第127話 未練


 ☆★☆★☆★



 「エンマは帰って来てからずっとあの調子ですか?」


 「一応毎日走り回ってるみたいです。落ち着いたら自分でクッションを咥えて牧場の真ん中でゴロゴロしていますね。……ふぅ…」


 「随分お疲れですね」


 「ええ、まぁ…」


 北海道にあるエンマダイオウの実家、花京院レーシングにて。


 馬主の花京院と主戦ジョッキーの滝が、牧場のど真ん中でゴロゴロしているエンマダイオウを見ながら話をしていた。


 滝は引退宣言をしてからお手馬を徐々に、別のジョッキーに引き継ぎ、今ではエンマダイオウ以外にお手馬はいない。


 今でも一度限りで乗る事はあるが、それはレース勘を鈍らせないようにする為で、最近では結構時間に余裕がある。


 そんな時は北海道にやって来て、エンマダイオウの調子を確認しに来ている。


 今日もエンマダイオウの顔を見に来たら、お疲れの花京院と遭遇した訳だ。


 「JRAからせっつかれましたか?」


 「ええ。凱旋門賞の連覇を目指して欲しいみたいで」


 「日本競馬界の悲願を達成して、欲が出たんでしょうねぇ」


 「BCターフで我慢して欲しいですよ、ほんとに」


 「まあ、最近では凱旋門賞からBCターフに行くローテーションもありますからね。気持ちは分からないでもないですが」


 花京院はここのところ、JRAのお偉いさんから凱旋門賞の連覇を目指してくれないかとお願いされていた。


 毎回お断りしているのだが、お偉いさんは連覇の夢が諦めきれないのか、何度もお願いをしてくる。


 今まで日本馬で凱旋門賞を制覇した馬はエンマダイオウしかいない。当然連覇を達成したら日本初になる。


 「BCターフもまだ日本馬が勝利した事はないでしょうに」


 「まあ、ローテーションでいけそうだからでしょうね」


 「それは分かりますけど…。BCターフから有馬記念のルートもエンマには結構無理をさせてるんです。引退は日本でさせてやりたいですし、最後はアイアイサーと戦わせてやりたい。私的にはこれが限界ですよ」


 花京院的にはこれでも無理をさせ過ぎなローテーションを組んでるのではと思っているのだ。海外遠征ばかりで負担も大きいだろうと。


 そこに連日凱旋門賞も走ってくれとのお願いが来ていて、花京院はかなりうんざりしていた。


 「まあ、酷いようなら、もう走らせずに引退すると言えば黙りますよ。このままエンマが引退するなんて事になったら、世間から大バッシングですから」


 「はははっ。考えておきますよ。……滝さんの方はどうです? 引退を考え直すようにとか言われたりは?」


 「俺ももう歳ですから。やっと引退かって思われてるのか、そういう事は特にないですね。引退宣言した当初は多少ありましたけどね」


 「未練とかはないですか?」


 花京院は丁度良い機会だと、ずっと気になっていた事を聞いてみる。騎手を引退する事に未練はないのかと。


 「そうですね…。寂しい気持ちはありますよ。人生の大半を騎手として過ごしましたからね。でも満足はしてます。最後の最後でエンマにはたくさんの夢を叶えてもらいましたよ」


 滝は遠くでゴロゴロしてるエンマを眺めながら言う。その顔は晴れ晴れとしていて、本当に満足していそうだった。


 もし、まだ未練があるなら、エンマダイオウの子供に騎乗してもらおうと思っていたが、どうやら気の回し過ぎだったようだ。


 「おっと。まだ燃え尽きないで下さいよ。エンマには後二戦残ってるんですから」


 「もちろんです。俺にとっても騎手生活の集大成になるんですから。最後の花道に泥を塗るつもりはありませんよ」

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