな、謀反人め」
この国は末端まで能力主義が浸透しており、相手が陸軍大将であれ征夷大将軍であれ、失脚した者は容赦なく討ち取られる。とてもではないが、命乞いの通じる相手ではない。無論、隆盛もその辺は心得ていた。
「儂は撃たれても一向に構わぬが、貴様らは忽ち火達磨となるであろうな」
「ど、どういうことだ?」
「貴様らが踏みしめておる沼地には、予め重油を撒いておいたのだ。儂は多少の銃創を負うが、この駕籠で火の海を渡ることが出来よう」
敵軍は互いに顔を見合わせ始めた。隆盛の話は、いかにも荒唐無稽に聞こえるが、試した瞬間に味方が全滅する恐れがあるため、迂闊には動けない。しかし、まだ完全に信用を得た訳ではなかった。
「ならば、何故配下の者が逃げ出したのだ? 命惜しさに下手な猿芝居を打つとは、恥を知れ」
「儂が命じたのだ。ほれ」
隆盛は右腕を上げた。すると、敵軍のさらに外縁に潜んでいた龍造寺軍が、こちらに銃口を向けた。
「自らを囮にするとは、何と豪胆な」
「儂は常人の三倍重い故、駕籠かき一人たりとも撃たれては困る。故に一度向こうの川へ退かせ、火の海を渡る前に水浴びをさせておるのだ。これでもまだ、信ずるには足らぬか?」
「め、滅相もございませぬ。任務とは言え、数々の御無礼をお許しくださいませ、閣下」
敵軍は、一斉に武器を放り出し、隆盛相手に平伏した。隆盛は、彼らも加えた十万の軍勢を率いて無血開城を成し遂げ、同日付で第十八代征夷大将軍に就任した。
「島津家光並びに家継は切腹に処す」
隆盛は、居城である水ケ江城の書斎にて、直通に命じた。
「お待ち下さい、家継様はまだ10歳でございます」
「謀反の芽は摘んでおかねばならぬ。それが家継の定めだ」
「……承知仕りました」
「それから、儂を置いて逃げた駕籠かき六名は、火炙りの刑……」
「お待ち下さい、それは職権乱用にございます」
「貴様、敵陣の中に唯一人取り残された儂の気持ちが分かるか?」
「……分かりませぬ。しかし、まつりごとに私怨を挟んではなりませぬ」
「主君を裏切る者は、いずれ国家も裏切る。生かしておくは世の害悪なり」
「恐れながら、上様も……」
「言うな。儂は頂点に上り詰めた故、国家とは一心同体ぞ。もはや裏切る相手などおらぬではないか」
「ともかく、火炙りはなりませぬ。斬首で妥協なされませ」
「……貴様も強情な奴よのう」
隆盛は書き物机の引き出しから葉巻を取り出し、その端を食い千切った。直通はすぐさまマッチを擦ってそれに火を点けた。そしてさりげなく、窓を開けた。
「満潮だな」
隆盛は、煙を吹かしながら城下町を眺めていた。平生は怒り新党普通人民国(略してISFJ国)に通じる道が、満潮によって海底へと沈んでおり、海軍兵学校の学生がヨット演習に明け暮れている。
「軍備は来月一日までに整えます」
「左様か。三日で攻め滅ぼせ」
「三時間あれば、充分にございます」
「油断は大敵ぞ。奥にはENTP亭国が控えておる故な」
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